猪木との巌流島血戦や長州力の命運を左右した金言の数々。7月14日が命日の「獄門鬼」マサ斎藤、波乱万丈な人生と豪快で優しい素顔

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】

7月14日は2018年に亡くなった「獄門鬼」マサ斎藤の命日。1964年の東京オリンピックにレスリング代表として出場後、プロレス入り。日米両国マットで大暴れした。猪木との巌流島の闘いなど、日本プロレス史に刻まれる活躍をしている。テレビ朝日の「ワールドプロレスリング」解説者としても知られていた。

「革命戦士」長州力の兄貴分で、長州が維新軍、ジャパンプロレスと決起に動いた際に大きな影響を与えた。低迷期に米国を訪れた長州に「プロなのだから、売り時を逃すな。遠慮なんかするんじゃないぞ。チャンスをしっかりとつかみ取れ!」と叱咤激励のアドバイス。この一言が維新の礎となった。

長州、そして佐々木健介には「タッパ(身長)がないのなら横をデカくしろ。頑丈なブ厚くてゴツイ体を作れ。プロのレスラーなのだからな」と指導もしていた。


<写真提供:柴田惣一>

斎藤が米ウィスコンシン州の酒場でケンカに巻き込まれ、更生キャンプ入りした時、長州は現地を訪れている。恩義を感じていたのだろう。

記者は、米取材ツアー中に運よくその後の「出所」に立ち会えた。斎藤の友人と最寄りの空港で待ち合わせ、車でキャンプを訪ねた。途中一泊するというちょっとした小旅行だった。

「ご苦労様でした」と声をかけると「なんだよ、こんなところまで大変だったな」とにっこり。カメラマンは同行していなかった。まだまだアナログの時代で、記者の撮った写真フィルムを最寄りの米通信社支局に持ち込み、現像、電送してもらった。


<写真提供:柴田惣一>

何枚ものショットの中から通信社の写真スタッフが「これだよ」と選んでくれたのは、車のハンドルを握る斎藤だった。「彼は自由になったのだろ。車の運転は自由の証しだよ」と自信満々だった。

ビールをあおって高笑い、友人とのハグ…こちらの想定とは違った一枚が、日本で翌日の紙面を飾ることになった。「自由」を巡る日米の文化や感じ方の違いをアレコレ考えることになった思い出が蘇る。

後々、斎藤に聞いたことがある。すると「アメリカは車社会だからな。親が子どもを大人と認めるものの一つも車だな」と答えてくれた。


<写真提供:柴田惣一>

そして「規則正しい生活で健康的になったし、トレーニングに明け暮れたし、おまけに新しい技も開発しちゃったよ。無駄な時間じゃなかったな。ガハハハハッ!」と何ともポジティブに捉えていたことが印象的だった。

この時に斎藤が考え出した新技「監獄固め」の名付け親は私である。いくつかキャッチフレーズや技の名前を考案したが、納得のネーミングだった。斎藤も「彼が考えたんだ」と公認してくれた。

テレビ放送席で斎藤と並んで実況した辻よしなりアナウンサーは「試合とは全く関係ないことをお話しされることもあった。アナウンス技術を試されているようで必死だった。プロレスの見方、魅力はもちろん、その他にもたくさんのことを教えていただいた」と懐かしそうに振り返る。


<写真提供:柴田惣一>

斎藤、辻アナとトリオを組ませてもらった。蝶野正洋らが放送席に突進してくると、思わず逃げそうになったのだが、ぐっと服を掴み「にこっ」と頷いてくれた。「俺がいるのだから大丈夫」と言ってくれているようで何とも心強かった。

放送後の打ち上げでは「グハハハ…」とビールジョッキを何杯も豪快に空けていた。また、カルピスも大好物で「眠い、眠い、あー眠い。カルピスでも飲むか」とカルピスをグイッと一気飲みするなど、お茶目な一面もあった。

「GO FOR BROKE」が信条だった。「当たって砕けろ」「やるだけやってみろ」だろうか。まさに斎藤の生き様そのもの。


<写真提供:柴田惣一>

実は2020東京五輪の聖火ランナーを目指していた。残念ながら夢はかなわなかったが、観客のいない東京五輪を天から観戦していたはず。「本当、GO FOR BROKEだな」とつぶやいたのではないか。

天国で猪木を迎えて、巌流島の思い出話でもしているのだろうか。プロレスの魅力そして人生の楽しみ方を教えてくれたマサさん。豪快で、優しかった。今の私があるのはあなたのおかげです。(敬称略)

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