24歳の藤波辰巳(現・辰爾)と22歳の剛竜馬のジュニア戦で応援合戦が爆発 48年前の「プロレスバカ」剛の青春時代

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】

今から48年前(1978年)の7月27日、真夏の東京・日本武道館は異常な熱気に包まれていた。

今ほど冷房効率が良くない時代、ただでさえ暑い日本武道館の客席はファンの熱気でさらに暑く、気分が悪くなり倒れるファンも複数出たほどだった。

WWWFジュニアヘビー級王者「炎の飛龍」藤波辰巳(現・辰爾)に「フリー」剛竜馬が挑む一戦。両者への応援合戦は殺気を感じさせるほど盛り上がっていた。

新日本プロレスの人気者・藤波と国際プロレスを離脱した剛。藤波ファンが多数を誇ったが、剛への声援もなかなかのモノ。新日本、全日本プロレス、国際プロレスの3団体時代、フリー戦士は珍しかった。

この頃は、就職した会社に定年まで勤めあげる終身雇用が一般的であった。会社に属している若いサラリーマンは、フリー宣言して他社(他団体)に参戦する若き剛に自由を感じ、一種の羨ましさや憧れを抱いたこともあったのだろう。それが熱狂的な応援へとつながった。


<写真提供:小林和朋氏>

米ニューヨークのマジソンスクエア・ガーデンでジュニア王座を奪取し、この年の2月に凱旋帰国した藤波は24歳。ドラゴンスープレックス、ドラゴンロケットをはじめとした数々のオリジナル技と「I  NEVER  GIVE  UP」の決めゼリフで、ドラゴンブームを巻き起こしていた。スーツ姿の男性ファンが大半だった会場に、女性ファン、ちびっ子ファンを呼んだのが藤波だった。全日本プロレスのジャンボ鶴田と共に黄色い声援を浴びている。

新時代の幕を開けた藤波のライバルとして急浮上したのが22歳の剛だった。同年5月、国際に辞表を提出しフリー宣言をぶち上げる。米フロリダ州タンパに向かいヒロ・マツダの指導を受けた。フロリダの太陽の元、特訓に励んだ剛は白いタイツとシューズが似合う男に変身していた。

大会前にも両選手の応援合戦がヒートアップ。当時の藤波にはいくつものファンクラブが存在しており、決戦当日に向けエキサイト。「打倒藤波」のプラカードを掲げる剛の支持者たちも「負けじ」と、決起集会を開いていた。


<写真提供:小林和朋氏>

花道からファンの騎馬に乗って登場。入場時から異様な熱気と耳をつんざく大歓声。ちょうど夏休みとあって、大勢のちびっ子ファン、地方からの遠征組も含め、夏の一番の思い出にしようと若いファンが熱狂した。

果たして、ゴングが鳴ると興奮はピークに達する。藤波はマツダ仕込みのテクニックで攻め込んでくる剛に苦戦。ジャーマン・スープレックスの応酬となったが、最後は藤波のそれが上回った。

24歳と22歳のタイトル戦。ファンの応援合戦。力道山、馬場・猪木の時代とは一味違う新時代プロレスのスタートを告げるメモリアルマッチだった。


<写真提供:小林和朋氏>

この2日後に東京・高田馬場のBIG  BOXで開催された藤波のイベントに、剛がサプライズ登場。お互いを称え合い、当時ありがちだった因縁の宿敵というイメージではなく爽やかな対戦だったと印象づけた。

ちなみに翌79年10月2日、大阪府立体育会館大会で、剛が悲願の藤波越えを成し遂げ、WWWFジュニアヘビー級ベルトを腰に巻いている。ただ10月4日の東京・蔵前国技館大会のリターンマッチで敗退。2日天下に終わってしまった。

その後、剛は「プロレスバカ」として話題を集めたが2009年に53歳で亡くなった。

ヘビー級に転向した藤波は現在も現役を続けており、生けるレジェンドとして活躍している。ヘビー級戦が主だった日本プロレス界にジュニアヘビー級という風穴を開けた藤波だが、剛との抗争でジュニア人気がますます盛り上がったことは間違いない。(敬称略)

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