「ミスター・プロレス」ハーリー・レイスの命日(8月1日)に「古き良きアメリカンプロレス」の思い出にひたる NWAが「世界最高峰」と呼ばれた時代

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】

8月1日は「ミスター・プロレス」ハーリー・レイスの命日。2019年に79歳で亡くなっている。「世界最高峰」と称せられていたNWA世界ヘビー級王座に8度、君臨したことで「ミスター・プロレス」の金看板を背負っていた。

NWA(National Wrestling Alliance)は1980年代後半まで米国プロレス界で隆盛を誇った。全米各地に点在した地区(テリトリー)で、プロレス団体を運営していたプロモーターたちが参集したAlliance(連盟)だった。

NWA王者はNWAに加盟している団体をサーキットし、各地区のチャンピオンたちの挑戦を受けて立っていた。王者はNWAから提示されたスケジュールに沿って、全米各地を飛び回る。

全米に加え、カナダ、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、そして日本などにも遠征している。自分で日程を管理し、移動手段も確保する。スーツ姿で移動することも多く、プロレス界の頂点に立つ男の威厳が求められていた。

かなりのハードスケジュールだが、ギャランティ(ファイトマネー)も桁外れ。強靭な肉体と精神力を兼ね備えたプロレス史を飾る名レスラーたちが名を連ねている。

ルー・テーズ、パット・オコーナー、バディ・ロジャース、ジン・キニスキー、ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク、ジャック・ブリスコ、リック・フレアー…世界プロレス史に燦然と輝く名レスラーの名前が連なっている。ジャイアント馬場もNWAが栄光のNWAだったころの王者リストにその名が刻まれている。

名だたるレジェンドたちと名前を連ねているのがレイスである。「美獣」「キング・オブ・ザ・リング」などとも呼ばれていたが、やはり「ミスター・プロレス」がぴったりとくる。

挑戦者の猛攻をガッチリと受け止めながら、時にはのらりくらりと受け流す。とにかく受け身の達人であり、テクニックはもちろん、スタミナもずぬけていた。

ダイビング・ヘッドバット、パイルドライバー、ブレーンバスター、サイド・スープレックスなどが得意だった。

そして、さすがのインサイドワーク。その佇まいには、堂々たる貫禄とキャリアを積んだ歴戦の強者という風格がにじみ出ていた。

リング上の王者は会場を離れても「ミスター・プロレス」に相応しかった。他の選手と酒場で一緒になれば「俺に任せろ」と気前よくご馳走している。レスラー仲間、スタッフ、親しくなったファンら周囲の評判も、他のNWA王者たち同様「紳士」だった。

80年代半ばの米国マット界取材ツアーでも、ジャイアント馬場のサインと全日本プロレスの社印が入った「推薦状」とともに「ミスター・レイスと友人」といえば、ほとんどのテリトリーで歓迎され、たいていのレスラーが丁寧に取材に協力してくれた。

WWEの全米侵攻が始まると隆盛を誇った「NWA」もかつての権威はなくなったが、古くからのファンの間では「NWA神話」が語り継がれている。

NWA王者は別格、頂点であり一目置かれる存在。プライベートでは美女に囲まれ美酒をあおり、高級車を乗り回すイメージが強く、来日には心踊ったものだ。

現在のようにリアルタイムで情報が入ってこず、情報量も少なかった時代には、プロレスファンは想像の翼を広げ、NWA王者に憧れの気持ちを持っていた。

「古き良き世界のプロレス」の象徴でもあったハーリー・レイス。天国でチャンピオンたちと語りあい、馬場とゆったり葉巻をくゆらしているのだろうか。あの印象的なもみ上げはそのままだろうか。そしてあの威厳に満ちた表情、佇まい、何よりニコリと笑った時の優しい表情が忘れられない。(敬称略)

<写真提供:柴田惣一>

Pages 1 2

◆プロレスTODAY(LINEで友達追加)
友だち追加