「KAIENTAI、東京女子、スターダム…各団体でちょっとずつ成長していった」~みちのくプロレス・MIRAIインタビュー(前編)
昨年10月にマリーゴールドを退団したMIRAI。同年11月に地元であるみちのくプロレスに入団したが、各団体からのオファーがひっきりなしだ。今ではNOAHが管理するGHC女子王座を保持するMIRAIに過去、現在を語ってもらうとともに、未来への展望を聞いた。(前編)ではプロレスとの出会いから、マリーゴールド退団までの話を聞いた。
(取材・文=ミカエル・コバタ)
――プロレスとの出会いは何だったのですか?
「2011年3月11日の東日本大震災の後、地元の宮古に一番最初は新日本プロレスさんだったんですけど、佐山(聡=初代タイガーマスク)さんとか、チャリティマッチで来てくれて見に行きました。そのチャリティマッチを見てプロレスにはまりました。それまで全然興味なかったのに…」
――その後、2012年5月5日に佐山さんが主催された巌流島でのプロレスを見に行かれたんですよね?
「ハイ。私が通っていた重茂(おもえ)小中学校に『巌流島に本州最東端の子どもたちを招待する』という募集が来たんです。男子でという希望だったらしいのですが、宮古市の人が私を推してくれて。もう中1になって柔道もやっていたので。山口のいろんなところを見て回る予定があって、その一部にプロレスがあった感じで。ゴールデンウイークだったこともあって、周りのみんなはプロレス以外のことに興味があったようなんですが、私はプロレスを目的に見に行きました。そこでよくしていただいて。お礼状を送ったりして、新間(寿)さん、佐山さんと交流ができたんです」
――なるほど。みちプロのプロレス教室にも行かれていたんですよね?
「ハイ。大釜幼稚園(滝沢市)に行ってました。高校生くらいだったと思います」
――宮古から盛岡近郊までかなり遠いですよね?
「遠いです(笑)。(新幹線で)盛岡から東京に来るのと同じくらいの時間がかかります。親が連れて行ってくれてたんですが、親はプロレスに興味がなかったので、プロレスやってる間はどこかに行ってて。そんな感じでした」
「みちのくは男子の団体だったから、選択肢に入ってなかった」

<写真提供:伊藤健史>
――プロレスラーになろうと思った時、交流があったのなら、その時にみちプロに女子部があったなら入っていた可能性はありましたか?
「うーん。男子の団体だったから、選択肢に入ってなかったですね。それに一度は東京に出てみたい気持ちがありました」
――前提として、男女混合団体がよかったんですか?
「何団体かお話は聞いたりはしてたんですよ。東京女子もKAIENTAI(DOJO)も聞いたし、この2つでどちらにするか悩みました。それまで男子のプロレスをずっと見続けてきて、女子のプロレスをそんなに見ることがなくて…。惹かれたのがやはり男子系統のプロレスで…」
――男子にも負けたくないというのがあったんですか?
「それは柔道をやってましたから、誰にも負けたくないと思ってました」
――その点では、稲葉ともか選手と共通するわけですよね?彼女は空手をやってたんで、男子にも負けたくないっという思いがあったようですが…
「ハイ。そうですね」
――それで、最終的に男女混合団体を選択したわけですね?
「ハイ。誰にも負けたくない。勝ってやるぜ!みたいな気持ちでした」
――それでKAIENTAIの入門テストを受けることになったんですね?
「書類が通って、TAKA(みちのく)さんから、『この日に入門テストがあるんで来てください』と連絡がきまして…」
「ともかとの最初の出会いは道場横のスーパー」

<写真提供:伊藤健史>
――その入門テストで、ともか選手と一緒に受けることになったんですよね?
「実はともかとの初めての出会いは入門テストの時じゃないんです。入門テストを受けに行って早く着いちゃって、その道場の横にスーパーがあったんです。そこで、知識はなかったんですけど、スポーツ選手が体にいいって思われてるような食べ物を摂ろうと思って。ヨーグルトとバナナと卵みたいなものをイートインで食べてたんですよ。そしたら、なんかやたらめっちゃ見てくる女の子 がいるなと思って。集合時間になったら、その女の子がいて『さっきバナナ食べてたよね!』みたいな感じで。それがともかとの最初の出会いです(笑)。寮で同部屋になりました」
――入門テストで合格されて、当時在籍していた女子選手は?
「進垣リナさん、笹村あやめさん、バンビさんがいらっしゃいました」

<写真提供:伊藤健史>
――その後、練習生期間を過ごす中、ともか選手は事故か何かで愛知にいったん帰ったんですよね?
「ハイ。ともかは事故に遭ったり、練習中のケガもあって、愛知の実家に帰ってて。(武蔵)龍也やイーグルマスクも同期だったんですが、同期がみんなケガとかで辞めたり、いなくなったりして、本当に最後の方は 一人で練習とかしてた時がありました。そんな孤独な中、色々思うこともありまして、KAIENTAIを辞めることになりました」
――ともか選手はまだ在籍はしていたんですよね?
「当時、実家に帰ってましたけど、ともかはKAIENTAIに残って、KAIENTAIでデビューするもんだと思って。同じ部屋だったので、私がもらったKAIENTAIのTシャツとか、ともかの好きなお菓子とかを置いて。『ごめんね。私は辞めちゃうけど、ともかは頑張ってデビューしてね』みたいな感じで、お手紙を残して出ました。そして、ちょっと経ったら、『ともかも辞めた』と連絡が来まして(笑)」

<写真提供:伊藤健史>
――その後、東京女子に入ることになるんですけど、何かポイントがあったんですか?
「前にお話を聞いていて、そのときに東京女子かKAIENTAIとどっちかで悩んだんですけど…。もう1回、東京女子に連絡を取って『お話を聞かせてください』という感じで、入れていただきました。2019年の頭だったと思います」
――鈴芽選手とはどちらが先に入ったんですか?
「個々でスタート時期が変わると進み具合に差が出て良くないということで、私、鈴芽、汐凛(セナ)は、ほぼ同じスタートですね。応募は鈴芽の方が早かったんじゃないかなとは思いますけど…」
――KAIENTAIに練習生でいたわけですから、その時点で進み具合に差はできてたんじゃないですか?
「それがそうでもないんです。そこまで差という差はなかったんです。KAIENTAIではずっと基礎体やらされて、筋トレ筋トレ筋トレで、最初の3、4ヵ月はは筋トレしかしてなくて。そこから受け身が始まりましたけど、私は柔道の癖が抜けなくて、後ろ受け身で止まって。ロープワークして 、ドロップキックをちょっと練習したぐらいで。そこまでいっぱいプロレスの練習してたかっていうと、ホント筋トレばっかりさせられてたので。その点、鈴芽は運動神経がいいので、何回かやったら、すぐできちゃってたので、そこまで差はなかったんです」
―ー2019年5・3後楽園でのデビュー戦には佐山さんも激励に来場されましたね?
「ハイ。ストロングスタイルにあいさつに行ったり交流が続いてました。新間さんがよく帝国ホテルで食事をされる時に呼んでくれたりで、ちょくちょく会ってはいたんですけど、やっぱりリングの上で会ったら緊張しましたね」
「優しい佐山さんしか知らないんです」

――佐山さんに練習を見てもらったりはないんですよね?
「ないです。だから、私は優しい佐山さんしか知らないんです。いつも『みらいちゃん、大きくなったね。グッドグッドだよ!』みたいな感じの佐山さんしか知らないんです」
――デビュー戦を同期のともか選手はお客さんとして見に行かれたそうですが、彼女は2ヵ月後にJTOでデビューしています。当時はいつかリングで会うとは考えてもいないわけですよね?
「いつかは会いたい気持ちはありましたけど、その頃は現実として考えられなかったですね」
――東京女子での在籍はデビューしてから2年4ヵ月でした。退団した理由としてはどういったことが挙げられますか?
「当時のことを言葉にするのは難しいんですよね。元々私は男子プロレスを見て、それに憧れてプロレス界に入りました。女子プロレスはほとんど見ていなかったんです。それでいざ女子のリングに上がってみると、自分が描いていたプロレスとのギャップのような葛藤がありました。私もまだ若かったので、環境を変えて新しいチャレンジをしてみたいという気持ちになったんだと思います。でも、ベースを作ってくださった東京女子にはとても感謝しています」

――同期でタッグパートナーの鈴芽選手とはどういう話をして別れたのですか?
「リングはつながってるから、いつかまた会えるかもしれないみたいな話はしましたね」
――スターダムに2022年1月から上がって、いきなり、その月の29日には赤いベルト(ワールド・オブ・スターダム王座)に挑戦されています。すごい抜擢ですよね?
「ハイ。チャンスをいただいた(ロッシー)小川さんには感謝していますが、そのときはもう緊張しかなかったですね」
――その後『シンデレラ・トーナメント』で2022年、2023年と連覇。2023年7月2日には中野たむ選手を破って、白いベルト(ワンダー・オブ・スターダム王座)を奪取されましたね?
「たむさんはその時、赤と2冠で、私は白だけ挑戦して勝ったじゃないですか。もうみんなに 『なんで2本に挑戦しなかったの?』って、ずーっと言われてます」
――スターダム時代は2年3ヵ月でしたが、振り返って、どうでしたか?飛躍できた期間でしたか?
「気付いたら、やっぱり東京女子時代から自分がやってきた練習とか試合経験とかを発揮できたし、新しいことも吸収できたし。濃い期間でした」
――東京女子はユニットもないですし、マイクアピールもあまりありません。その辺の戸惑いはありましたか?
「マイクとかは苦手分野なので難しかったです。今でも難しいです。そういうのはやっぱり大切だなとは思ってはいるのですが、自分の語彙力とかもあって難しいなと思います。難しいものも結構多かったんですよ」













