追悼の声やまず 世界中のプロレスファンが優しくて頼りになるアニキ「グレート・テキサン」ドリー・ファンク・ジュニアを偲ぶ 

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】

優しくて頼りになる「グレート・テキサン」ドリー・ファンク・ジュニアを偲ぶ声がやまない。6日の新日本プロレスに続いて、全日本プロレスも9日、東京・後楽園ホール大会の追悼セレモニーで10カウントゴングを鳴らした。

4日(日本時間5日)85歳で亡くなったドリー。NWA世界ヘビー級王者として米マット界に君臨し、日本でもテリー・ファンクとの兄弟タッグ「ザ・ファンクス」として一世を風靡した。


写真提供:伊藤ミチタカ氏

怒った顔を見たことがない。ちびっ子や女性ファンに取り囲まれた弟・テリーに、男の子のファンが色紙を手に傍若無人に突進。他のファンを押しのけるのはマナー違反だ。ファンを大切にしていたテリーも、さすがにこれには「ノー!」と拒否反応を示した。テリーがリング外で血相を変えるのも珍しかった。周囲の空気も一気に緊張している。

そばで見守っていたドリーは穏やかに冷静に、ゆっくりわかりやすい英語で男の子に話しかけた。「ノー」「ストップ」…優しい声で諭された男の子は、少し恥ずかしそうにしながら色紙を引っ込め列に並んでいた。

正直、ファンクスの支持者の多くはテリーファンだった。「テリーと写真を撮ってください」とドリーにお願いしている。ドリーは「次は僕かな」とばかり、テリーにカメラを渡そうとするが「サンキュー」とドリーからカメラを受け取り去って行く者がいた。「えッ!?」と微妙な顔のドリーに「オー」とばかり肩をすくめるテリー。もちろんそれでもドリーは声を荒げることなどなかった。

リング上のファイト同様、やんちゃな弟テリーに沈着冷静な兄ドリー。私生活でも見たままのファンク兄弟だった。

とにかくファンを大事に思っていた。長く見ているファンを他の多くの外国人レスラーは「オールドファン(古いファン)」と呼ぶが、ドリーは「グレイトファン(偉大なファン)、サンキュー」と話しかける。包帯や眼帯などをしているファンを見つけると駆け寄って「ダイジョウブ? ガンバッテクダサイ」と声をかけていた。


写真提供:伊藤ミチタカ氏

ドリーは大変な愛妻家だった。ドリー夫妻、西村修と東京・六本木のハードロックカフェを訪れたことがある。お店のグッズを購入し、お酒を楽しんだ。マーティ夫人も楽しそうに笑顔全開だった。「ワイフの機嫌がいいことが一番の幸せ」と、感情をあまり表に出さないドリーの満足げな表情が忘れられない。

夫婦そろって日本を、そして日本食を楽しんでいた。中でもカツサンドがお気に入り。だが晩年は「胃がもたれる」と大好きだったカツサンドを食べなくなった。その頃から徐々に衰えが目立つようになって来たが、ドリーにとって日本は第二の故郷。「日本に来ると元気になるよ」と気力を充実させていた。

何事にもおおらかで無頓着なドリーに、しっかり者のマーティ夫人。ダンナを夫人がガードする。まるでジャイアント馬場と元子夫人の様だった。前夫人と離婚した際、金銭面そして心理的にも落ち込んでいた時、ドリーはマーティ夫人に支えられた。大切にするのも道理だろう。

ドリー夫妻をPWF会長代理としてサポートしてきた大隅良雄氏は「思い出がたくさんありすぎて」と声を詰まらせる。ファンだった中学生のころから45年以上のお付き合いだという。

ドリーがPWF会長として全日本プロレスで試合に臨んだ2014年からは、日本に滞在中のドリー夫妻と常に行動を共にした。米フロリダのドリーの自宅にも何度もお邪魔している。


写真提供:大隅良雄氏

ドリーが主幹する団体「BANG TV」の道場でトレーニングし、リングにも選手として上がった。「ドリーさんと同じデザインのコスチュームを用意してもらって、ドリー、西村とトリオで出陣した」と振り返る。


写真提供:大隅良雄氏

11月にフロリダでテリーと西村の追悼試合の準備が進んでいた。「まさかドリーさんの追悼になるとは」と肩を落とす。「実はここ最近、マーティさんの連絡に一喜一憂していたが、大丈夫だと思っていた。年が年だから覚悟をしていたけど寂しい」という大隅氏の声は震えていた。


写真提供:大隅良雄氏

今頃、天国でテリー、馬場らと世界のプロレス界の現状を語り合っているのだろうか。ファンクスの入場テーマ曲「スピニング・トー・ホールド」が聞こえてきた。(敬称略)

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