【編集長コラム】「40年前のプ女子獲得㊙作戦」

40年前「プロレス女子獲得㊙作戦」が未遂に終わっていた。

元・新日本プロレスで現在は、東京・品川区議会議員の木村健悟氏。東急大井町線、都営地下鉄浅草線の中延駅前などで、定期的に地道な街頭演説を続け、支持者のみならずプロレスファンにも声をかけられている。

「引退してずいぶん経つのに、今でも『昔、よく見ていました』とか『藤波さんとの試合、良かったです』とか言ってもらえるのって、すごく嬉しいよね。一番の財産だよ」と、笑顔で細い目をますます目を細める木村氏だ。

ゴールデンタイムで放送されていたテレビ朝日「ワールドプロレスリング」で活躍できたことを、感謝する木村氏だが、実は、1978年に凱旋帰国時した時には苦渋の決断があった。

当時、ジュニアヘビー級だった木村は、メキシコに遠征。NWA世界ライトヘビー級王座を奪取するなど大活躍し、颯爽と帰国することになったが、その直前〝過激な仕掛け人〟新間寿氏から極秘指令が届いたのだ。

何と「整形しろ」――。

一足早く、凱旋していた藤波辰巳(現・辰爾)が、そのスマートさ、格好良さから女性ファンを会場に呼んでいた。そこで、新間氏は「藤波&木村」の若い2人の相乗効果で、さらに多くの女性に足を運んでもらおうと目論んだ。木村氏に「目を二重にしてパッチリさせろ」というのだ。

「悩んだよ、そりゃあ。やはり人気が出た方がいいし。う~ん。でも、やっぱり整形はねぇ。男だし・・・」。木村氏は整形をキッパリ断ったという。「顔じゃなくて試合内容で頑張ります」と答えたそうだ。

新間氏は「せっかく勧めたのに、あいつ整形を断ったんだよ~。でも間寛平みたいだろ。全くさぁ」と振り返る。

とはいえ、藤波にはかなわなかったものの、木村氏を応援する女性ファンが多かったのも確か。

その後の「稲妻レッグラリアート」をはじめとする大暴れを振り返ると、整形を拒否した意地があったればこそ、あれだけ頑張れたのではなかろうか。

それに、整形していたら、もしかしたら区議にもなっていなかったも知れない。いずれにせよ「整形騒動」が、彼の人生に影響を与えたことだけは間違いない。

40年前の㊙作戦、未遂で正解だったかも知れない。

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