【船木誠勝インタビュー】~甦ったサムライ船木誠勝デビュー33周年記念~ 『船木誠勝×初代タイガーマスク×新間寿スペシャルトークショー』<3.3大阪(道頓堀角座)開催>
――リアルジャパンでは新間寿さんが納谷幸男選手のデビュー戦に激怒し、“原点回帰”をテーマとする大会を昨年12月7日に開催しました。船木選手も参戦しましたが。
「自分のなかではいつもいっしょ、いつも原点なんですよ。誰とやるにしても自分のスタイルを絶対に崩さないし、崩せないので、自分はデビューしてからずっと変わっていない気がするんですよね。ずっと同じかたちでやってるので。それはそれでどうなのかなって気もしますけど、“原点回帰”は自分では当たり前のことでした。むしろ自分のかたちにちょうどいいかなと、都合がいいかなと思いました。自分のスタイルにリアルジャパンが近づいてくれたような気がして、すごくよかったです」
――そういった意味でも、やはり今年もリアルジャパンが主戦場になりますね。
「そうですね。やっぱり憧れの人(初代タイガーマスク=佐山サトル)がつくった団体なので、そこに一番ハマってることが本当にうれしいですよ。だから今回のトークショーも、それこそ34、35年前、まだファンだった頃、プロレスラーになる前の自分に見せたら本当に最高だと思うんですよ。憧れてた人が、自分がメインのイベントに来てくれる。そんなこと、ふつうないじゃないですか。それは“少年”船木にとって最高だと思いますね。(当時めざしていた)その方向が間違ってないよって、言ってあげたいですよね」
――一度プロレスを離れ、戻ってきたからこそ、ですよね。
「そうです。初代タイガーマスクも一回引退してるんですよ。だから2人とも同じ感じで、いまこうして集結したような気がします」
――プロレス、格闘技を通じて似たような道を歩いてきたとも言えますよね。
「自分もそう思います。佐山さんがシューティングをつくって、自分がパンクラスをつくって、お互いがシューティング、パンクラスを離れて、それでプロレスに戻ってきてという、本当に不思議だなと」
――その格闘技は格闘技で継続されています。
「シューティングもパンクラスも日本の総合団体として残ってますから」
――それもまたうれしいことですよね。
「自分がつくったものがなくならず、本当によかったと思いますね」
――3月3日のトークショーには、初代タイガーマスク選手、新間さんが参加します。
「新間さんは、アントニオ猪木さんのマネジャーだったじゃないですか。本当に雲の上、そのまた雲の上の人でしたね。自分が新日本に入ったときはもうUWFのほうに行かれてて、まったく接点がなかったんですよね。だからここ最近ですよ。4,5年くらい前からリアルジャパンに来てくれて、自分の試合を観てくれている。“君の試合、ちゃんと観てるからね”と言われて、ちゃんと目に映ってるんだ、と思い感激しました」
――実際に会ったのは、ここ数年のことだったんですね。
「自分が16、17歳の頃、新日本のパーティーで一度だけチラッと見かけたことがあったんですけど、当時はそれだけでしたね」
――どんな印象がありましたか。
「やはり、新日本の全盛期をつくった方ですから、この人がいなかったら猪木さんもあそこまではならなかっただろうし、新間さんなしに異種格闘技戦は成立できなかったでしょう。実際、新間さんがいなくなってから新日本がちょっとずつ変わりましたからね。マシン軍団とか海賊男とか、そういう方向になってきたじゃないですか。あれは新間さんがいなくなったからだと思いますけどね(笑)」
――新間さんがプロデュースしてきた猪木さんの異種格闘技路線ですが、船木選手が継承している部分もあるのではないですか。
「結果、そうなってますよね。タイガーマスクに憧れて入った人間だし、そのときタイガーマスクはいなくなりましたけども、そこに関わっていた藤原(喜明)さんだとか、前田(日明)さんとか、髙田(延彦)さんとかと自分は付き合ってプロレス人生を歩んできましたから、やはりそういう方向になってきますよね」
――そういった意味でも船木選手の33年のキャリアにとって、初代タイガーマスク、新間寿、このお二方は欠かせないですよね。
「ええ、そうです。初代タイガーマスクは憧れですから。見た目もそうですけども、飛んだり跳ねたり、それにプラスして強いというのが一番。それもただの強さじゃないなと、子どもながらに思ったんですよ。本当にこの人は余裕で飛んだり跳ねたりしながら、極めるときは極めるんだなと、そういうイメージがありました。その強さの部分で、関節技があり、その先生がカール・ゴッチさんであり、藤原さんだと。そういうのをファンの頃から聞いていましたので。それがないとドロップキックまでたどり着くこともできないんだと、後からわかりました」
――ドロップキックにたどり着けない?
「ドロップキックがすごくキレイで、やってみたかったんですよね。自分も飛んだり跳ねたりしたいなと思ったんですけども、まず新日本に入ってすぐにやらされたのはスパーリングなんですよ。セメントという名の練習。グラウンドで相手を極めたり絞めたりする練習なんですけども、そのとき本当になにもできなくて。柔道とか空手もやってなかったですし、ただの中学生がみんなといっしょにそういう練習をやってもなにもできないんです。毎日、毎日、ボロボロにされて、この状況を脱出しなければドロップキックまでたどり着かないんだと思い知らされました。実際、ドロップキックの練習なんて誰もしないですからね。しないんですけども、巡業についていって試合を観ると、みんなポンポン飛んでるんですよ。いつやってるんだろう、いつ練習してるんだろうって不思議でした。練習の場所ではやらないのに、みんな試合で出すんです。最初は不格好なんですけども、毎日やっていくうちにキレイになっていくんですよ。むかしの選手はそうやって、自分の技を磨いていったんですよね」
――試合も練習の場であると。
「そうです。だから前座レスラーが巧い試合をするはずがないんです。きたない試合から徐々に徐々に上がっていくのがむかしの新日本の前座だったんです」
――試合で出す以前の基本中の基本を道場で学ぶ?
「ハイ。まず闘いの練習ですね。極め合いの練習。それだけです。それと基礎体力。強い身体をつくって、あとは極める技の練習しかしていないです」
――ということは、リング上で披露し、魅せる技というのは、リングで学ぶと。
「リングで出して、徐々に自分のものにしていきました」
――若手時代の船木選手といえば、ドロップキックの印象が大きいのですが。
「そうでしょうね。ドロップキックはデビュー戦が決まってからの合同練習の最終日にたった10発、ダミー人形に向けてやっただけですね。そのときはキレイに飛べてるのかどうかわからないですし、ぶっつけ本番でやるんですけども、結局は相手の胸のところまで(脚が)上がらないんですよ。デビュー戦のときに星野(勘太郎)さんに、怒られましたね。“ドロップキックをどこに当てた?”と。自分ではわからない。ノドのあたりだと思うですけどと言ったら、“バカヤロー、腹だぞ。腹に当たったのではダメだ”と。もっと高い位置に当てろということなんですね、胸の上の部分まで。そこから自分は高く飛ぼうとばかり考えて、最終的に顔にいってましたね。顔に当てて先輩のアゴの骨を折ってしまいました(苦笑)。とにかく当時は怒られて、怒られて。もっと高く、もっと高くと。そのうちに顔になって、アゴの骨を折ってしまって。アゴの骨を折ったときからですね、ドロップキックの船木と言われるようになったのは」
――そのくらいの破壊力を得るまでにならないと…。
「自分のものにならないということなんです」
――最初は、初代タイガーマスクの飛び技に憧れたのですか。
「その前に、ミル・マスカラスですね。マスカラスがすごい好きでした。そのときはまだ新日本プロレスにそういうマスクマンがいなかったんですけど、タイガーマスクがデビューした。そのときに、日本人じゃないかという感じから親近感が沸いたんですよ。マスカラスはメキシコ人じゃないですか。タイガーマスクは日本語をしゃべってるので、もっと身近に感じて、それでいて飛ぶし、強いし、そこからファンになりました」
――タイガーマスクのようになれるのではないか、なりたいと思ったのでしょうか。
「なりたいと思いました。引退されたときに2代目になりたい、2代目になろうと思って入りましたから(笑)。だけど、2代目になる前に片付けなければいけない練習がセメントだったんですよ。まずそこをクリアーしなければレスラーにもなれないし、ましてやマスクマンとか、飛び技をする選手にもなれない。そんなの10年早いと。そういう世界ですよ。それでいざデビューしてみたらドロップキックは高く上がらないし、マスクマンになるなんて、まったく見えてこなかったですよね」
――非常に高いハードルだったわけですね。
「そうですね。結局セメントの練習しかしてないので、セメントの技が自分の技になってしまうんですよ」
――憧れた初代タイガーマスク選手と、そのデビュー戦もプロデュースした新間さんがトークショーのゲストとして参加しますが、どんなことを聞いてみたいですか。
「やっぱり佐山さんの思想をもっと知りたいですね。これからやろうとしていることとか。この先のプロレスのかたちとか、格闘技のあるべき姿とか、そういうのをちょっと聞いてみた。いまの佐山さんのアタマのなかにどういうものが見えているのか。そういうことを聞いてみたいですね」
――こういう話をあらためて聞くことは…。
「ないです。たまに会見のときとか2人になって、むかしの話を聞いたりはしますけど、思想の話はまったくないですね」
――新間さんから聞いてみたいことは?
「自分の口からは聞けないですね(苦笑)。でも、アントニオ猪木さんの裏話とか、ちょっと聞いてみたい気はします。猪木さんの全盛期に一番近い存在だったと思うんですよ。だからいろんなことを知ってるんじゃないかと思います」
――この3人でトークをするのは初めてになりますよね。
「もちろん初めてですよね」
――ちょっとあり得ない顔合わせですから、貴重な機会になりそうですね。
「ハイ、そうですね」
――このイベントが33周年のスタートになると思うのですが、その後について考えていることはありますか。
「うまくいったら第2弾、第3弾をやりたいですし、今年中に大会とかできたら本当にうれしいですよね」
――記念大会?
「ハイ。1大会くらいはやってみたいなと思いますね。自分のケジメとしても、(デビューから)30年以上経ちましたし、50歳の手前ですから、最後にもう一勝負というか、実力を測る試合をしてみたい、残したいという気持があります。佐山さんからも言われたんですけども、50歳になるといきなりくるっていうんですよ」
――というと?
「いままで通りにいかない、肉体の衰えというんですかね、突然くるらしいんですよ。あの運動神経バツグンの佐山さんがそう言っているので、おそらく本当だと思うんです。だからその前に現役として(大きな勝負を)やっておきたいんですよ」
――船木選手はまだまだというふうに見えますが。
「自分もそう思うんですよね。そう思うんですけど、くるよって(笑)」
――突然くるかもしれないからこそ、早いうちにやっておきたいと。
「ええ。本当ならば時間も迫ってますから。そういう意味でも今年なのかなって気はします」
――33年のキャリアは大きく分けて前半と後半に分かれると思いますが。
「ハイ。新日本時代、UWF、藤原組、パンクラス」
――ヒクソン・グレイシー戦から一度引退して…。
「ちょっとあいて、復帰してからの全日本。WRESTLE-1。そしてフリー。30年もやってるので、いろんなことがありましたね」
――ある意味、今年は集大成としての一年になりそうですか。
「そうですね。ちゃんと動けるなかで(大きい勝負を)一発やりたいなという気がします。相手を探している最中です」
――大会開催にふさわしい選手を?
「ハイ。相手を探してます」
――見つかればその大会を実現させたいと。
「そうですね。たぶん、自分にちょうどいい選手がくると思ってます。なんとなくですけど、ふさわしい選手がくるような気がします。こないのであれば、もっと先かもしれないです。そうなると、もっと息が長くなるかもしれないし。いずれにしても現われると思うし、そういう選手とやると思うんですよ。それが今年なのか、もうちょっと後になるのか。今年こないようなら、もうちょっと自分の動ける時代が長引くのかもしれないし」
――今年は、その選手を見つけるような闘いになっていく感じになりそうですね。
「ハイ。引退とか、そういうのではないですけどね」
――大きな意味のある相手ということですね。
「ハイ。現役として動けるなかで、それはもしかしたら若い選手かもしれない。バリバリの選手とやってみたいですね」
▼タイトル:
闘宝伝承・2018前哨戦~
『船木誠勝×初代タイガーマスク×新間寿 スペシャルトークショー』
▼会場:道頓堀角座
(大阪府大阪市中央区道頓堀1-4-20)地下鉄「なんば駅」
<http://www.kadoza.jp/
▼席種・料金:SS席:10000円(特典・記念品付)、
▼主催:闘道館Y1968・Hybrid fitness
▼制作協力: 松竹芸能株式会社
▼後援 : リアルジャパンプロレス
▼出演 :船木誠勝
▼ゲスト :初代タイガーマスク
▼特別ゲスト:新間寿
▼司会 :エール橋本
▼お問い合わせ:闘宝伝承実行委員会(090-1895-
▼備考:当日料金500円増
▼発売チャネル:
e+ イープラス http://eplus.jp/funaki/(PC&携帯)
ファミリーマート店内Famiポート
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