【編集長コラム】「新日本プロレス道場の夏物語」
先日、関係者の通夜で久しぶりに前田日明氏と会った。
現在はTHE OUTSIDERのプロデューサーとして活躍しているが、新日本プロレス、UWF、リングスで大暴れしたレジェンドレスラー。数少ない同学年の同士とあって、顔を合わせれば、公私に渡って気さくな会話となる。
ともにお世話になった故人の思い出話に始まり、子供のこと、自身の体のこと…かつての教え子ファイターが次々とあいさつに訪れる中で、さまざまな話となった。
中でも盛り上がったのは、修行に明け暮れた新日本プロレス・ヤングライオン時代の青春物語。先頃、引退したS・S・マシン氏ら前田氏の同期生始め、世田谷区野毛の新日本プロレス道場には、後にスターとなる若き逸材たちであふれていた。
今と違って、娯楽の少なかった昭和の時代、夏の定番と言えばスイカ割りだった。
後援者から合宿所に差し入れも多く、冷蔵庫に入らないような大きなスイカが、たくさんタライに冷やしてあった。
ある夏の夕暮れ時、「スイカ割りをしよう」という話で急に盛り上がり、みんなでスイカを抱えて、多摩川の河原へ向かった。
童心に返りワイワイ言いながらスイカ割り。目隠しをし、くるくる回されるのだから、振り下ろす棒きれも、なかなか当たらない。
体も大きく力の強いレスラーたちのスイカ割りは豪快そのもの。思いきり、地面を叩いて手がしびれたり、木の棒が折れてしまったり。
やっと当たったと思ったら、力が強すぎて、スイカはバラバラ。とても食べられる状態ではない。
「あ~、どうしよう…」と、途方に暮れるヤングライオンたち。
「川に流そう!」と、誰かが言い出した。
「そうだね 。田舎の実家の方では、お盆に何か流していたよ」
それは精霊流しだが…。
バラバラになったスイカを多摩川に流し、みんなで一斉に拝んでいた。
夕焼け、セミの声、遠くからかすかに聞こえる風鈴の音。
「供養になったよね」と、みなが清々しい表情で言っていたが、一体、何の供養なのか。スイカの供養なのかは、誰もわからなかった。
その後、合宿所に戻り、普通に包丁で切って食べていた。
後年、スイカバーなるスイカを模したアイスキャンデーが発売されたが、種の形をしたチョコを本物の種だと思い「チョコの種」を、ひとつひとつ取り除いて食べていた選手もいた。
「種を食べたら、盲腸になっちゃうって聞いたよ。お腹を切ったら、しばらく試合できなくなるからね」
スイカを見る度、思い出す。
数年前に改築され、すっかり様変わりした新日プロ道場。これからも多くのヤングライオンたちの「汗と涙と笑顔」が刻まれていくことは変わらない。