【編集長コラム】「追悼 マサ斎藤さん」

マサ斎藤さんが亡くなった。

「獄門鬼」と呼ばれた、いかにもレスラーらしい風貌。パワフルなファイト。体ひとつで全米マット界を渡り歩いたガッツ…世界中のファンを熱狂させた。

リング上の勇姿はもちろんだが、その素顔もまさに漢だった。豪快に笑い、ビールをラッパ飲み。男が憧れる漢だった。

一方で、カルピス大好きとお茶目な一面もあった。実家は都内の材木商。豪商の家庭で育った、お坊ちゃま。レスリングで1964年東京五輪にも出場している。

マサさんと初めてじっくりお話させてもらったのは、更生キャンプからの出所時だった。

1984年、米ウィスコンシン州の酒場で暴行事件を起こしたケン・パテラの逮捕劇に巻き込まれ、警察官を殴ってしまったマサさん。1985年、キャンプに収監されてしまったが、一年半の刑期を終え出所するという。米取材ツアーの途中、駆けつけることになった。

何度も面会に訪れていたマサさんの知人とともに、向かった。

最寄りの空港で落ち合ったが、なんとキャンプは一泊二日の距離だった。知人の車に同乗させてもらったが、いったいどこを走っているのやら、さっぱりわからない。ひたすら緑豊かな同じような道をドライブし、途中、一泊し無事に到着した。

そこは有刺鉄線も高い壁もなかった。ゲートすらなかった。ピストルを構えた刑務官もいない。知らなければ、豪華な設備を備えたキャンプ場そのもの。

酒を断ち、トレーニングに集中していたマサさんは「生まれ変わったよ」と、元気いっぱいだった。

当時のマサさんの拠点ミネアポリスに戻るや、APの支局に飛び込んだ。当時は写真の電送は専門家にお願いしており、何本かフィルムを現像してもらった。知人とハグしビールを楽しむ写真を選ぼうとすると、APのカメラマンは「車のハンドルを自ら握るマサさん」をチョイスした。

「彼は自由になった。車の運転は自由の象徴だ」と力説する米国人。「自由」について、日米文化の違い、一人ひとりの思いがあること…APミネアポリス支局の暗室でのやり取りを今でも鮮明に覚えている。

この話をマサさんとは何度もした。「あんなところまで、良く来てくれたよな」と、繰り返し言っていただいた。

テレビ朝日「ワールドプロレスリング」の放送席に並んで座らせてもらった時にも、話題にあがり「あのキャンプのおかげで、俺は長生きできるんだ」と、豪快に笑い飛ばしていた。

数年前、リハビリに取り組むマサさんの取材をお願いした。マサさんとは電話でお話した。「元気だよ。そっちはどうよ」と、思い出話を楽しんだのが最後になってしまった。その時は「写真はまだまだ」ということで、そのまま保留案件になっていた。

2016年暮れ、昨年4月と、イベントに登場されたマサさんの姿に、勇気づけられていたが、きちんとお会いしないまま、別れとなってしまった。

2020年東京五輪を楽しみに、そして聖火ランナーで走ることを目標にして来たマサさんだが、残念ながら、叶わなかった。

再来年はきっと、星の窓を開けて、空の上から聖火ランナーを見守ることだろう。

マサさん、豪快無双の生き方、憧れでした。

ご冥福をお祈りします。

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