【編集長コラム】「巨人軍と新日本プロレス」

苦戦が続くプロ野球巨人軍。いまひとつ勢いに乗れないが、かつて巨人軍の練習グランドは、新日本プロレス道場の近くにあった。

巨人軍の球団特別顧問を務める原辰徳・前監督はプロレスファンとして知られている。タイガーマスクらと交流しているが、巨人軍の選手たちが同じ多摩川の堤防をランニングしていた頃には、多くのレスラーと巨人軍ナインが顔見知りだった。

ただ1980年(昭和55年)にともにデビューした、仲野信市と保永昇男は、ちょっと複雑だ。二人は巨人軍の定岡正二に似ていると言われていた。

そっくりとはいかないが、身長も185センチ前後で体型も似ており、遠目からみれば、雰囲気はあった。定岡は高校野球で甲子園球場を沸かし、1974年のドラフト1位で巨人に入団。1980年に初勝利をあげた人気選手で、二人とも悪い気はしなかったはず。

とはいえ、苦労もあった。ある先輩レスラーの家に、保永ファンたちが遊びに行った時のこと。「巨人の定岡に似ている若手を呼ぶから」となり、キャーッと歓声が上がった。すっかり保永だと思い込んでいたところ、来たのは仲野だった。期待していた女性ファンが泣き出してしまったという。

仲野は自分が悪い訳でもないのに「おまえのせいだ」と、先輩にさんざん怒られてしまった。板の間に正座させられ、出前のカレーライスもそこで食べたという。「理不尽だよね。でも先輩には逆らえないし・・・。だから巨人の定岡を見るの、複雑な気分なんだ」と、ぼやくことしきりだった。

多摩川の土手をロードワークしていると、仲野と保永二人は、巨人のファンに「定岡さんですか」と声をかけられていた。「だから別のコースで走っていた。『違います、定岡じゃ、ありません』とか言うのも面倒なんで。二子玉川駅の方へ向かって走る逆のコースとかね」と、二人は振り返る。

今ではあまり「誰々に似ている」などと言う話も聞かないが、保永レフェリーの登場を目にして、仲野と保永の苦笑いを思いだした。

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