【俺達のプロレス名勝負列伝・第8回】金沢に舞った赤と黒の飛沫(蝶野正洋VS馳浩 1994.9.19新日本)

新旧洋邦・数々のプロレス名勝負を独自視点で取り上げていく連載「俺達のプロレス名勝負列伝」。第8回は1994年9月19日新日本プロレス・石川県産業展示館大会で行われた蝶野正洋VS馳浩のシングルマッチです。

1994年8月のG1CLIMAXを制した元祖夏男・蝶野選手は心機一転、武闘派に転向を宣言します。同月の島めぐりツアーを全休した蝶野選手は9月シリーズでシングルマッチ連戦が組まれ、9月27日大阪城ホール大会での最終戦で橋本真也選手が保持するIWGPヘビー級王座に挑戦することが決定しました。しかし、そこにパワー・ウォリアー選手がIWGP王座への挑戦表明をしたため、急きょ9月23日横浜アリーナ大会でタイトルマッチが組まれました。そこに異を唱えたのが蝶野選手でした。

「なぜパワーのタイトル戦が先に組まれたんだ!俺は何なんだ?」

もし、パワー選手が橋本選手を破りIWGP王座を獲得した場合は最終戦の橋本戦はノンタイトル戦となることも決まりました。蝶野選手の不満はさらに高まります。この怒りをどうリング上で表現するのか。彼の真価が問われていました。またヒールではなく、武闘派転向と言われていたのには「ただ悪をやりたいから」という既存のヒール転向とは違いますよというニュアンスが含まれていました。

本隊から離れ一匹狼となった蝶野選手は白のコスチュームから黒のロングコート、ロングタイツ、リストバンドにモデルチェンジし、入場テーマ曲も「FANTASTIC CITY」から「CRASH」に変え、新生・蝶野として登場しました。

対戦相手は地元金沢でのメインイベントに気合が入る名勝負製造機・馳選手。実は蝶野選手は馳選手や佐々木健介選手(当時はパワー・ウォリアー)の躍進に危機感を覚えて、今回の武闘派転向に繋がったと言われています。蝶野選手にとっての初陣にはふさわしい相手でした。

試合は序盤から荒れに荒れました。蝶野選手が試合前から奇襲を仕掛け、場外にもつれこむ馳選手とイスや机を振り回すラフな展開。その最中に蝶野選手と馳選手で机の取り合いになった時に、馳選手の頭部に机の角が当たり、額から頭頂部をカット。さらに鉄柱攻撃やイス攻撃でさらに大流血に追い込まれます。

試合は終始、蝶野選手のペースで進みます。蝶野選手はこの試合でエルボーとケンカキック中心に試合を構築していきます。特にノーマルなものからバックハンドとあらゆる形で鋭角にダメージを与えていきます。元々クラシックなレスリングスタイルの蝶野選手は武闘派転向後のスタイルとして、打撃やチョーク攻撃といった手法に見出していました。

終盤、地元金沢のファンの大歓声を背に受け反撃する馳選手でしたが、黒いモンシロチョウと化した蝶野選手の勢いは止まりません。STFを仕掛け、ロープブレイクになっても執拗に離しません。場内は大ブーイング。盟友・馳選手の様子を見に来たパワー選手や観客を挑発し、場内は殺伐なムードになります。試合はケンカキックからのSTFで蝶野選手の完勝。

試合後蝶野選手はマイクでパワー選手と橋本選手を挑発。特に橋本選手への「ヘボチャンピオン、3分で倒してやるぞ!」はあまりにも強烈でした。武闘派転向初陣を見事な形で飾った蝶野選手。その後、黒のカリスマとしてプロレス界を席巻する存在にまで昇りつめた彼の原点といえるのはこの馳戦でした。

そして、この試合の重要なポイントがあります。実は蝶野選手は馳戦では凄い試合をやってのけたのですが、その後の試合は不発に終わり、最終戦の橋本選手とのIWGP戦も敗れました。武闘派としてやっていこうとしていた蝶野選手でしたが、まだこの頃は明確なスタイル確立には至らず、ラフファイトで相手選手に劣ってしまう場面も起きたり、何かと苦戦していた印象を強く感じました。だからこそ、武闘派となった蝶野選手を最大限引き出すことに成功した馳選手の技量が高く評価されるべき試合だったのではないでしょうか。

この日、金沢で馳選手による鮮血の赤と蝶野選手による毒々しい黒の飛沫が舞い、語りがいのある激闘として歴史に残ったのです。

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