【ZERO1】<田中将斗25周年特別インタビュー①>弾丸戦士、田中将斗誕生の歴史を振り返る!(FMW入団・大仁田・ハヤブサ、ECW参戦、ZERO1橋本・炎武連夢、ハッスル参戦まで)
【“永遠のライバル”大谷晋二郎とのタッグ炎武連夢の思い出】
–2002年には大谷選手と最優秀タッグ賞を取られましたね。このときは1年を通してどうでしたか?
田中:がむしゃらにやってきてたので、他団体とかにも出させていただいてましたが、秋山さん齋藤さんのベルトにもチャレンジしたけど取れませんでしたし、正直そんなに強いチームではその時はなかったですよね。
でも名前を発信してきて内容を見せてきた中での結果だと思うので、とても嬉しかったですね。それに確か僕も大谷さんも新人賞を取っていて、お互いに2回目の受賞だったんですよね、そんなことにも縁を感じましたね。
–タッグだと試合前に打ち合わせとかもされたんですか?
田中:全然なにも。事前にこういうのやりたいねとかは一切なかったですね。試合中に「大谷晋二郎、会場沸かしてんなぁ。俺ももっと沸かしてやろう」って感じでしたね。それがお互いにあったんだと思います。
–お二人の阿吽の呼吸ですね。炎武連夢は本当に熱いタッグだったので、まだ節目とかに再結成してほしいです!
田中:ないとは言えないですよね。炎武連夢という名前が浸透してきた以上、また何かに使ったら面白いですからね。
【2004年 ハッスル参戦】
–2004年にはハッスルにも参戦されているんですね。こちらはいかがでしたか?
田中:やってて楽しかったですね。ハッスルは結構エンターテインメント性が強かったですが、僕らに求められたのは試合内容だったんですけど、僕らの試合では外した試合はないんじゃないかなってくらい周りからいい評価はもらってましたね。
–では、田中選手がハッスルのリングで求められるのはいつもと同じだったと。でもハッスルのリングは独特なものがあったんじゃないですか?
田中:僕らがやっているのはほぼ同じでしたね。ハッスルですごいなって思ったのは、高田さんが総統としてしゃべっているのを見たときはすごいなと思いましたね。
–あのときは橋本選手、川田選手にもびっくりしました。
田中:でも印象に残っているのは、高田総統とHGさんとインリンさんでしたね。
–新しいエンターテインメントに寄ったプロレスを見せられたというか。何をやるんだろうというワクワク感がありましたよね。
田中:そういうのも僕がFMWにいる頃は、おちゃらけた部分というかハッスルのようなものはあまり受け入れられなかったんですよね。でも海外とかいろんなところを経験したことによって許容できるようになったというか。
なのでハッスルは僕自身楽しんでリングに上がらせてもらうことが出来ましたね。
–ファイトスタイルが広がったということですね。
田中:本当いろんなプロレスと呼ばれている全てのものを受け入れられるようになりましたね。だから食わず嫌いじゃないけど、入って楽しめたらそれはそれでいいしなって。
ド・インディーといわれるようなどの団体でもあがるし、メジャー団体もあがりたいし。でも一回体感してみないとよさというのは分からないなって思います。
(試合写真:伊藤ミチタカ氏)
☆次回、後半に続く!(近日公開予定)