【編集長コラム】「悪を貫いた飯塚高史」

飯塚高史が「極悪坊主」のまま、リングを去った。

かつて飯塚が「友情タッグ」を結成していた天山広吉が「本来の飯塚高史の魂を取り戻せ」と、必死に呼びかけたものの、飯塚は最後まで悪魔に魂を売り飛ばしたまま、ラストマッチを終えた。

飯塚が悪の道に走った11年前だった。天山を裏切り、突如、悪の道に走った際、インタビューを申し込んだ。すでに「ウガ、ウガ」としか話さなくなっていたが、タイガー・ジェット・シンの「ハタリ、ハタマタ」と同じように「ウガ、ウガ」のニュアンスで、何とか聞き出すことができたのは「飯塚高史の魂は、等々力渓谷の祠に置いて来た」という言葉だった。

当時の私のインタビュー記事をもとに、天山が新日本プロレス道場近くの等々力渓谷を、必死に捜索したが「飯塚高史の魂」は発見できなかった。それでも、最後まで天山はあきらめなかった。というのも、魂を失うまでの飯塚が、本当に善良で真面目な男だったのだ。

かつて新日本プロレス道場の恒例行事だった「餅つき」でのこと。すでに有望な中堅選手としての地位を築き上げていたのに、飯塚はヤングライオンたちに交じって、真摯に雑用をこなしていた。

つきあがった多くのお餅をいれた、大きなタライを頭上に置いて、せっせと運んでいた。その姿は、行商の女性「大原女(おはらめ)」のようだった。冷やかすと「効率いいんですよ。それに首を鍛えられるでしょ。ブリッジとはまた違ったトレーニング法ですよ」と、これまたきちんと答えてくれた。

レスラー仲間からも、関係者からも、飯塚の悪口は聞いた事がなかった。「絵にかいたような好漢」だった。

その男が、あの大変身である。テレビ朝日の野上慎平アナウンサーのYシャツを引き裂いていた。実は開場前の体育館で「ウガ、ウガ」と、一人、黙々とトレーニングする飯塚に「野上アナは、カメラマンが着替えのTシャツを用意しているように、非常事態に備えて、もう一枚Yシャツを常備している」と、要らぬ情報を伝えてしまったのは私です。その時、「ウガッ?」と、飯塚の目が光ったのは昨日のことの様です。ごめんね、野上アナ。

野上アナの顔や体に、さまざまな絵を描いたが、飯塚は高校時代、優秀な美術部員であった。「ウガ、ウガ」と、開場前の会場を走り込む飯塚の背中に「ドラえもん、いいよね。ウルトラマンはどうかな」と、声をかけたのも私です。飯塚はニヤリと笑ったようでした。ごめんね、野上アナ。

野上アナにプロレス大賞の司会をお願いした時、前日の打ち合わせで「飯塚は受賞していても、さすがに、こういう場には来ないから、安心して」と、誤情報を流しました。当日、飯塚に特別控室を用意したのは私です。

「ウガ、ウガ」と表彰式会場の後ろから乱入してくる飯塚に、野上アナができるだけ気づかないように、何やら話しかけて、注意をひいたのも私でした。

果たして、舞台上で襲撃された野上アナ。すぐそこに控えていた受賞者レスラーもスタッフも、黙って見つめるだけでした。ひとしきり暴れたのち、賞金をわしづかみにした飯塚は「ウガ、ウガ」と、去っていきました。

「さて」と、一人で壇上に戻った野上アナは、何事もなかったかのように、式次第を進行しました。そのスーツもYシャツもネクタイもよれよれでした。ごめんね、野上アナ。

ここ最近は、近づくことも難しくなっていた飯塚。悪の道を貫いて、引退してしまった。こっそりと祠から「飯塚高史の魂」を取りだす日は、近いハズ。その時がきたら、ゆっくりとお話しを聞かせて下さい。

33年間、本当にご苦労様でした。

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