【編集長コラム】「悼む 北尾光司さん」

「元横綱・レスラー」北尾光司さんが55歳で亡くなった。大相撲の第60代横綱そしてプロレスラー、格闘家として活躍したが、何かと話題には事欠かなかった。

プロレスに転向した1989年からのお付き合いだった。1990年2月10日のプロレスラーデビュー前後は、まさに密着取材。デビュー後も家族よりも多くの時間を共有した。

北尾さんの言動を毎日「雷鳴日記」として連載した。真摯にトレーニングに臨み、プロレスに真正面から取り組んでいた。デビュー直前の肉体は「見事」の一言。「横綱」から「プロレスラー」に大変身を遂げていた。

頑張っていた。ただ、期待が大きかったせいか、風当たりは強く、正当に評価されない悔しさと直面する日々だったかも知れない。泣き言の一つでも言いたくなるはずだが、彼の口から、ついぞグチは飛び出さなかった。

まだまだ携帯電話が普及する前で、一日、一緒に過ごした後にも、自宅の固定電話に連絡をしばしば、いただいた。当時は多くのレスラーから電話をもらったが「柴田さん、いらっしゃいますか?」と、いうのが北尾さんだった。「北尾さんからよ。ウチは全員、柴田ですけどね」と、苦笑いする女房から受話器を受け取ったものだ。

常に前向きな北尾さんだった。「こんな技を考えたんだけど?」「決め台詞はどうしよう?」などなど、プロレスへの愛とプロレスラーとしてのプライドに満ちた言葉ばかりだった。

確かに誤解されやすい一面もあった。残念至極である。結婚式にも出席させてもらったが、豪華な披露宴なのに、相撲関係者はほとんど見かけなかった。二次会には、奥様の友人であるお医者さんら医療関係者の方々が顔を揃え、新郎側は私一人だった。決して話のわからない人ではなかったのだが…。

北尾さん、渡米修行でルー・テーズ道場に入門した際、レンタカーを運転してくれましたね。「何か、加速悪いな」とぼやいていましたが、いつの間にか煙が出ていて、ノーフォークの街をパニックに陥れました。ハンドブレーキの解除が甘かったせいでした。それでも、車は動きました。北尾さんの脚力が凄かったんですよね。

北尾さん、海外修行には常に奥さん(当時は恋人)の写真を常に持ち歩いていましたね。

北尾さん、SWS加入後の温泉合宿での歓迎飲み会で、しこたま飲まされ、救急車を呼びましたね。付き添った私は、人間が「緑の水」を戻すのを初めて見ました。

思い出話は尽きません。武藤敬司からは、何度も「北尾のことばかり書いて、俺たちのこと、なかなか記事にしてくれなかったよな」と、チクチク言われました。SWSと問題を起こした時、天龍源一郎から「お前が悪い」と、睨みつけられました。

北尾さんの「番記者」だったことを誇りに思います。

天国から星の窓を開けて、丸い土俵と四角いリングを見守ってくれていますか。いつの日か、あの日のことを語りましょう。合掌。

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