【編集長インタビュー】「議員レスラー」西村修が語る③「何倍も食べて何倍も飲んだ」

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――天山広吉選手とは仲が良いですよね。西村さんの政界進出パーティーでも天山選手が激励の挨拶をした。しかも「天山選手も将来、出馬できる」という声があがるほど上手でした

 

西村 そうです。最高の盟友ですね。でも、若いころは天然ボケで彼の周りには笑いが絶えなかった。若手時代、橋本真也さんから「これでメシ食って来い」「ソープランド行って来い」って、たびたび、おこずかいをいただいた。

 

――いい話です

 

西村 これは、若いころの話ですからね。天山選手はほぼソープランド(笑い)。嬉しくて興奮して大変でした。でも、どこに電話していいのか、わからない。104(NTTの番号案内)に電話していました。「川崎で、5万円くらいで、いいところないでしょうか?」って(笑い)。

 

――なるほど。教えてくれたんですかね

 

西村 は、は、は、どうでしょう(笑い)。橋本さんは大阪のモデルガンショップで購入したライフル銃で天山選手を狙った。しかも天山選手の局部に空き缶をグルグル巻きにして・・・。天山選手の「イテテテ!」という声が、世田谷区野毛辺り(新日本プロレス道場の所在地)に、よく響いていました。まあ、みんな鍛えられ方は半端ありませんでした。橋本さんだけが特別に豪快なわけじゃなかった。ライガーさんも佐々木健介さんも後藤達俊さんも。

 

――黄金の4人ですか

 

西村 まあ、4人で競い合っていたわけじゃないんでしょうが、毎日が修行でした。

 

――橋本さんは車もお好きでした

 

西村 私が入門したときの愛車はカマロ。私が初めて運転した左ハンドルの車です。橋本さんの運転技術は、普通でした・・・。事故は、よく(苦笑い)。暴走族の集団に「うるせえ!」と自分から突っ込んでいってしまう(笑い)。他にも・・・。運転技術どうのこうの、ではないんです。

 

――車にはこだわりがありそうでしたが?

 

西村 カマロの次はベンツだったかな。ずっと乗っていたのはインフィニティでしたね。毎日、洗車に3時間、4時間。もちろん、私の務めです。おかげで洗車技術には自信があります。指紋一つでもあったら、一からやり直しでしたからね。

 

――車好きでも橋本さんご自身ではやらない?

 

西村 全く。すべて、他人任せです(笑い)。面倒なことは人任せなのに、凝り性でした。ライフル銃でも車でも、とにかく一番性能が良いのでないと気に食わない。わがままというか・・・橋本さんは始め当時のレスラーは「あまり地上に降りてきてはいけない。スターであるべき」という暗黙の了解があったんです。

 

――「雲の上のひと」でなければいけないと

 

西村 大見栄を切っていい車に乗り、飯屋に行っても人の何倍も食べなくちゃいけない。何倍も酒を飲んで「レスラーはレスラー」ってところを見せなきゃいけない。そういう教育がありました。昔は電車といえば新幹線しか乗りませんでしたね。(続く)

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