【新日本】<永田裕志インタビュー> 9・8千葉・東金アリーナでレスリング生活35周年記念大会開催! 東京ドームで引退のライガーが最後の東金参戦 G1卒業マッチのファレにリベンジ? “青義継続”で「ファンを笑顔に!」

――永田選手プロデュース興行『BLUE JUSTICE Ⅸ~青義継続~永田裕志WRESTLING LIFE35周年記念大会』が9月8日(日)、地元・東金アリーナで開催されます。恒例の地元での大会、回を重ねてきて反応はいかがですか。

「東金での(プロデュース)大会は8回目になるんですけども、地域貢献も兼ねた大会をやってきて、地域の方が喜んでくれるようになってますね。最初は年に一回は難しいだろうということで、2年に一回くらいのペースでやっていたんですが、年々回を重ねるごとに毎年やってほしいという声をいただくようになりました。2016年に東金大会をやって、その翌年(17年)が私の(デビュー)25周年だったので、そのとき連続でやってみたんですけど、とてもいい反応があったんですね。そこから毎年やらせていただこうということになりました」

――16年から4年連続での開催になります。しかも今回は、永田選手の“レスリング生活35周年”とのことですが。

「ハイ。こじつけと言えばこじつけなんですけどもね(笑)。レスリングをスタートしたのが16歳のときで、そこから35年が経って、レスリングとプロレス、両方のキャリアを合わせて35年。プロレスをやりながらもレスリングの方でもいろんな形で関わらせてもらってますので、こういう形で地元の東金市で大会を開催させてもらってお客様に喜んでもらえるようになったのも、レスリングとの出会いがきっかけだったなと。16歳のときにレスリングと出会ったことからいまの自分があるわけですからね」

――地元で始めたレスリングだからこそ、地元に還元したいと。

「そうですね」

――新日本の選手が個人のプロデュース興行を恒例にするのは珍しいですよね。

「そうですね。最初にやったのは2007年です。当時は新日本プロレスもなかなか厳しいときで、自分自身もなにか将来的にやらないといけないなと思ってたときなんですよ。そんなときに“(興行を)やったらどう?”という誘いというか、勧めもありまして、それでやらせてもらったのが最初です」

――当時、将来的にはプロモーターに、という考えもあったわけですか。

「まあ、当時はそこまで深くは考えてなかったんですけど、回を重ねるごとに地域のお客様から楽しみにしてもらえるようになった。実際、みなさんと触れ合うことに喜びを感じ始めたなというのがあるんですよね」

――お客さんにとっても毎年恒例という思いがあるかと思います。

「地元にいてもなかなか来られなかった人もだんだん振り向いてくれるようになりましたし、また、ありがたいごとに東金界隈以外のところからもたくさんのプロレスファンの方に来ていただいて、本当にありがたいなと思ってます」

――毎年やることで、かえって東金以外の人たちに東金をアピールしている部分もありますね。

「千葉県界隈だけではなく、東京ですとか、遠いところでは東北だとか山陰地方からもけっこう来ていただいているんですよ。大阪、神戸もそうですし、北海道から来られる方もいらっしゃいましたね」

――全国的にも永田選手の東金大会が定着、認知されてきていることになりますね。そして今回の『BLUE JUSTICEⅨ』はレスリング生活35周年記念大会。これについて、昨年の大会でリング上から予告していましたよね。

「ハイ(笑)」

――昨年の段階からすでに「35周年」でやろうというプランがあったわけですか。

「次を次をって考えてまして、いろいろと(アイデアが)浮かんできていました。まあ、こじつけじゃないですけど、なにか記念になるものはないかと。来年どうしようかとなったときに20年は10回目か、じゃあ来年(19年)はと考えながら、そうしたらこうやって地域貢献、地元で興行ができるのも自分自身がレスリングを始めたことがきっかけだったので、そのことも含めて地域への恩返しとか、地域が盛り上がってくれれば、楽しんでいただければとの思いで考えましたね」

――毎年、大会には青義軍にちなんだサブタイトルがつけられています。今回は「青義継続」です。

「継続という言葉が今回のちょっとしたテーマになるかと思います。新日本の諸先輩方がだんだん現役生活を退いている。昨年はスーパー・ストロング・マシンさんですとか、今年は飯塚高史選手で、今度は(来年)1月に獣神サンダー・ライガーさんが引退される。そのなかで自分のキャリアが新日本では一番上の方になってきます。それでも幸い、いま体調的にも悪いところがとくにあるわけではないので、そこで継続しているんだよとの意味合いもあったんですね。まだ現役を継続できるよという」

――昨年が「青義健在」でした。

「17年にG1 CLIMAXを卒業する形になりました。でも、まだ自分は健在だということから昨年は“青義健在”とつけました」

 

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