【新日本】大阪のリングに響いた鎮魂の10カウント“借金王”安田忠夫さん追悼セレモニー、波乱の62年に幕

華やかなスポットライトと、底なしの孤独。その両極端を味わい尽くした男の生涯が、あまりにも静かに幕を閉じた。

新日本プロレスは2月11日、大阪・大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)にてビッグマッチ『THE NEW BEGINNING in OSAKA』を開催した。

IWGPヘビー級王座戦を含む4大タイトルマッチが組まれ、満員の観衆が熱気に包まれる中、本戦開始前に厳粛な時間が設けられた。

2月8日に62歳で急逝した元IWGPヘビー級王者・安田忠夫さんの追悼セレモニーである。

リング上には棚橋弘至社長をはじめとする本隊の選手たちが沈痛な面持ちで整列し、遺影を持った関係者が中央に立つ。

会場全体が静寂に包まれる中、弔いの10カウントゴングが打ち鳴らされた。

安田さんの訃報が届いたのは、大会前日の2月10日であった。  

報道によると、安田さんは都内の自宅で倒れているところを発見された。死亡推定時刻は2月8日の午前2時頃とみられている。  

発見に至る経緯は、現代社会の孤独を象徴するようでもあった。

安田さんは亡くなる直前まで警備会社に勤務していたが、出勤予定だった8日に姿を見せず、連絡も途絶えた。

不審に思った同僚が自宅を訪ねたところ、室内で息絶えている安田さんを見つけたという。  

かつて数万人の大観衆を熱狂させた男は、警備員として社会生活を全うしようとしていた最中、誰に看取られることもなく独りで旅立った。

安田忠夫というレスラーの人生は、まさにジェットコースターのような激動の軌跡であった。  

1979年、中学3年生で角界の名門・九重部屋に入門。孝乃富士の四股名で小結まで昇進する実績を残したが、廃業後の1993年に新日本プロレスへ転身した。

翌1994年2月の日本武道館における馳浩戦でデビューを果たすも、当初はパッとしない中堅レスラーという位置付けに甘んじていた。

転機が訪れたのは2001年である。師匠・アントニオ猪木に見出され、総合格闘技のリングへ送り込まれると、その潜在能力が一気に開花した。  

多くのファンの脳裏に焼き付いているのは、やはり同年の大晦日に行われた「INOKI BOM-BA-YE 2001」であろう。

当時のK-1で“番長”として恐れられていたジェロム・レ・バンナを相手に、下馬評を覆すギロチンチョークで勝利をもぎ取ったあの一戦である。  

勝利の直後、リング上で愛娘を肩車し、顔をくしゃくしゃにして男泣きする姿は、格闘技ファンのみならず日本中のお茶の間に強烈なインパクトを与えた。

この勝利をきっかけに“平成のシンデレラ男”として一躍時の人となり、翌2002年2月には永田裕志を破って第30代IWGPヘビー級王座を戴冠。

人生の絶頂期を迎えた瞬間であった。しかし、栄光の光が強ければ強いほど、落ちる影もまた濃くなるのが安田さんの人生であった。  

現役時代から無類のギャンブル好きとして知られ、私生活は破綻の一途をたどった。家族とは絶縁状態となり、膨らんだ負債からついたあだ名は「借金王」。

本来ならば不名誉極まりない呼称だが、どこか憎めない安田さんのキャラクターと相まって、愛嬌のある異名として定着してしまった。  

だが、素行不良は改善されず、2005年1月には新日本プロレスを解雇される憂き目に遭う。

その後はIWAジャパン、ZERO1-MAX、ハッスル、IGFといったインディー団体やイベントを転々とする“流浪のレスラー”となった。

さらに世間に衝撃を与えたのが、2007年10月の騒動である。都内の自宅で練炭を使用し、意識不明で倒れているところを田山正雄元レフェリーに発見され、緊急搬送された。

一時は自殺未遂と報じられ、安田さんの精神状態が危惧されたが、後に本人がこれを否定するなど、その言動と私生活は常にカオスの中にあった。  

2011年2月に引退試合を行い、マット界から一度は身を引いた。その後はタレント活動なども行ったが長続きせず、職を転々とする日々を送っていたとされる。

公の場に最後に姿を見せたのは、2022年12月のアントニオ猪木さん追悼興行の記者会見であった。

土俵で、リングで、そして人生という名のマットで、不器用なまでに激しくぶつかり合い、傷だらけになりながら生きた62年。

借金、離婚、解雇、自殺未遂騒動……スキャンダルにまみれながらも、なぜか人々を惹きつけてやまない人間臭さが安田さんにはあった。

大阪府立体育会館のリング上、10カウントの余韻が消えると、最後に阿部リングアナが万感の思いを込めて絶叫した。  

「第30代IWGPヘビー級チャンピオン、安田忠夫~!」  

その声は、かつてバンナを倒し、娘を肩車して笑ったあの日の栄光を呼び覚ますかのように、会場の四隅へ響き渡った。

追悼セレモニーを終え、大会は熱狂の渦へと突入していった。4大王座戦をはじめとする激闘が繰り広げられるリング。そこにはもう、安田忠夫の姿はない。

しかし、その波乱に満ちた生き様と、一夜にして人生を変えた大晦日の奇跡は、プロレス史における特異点として、ファンの記憶の中で生き続けることだろう。

<写真提供:新日本プロレス>

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