【編集長インタビュー】「議員レスラー」西村修が語る①「橋本さんに殺意を覚えた」

「議員レスラー」西村修。東京・文京区議会議員として活動しながら、リングにも上がり続けている。地方議員とプロレスラーの両立は大変なはずだが「あの頃を思えば、できないことなんてない」とニッコリ。新日本プロレスに入門したのは、故・橋本真也さん、武藤敬司、蝶野正洋の闘魂三銃士が台頭を現した1990年。新弟子時代を振り返ってくれた。

 

西村と私

 

――西村さんが新日本プロレスに入門された1990年、ちょうど橋本真也さんが武藤敬司、蝶野正洋とともに闘魂三銃士として、のし上がったころですよね。最初は橋本さんの付き人でしたね

 

西村 三銃士全員の付き人を勤めました。総計、三年半です。最初が橋本さんで半年、その後の二年半が武藤さん、最後の半年は蝶野さんでした。まあ、橋本さんが断トツで大変でした。

 

――武藤選手や蝶野選手はあまり手が、かからなそうですね

 

西村 はい。最初が橋本さんで本当に良かった(苦笑い)。40年を超える人生で、一番、色んなことを教わった半年だったかも知れません。どんな理不尽なことがあっても、大丈夫です。

 

――当時は鉄拳制裁も当たり前ですか

 

西村 私自身、入門したばかりでプロレス界のルールとかしきたりなんて、何もわかりませんでした。しょっちゅう、ぶっ叩かれていました。仕方ありません。

 

――橋本さんは言葉で説明するタイプではなく、すぐに手が出ちゃう人でしたか

 

西村 手もそうですが、もの凄い勢いで怒鳴りつけるんです。説明は一切なし。「コラーッ!」そしてバカーン!ですね。相当やられました。ある時には往復ビンタを20発食らって気を失い倒れました。そこへ蹴りです。しかも橋本さんが当時よくはいていた蛇皮の靴のとがったつま先が、私の顔面に蹴りこまれました。目の下1センチぐらい。大流血しお医者さんに「あとほんの少しズレていたら失明していた」と言われました。傷跡は今でも、残っています。

 

――今なら大問題です

 

西村 でも、私のミスですから。きちんと礼儀ができていませんでした。あの時は私が悪かったですし。もっとも悪くなくても同じでしたけど(苦笑い)。

 

――付き人の心構えは橋本さんに教わった?

 

西村 そうですね・・・まあ。いい経験をさせていただきました。実は、その時、初めて、いやあの時だけですけど、人に殺意を持ちました。「なんで、ここまでされなきゃいけないんだ?」って・・・道場の台所の包丁を三時間、見つめていました。「この人がいなくなるなら、刑務所に何十年入ることになってもいい」と。(続く)

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