【TAKAみちのく&ファイヤー勝巳インタビュー:後編】「あの頃があるから今の自分がある」まだまだ終わらないプロレス人生について<プロレスTODAY増刊号>

JUST TAP OUTより、代表のTAKAみちのく、ファイヤー勝巳、がプロレスTODAY編集部に来社。

前編では、9月12日に開催する自身30周年興行『タカタイチデスペマニア』の見どころを解説。
後編では、自身の30年の振り返り、メキシコからアメリカWWF(現WWE)での活躍の裏話や、自身が立ち上げたKAIENTAI-DOJO、JUST TAP OUTへの思いを語った。

 

▼インタビュー全編はコチラからご覧ください。

※前編:【TAKAみちのく&ファイヤー勝巳インタビュー:前編】『タカタイチデスペマニア』直前!TAKAみちのくが自身30周年興行を語る<プロレスTODAY増刊号>

 

――『タカタイチデスペマニア』は、TAKAさんの30周年興行というわけですが、タイチさんも20周年ですね。

TAKA「そうですね。タイチと出会ったときは、彼が全日本プロレスで石狩太一という名前でデビューしたときで。まだ水色のショートパンツでガリガリで。なんだこいつ?って感じで強さもかけらもない選手だったんですよね。そのときはただの1人の若手としてだったし、こんなに繋がると思わなかったんですよね。」

――そうなんですね。

TAKA「で、僕は全日本世界ジュニアを持っていて。記念すべき10回目の防衛をタイチの故郷でやったんですけど、それが偉いひどい試合だったんですよね。で、そこから全日本を1回離れて、巡り巡って新日本プロレスで再会して。まさか同じ軍団に入り、まさかその後2人で興行をやるようになるとは思いもしませんでしたね。お互いジュニアだったのが、タイチは今ヘビー級ですし。本人はまだ満足してないでしょうけど、よくここまできたなと。お互いの性格は合わないんですけどね、多分お互いあいつはクソだって感じで。ただやっぱり仕事に関して、タカタイチに関しては、2人ですごい知恵を絞って、他では見れないものをやろうという思いでここまで来ましたよね。今回デスペラードも加わって、(タイチ)20周年(TAKAみちのく)30周年という大舞台。今後続くのか分からないけど、だからこそできる何でもありの何かをこれからも出せたらいいなと思います。だからタイチにメッセージ・・・難しいな。」

――難しいですよね(笑)

TAKA「まあこれからも罵倒しながらいい物を作っていけたらいいなと思ってます。。戦うとね、全く手が合わないんですけど。こうやって仕事面で組むと、意外といいものが作れるなってのはお互い気付いてる。お互いプライベートにあんまり興味ないし、そんな接点ないし。でもタイチとも腐れ縁ですよね、多分向こうも、なんか気づいたらいつも横にいるなこいつと思ってると思うんで。引き続き腐れ縁をお願いします(笑)」

――そして、今回メインのデスペラード選手。近年かなりブレイクされましえたが、TAKAさんはどのように見てらっしゃいましたか?

TAKA「いやすごいっすよね。それこそ鈴木軍入ったころはお荷物じゃないですけど、全然パッとしない状態でNOAHに殴り込みに行って。その時は自分と組んで、ジュニアタッグとか取ったんですけど。そのときにデスペを自分が組んでいる間に成長させてやりたいと思ったんですけど、駄目でしたね。そこまでいい活躍をさせてあげられなかった。でも新日本戻って、ノブさん(金丸義信)と組んだら急に伸びたんですよね。ノブさんすげぇなって。」

――やっぱりパートナーによって違うものですか?

TAKA「全然違いますね。自分と組んでるときは、正直いまいちだったのに、ノブさんと組んで開花したんで。金丸義信のおかげでデスペは今こうなってるんじゃないかなと分析してます。いや、間違いないっすね。シングルでも調子がよくなって、今やめちゃくちゃ人気選手ですからね。発信力もあるし。タイチとも言ってますけど、デスペがこんななるとは思わなかったと、そういう印象です。」

――そしてここからはTAKA選手デビュー30周年ということで、いろいろ振り返っていきたいと思います。

■1992年9月4日、ユニバーサル・プロレスの東京・後楽園ホール大会のスペル・ティグリート戦でデビュー

TAKA「誰やねん!って(笑)。和訳すると”スーパー小タイガー”。一応先輩だったんですけどね。本当はデビュー予定じゃなかったんですけど、インディーあるあるで来るはずだった外国人が来れなくなったんですよね。それでどうしようってなって、僕に『デビューできるか?』って連絡が来て、『え・・え・・あ、デビューできます。』って感じだったんですよ。全然できる体制ではなかったんですけどね。体もできてないし、技術もあまりなくてレスリングテクニックぐらいしかない。でもデビューしたいから『出来ます!』って言っちゃいますよね。それでデビュー決定しちゃったんですけど、急遽でしたね。」

――心はまだ整っていなかったんですね。

TAKA「だけど別に、やれるならやってみようと思って。でもそのデビュー戦でちょっと事件が起こって。まあ先輩相手なんで、いろんな人に言われたですよね。『どうせお前技術も何もないから気合いだ、気合い!』って。そうだよなぁって、やれることやってみようと思って始まったらもうずっと終始、ボコボコにされましたよね(笑)。もうこれ駄目だってときにとりあえず後ろにぶん投げたんですよね、フロントスープレックス。それが多分不十分だったんで、突き刺さっちゃったんですよ。その後、クラクラしてたんですよね。そこを回転固めで3カウント。」

――それはご自身でもびっくりされましたよね?

TAKA「あれ?勝ったの?って。先輩も『?』ってなってたんですけど、その後リング上で殴りかかってきて、往復ビンタですよ。で、両方鼓膜破れて。あれはすごかったですね。その先輩はすごい苦労してデビューしたのに、ぽっと来た数か月の外国人の代わりに出た新人に負けるというのですごい怒りだったんでしょうね。しかも控室じゃなくて、リング上っていう。だから障害忘れられないデビュー戦ですね。」

――ファイヤーさんは、代表のデビュー戦いかがですか?

勝巳「信じられないですね。同じ後楽園でデビューしたとは思えないですね(笑)」

 

■みちのくプロレスの旗揚げに参加

TAKA「ユニバーサルプロレスの日本人にギャラ未払いとかいろいろあって、サスケ会長といろいろ(不満が)溜まっている中で、自分の食いぶちは自分で作ろうと。今でこそ地方にいろんな団体ありますけど、当時はプロレス団体が東京にしかなかった中で、日本初のローカル団体を地元の盛岡で立ち上げるから、TAKAも協力してくれって言われたんですよね。それ面白いなと飛びついたんですよ。当時一番大っ嫌いな先輩だったんですけどね、グレート・サスケ(笑)。すごい厳しくて、なにか話しかけただけで怒られたり。いつか殺してやるなんて思ったりして(笑)。声かけられてからは、いろいろ話しましたし、一緒に練習や営業活動をさせてもらったりして。やっぱ画期的でしたよね。プロレス団体が東京にしかなかった頃に、東北でやるというのは。一生懸命、選手が東北の市町村回りをして、『東北に娯楽を』というのがコンセプトだったんですよね。」

 

■1997年WWF(現WWE)と契約し、初代WWFライトヘビー級王座を戴冠

――WWEのトライアウトですが、サスケ選手がトライアウトを受ける立場だったとか。

TAKA「トライアウトというか、あの人(サスケ選手)もう入団すること決まってたらしいんですよ。グレート・サスケを売り出そうってなったときに、その対戦相手をどうしようってなったときに、ちょうど僕メキシコ遠征してたんですよ。そこで、始めてやる外国人選手よりも近くにいるし、手の内も分かる自分の方がいいってなったんじゃないかなって思うんですよね。」

――そういうことで呼ばれたんですね。

TAKA「でも僕、絶賛お腹下り中で(笑)、めちゃくちゃ体調悪かったんすよ。だから行くのしんどいって言ったんですけど・・・。向こうのエージェントがメキシコまで迎えに来て、連れてかれちゃったんですよね。今でもはっきり覚えてます!カナダカルガリーまで連れてかれて、初日がペーパービュー、2日目が『RAW IS WAR』という生放送で。当時もWWFがすごいのは分かってたつもりだったんですけど、今思えばとんでもないことですよね。2連戦2連敗だったんですけど、動きを見てビンス・マクマホンが『こっちの方がいいね』ってなって。そこから大変ですよ。自分的には2試合して、貴重な経験できたなぐらいだったんですけどね。その後サスケ会長が交渉で揉めたらしくて、じゃあもうめんどくさいからこの青い方(TAKAみちのく)にしようかって翌週も呼ばれちゃったんですよね。テキサスで試合をしたんですけど。それを知ったグレート・サスケが勘違いしてぶちぎれて、『俺が入るはずだったのにTAKAが横取りしやがって』って逆恨みされちゃって。それからずっと言われたんですけど、その延長でみちのくの両国大会に自分がWWF所属として凱旋して、グレート・サスケとメインイベントをやったんですよね。」

――大変でしたね。

TAKA「喧嘩マッチでしたね。喧嘩マッチで負けましたけど、これでけじめがついてアメリカで羽ばたけましたね。」

――何があるか分からないですね。

TAKA「そうですね、WWFに入るなんて夢にも思わなかったですし。そういうとこで1、2試合してみたいなっていうのはありましたけど、まさか入るとは。でも行ったら行ったでホームシックですよ。メキシコ遠征だって半年くらいで帰る予定だったのに、まさかのWWF入りで。今でこそ日本人多いですけど、そのときなんて自分1人で22、3の言葉もよく分からない若造がポツンと大男の中に入れられて。地獄の苦しみでしたね。」

――さびしかったでしょ?

TAKA「本当にホームシックで、日本に電話したり。パソコンもその時覚えましたね。インターネットを覚えて、チャットとかで日本と交流できるので。何十万もかかりましたからね。今ですらLINEとかありますけど、あの頃ないから国際テレホンカードみたいなの買って。暇さえあれば日本に電話してましたよ。メキシコは帰ること決まってましたけど、WWFは契約が3年で。最初5年って言われたんですけど、短めにしてもらって(笑)。ってことは俺3年間もここにいなきゃいけないのかって思ったら、本当にしんどかったですね。」

――でも世界最大の団体でやられたことで、プロレスラーの格が凄い上がったんじゃないですか?

TAKA「精神力がね。もうどこ行っても生きていけるなっていうのは本当に思いましたね。今回オーストラリアに行っても全然平気だったし。でもあの頃は本当に地獄でしたね。みんなとワイワイやってても孤独感に押しつぶされそうになって、控室で座ってたりすると、『大丈夫か?病気か?』とか言われて。『いや、誰も話しかけないで。』みたいな。異国で1人の絶望感が半端なかったですね。1人で海行ってぼーっとしたり、この先には日本があるんだよなって考えたり。」

――すごいですね、それを乗り越えたこともそうですが、なかなかできない経験ですよね。

TAKA「海外に1人で行ってたら、誰しもがなるんじゃないですかね。今はそういうのあまりないですからね、誰かと一緒だったり、新日本プロレスでも日本人何人かで行ったり、WWEにも日本人今たくさんいますしね。でもだからこそ、メンタル最強。何も恐くないですからね、人間としてパワーアップしましたね。」

勝巳「・・・自分だったら潰されてましたね。」

TAKA「いや俺も潰されたんだって。潰されて海に行ってたんで。」

――自分の立場だったら完全に壊れてたんじゃないかなって思いますよね。

勝巳「自分が言うのなんですけど、代表かわいそう~って思いましたね(笑)」

 

■1998年3月29日、WWFで年間最大の祭典であるレッスルマニアXIVに日本人レスラーとして初出場。アギラとのWWFライトヘビー級選手権試合に勝利して初防衛に成功

TAKA「これは嬉しかったですね。あまりアメリカのプロレスに詳しくない自分でも、レッスルマニアは知っていて中高生のときにビデオ借りて見てましたからね。」

――しかもその大会で、WWFのライトヘビー級選手権試合に勝利して初防衛成功してますよね。

TAKA「初防衛かどうか忘れましたけど、防衛戦でしたね。ただ今でも覚えているのは、自分あまり緊張しない方なんですけど、このときはカチコチだったんですよね。いつもと雰囲気が違う磁場を感じたんですよね。今改めて映像見ると、出た瞬間にもう歩き方おかしくなっちゃってて(ロボットのような)。とりあえずそれでも何とか試合して、バックステージまで戻ったんですけど、そこでぶっ倒れちゃったんですよね。わずか5分弱の試合なのに、息が上がっちゃって、過呼吸みたいな。もう死ぬ死ぬって思いましたもん。レッスルマニア磁場ってすげぇなって。あんななったの、それ1回だけですもん。東京ドームでも感じますけど、あんななったのは本当にあの時だけですね。本当に動きがロボットで、よくこれで試合できたり場外飛べたりしたなって(笑)」

――現在のWWEには日本人選手も多数いますが、たとえば中邑真輔選手はTAKAさんから見ていかがですか?

TAKA「全然自分なんかよりすごいとこにいると思いますよね。今のほうが大変だと思います、出続けることが。あそこに出るってことはとんでもないことですよね、行った人間だから分かりますけど。今RAWやSmackDownとかありますけど、それより下の番組もいっぱいあるわけじゃないですか。そういうところしか出ない、あるいはダークマッチにしか出ていなくてテレビには映らない連中が多い中で、メイン級ですよ。すげえなとしか、ヘビー級だし。僕はどうあがいても軽量級だし、長年いるのは本当すごいですね。」

――でもWWFでTAKAさんが軽量級の扉を開いた選手なんじゃないかなと思うんですよね。あの頃は、アンドレ・ザ・ジャイアントやハルク・ホーガンなどの超大型の選手が人気だったじゃないですか。

TAKA「たしかに軽量部門の先駆けですけど、でも自分があの時もっとすごいこと出来ていたら、もっとWWFの軽量級を活性化で来たんじゃないかなと思いますね。」

 

■2000年にプロレスラー養成所KAIENTAI DOJO(K-DOJO)を設立。2002年4月に国内で団体として旗揚げ

――KAIENTAI-DOJOは、自分の弟子とは言わず後輩という言葉を使ってらっしゃいましたが、この団体を通じていろんな選手が旅立っていきましたね。

TAKA「弟子ではなく後輩と言ったのにも理由があって、KAIENTAI-DOJO立ち上げたの自分ですけど、そんなに手ほどきしてないんですよ。1期生のヤス・ウラノだったり、NOAHにいるHi69だったり、木髙イサミだったり。こと細かく丁寧に教えたっていう印象がないんですよ。当然教えられた方もそういう印象しかなくて。だからTAKAみちのくを師匠だと思ってない。そりゃそうですよね、何か細かく教えたわけじゃない。KAIENTAI-DOJO最後の方にちょっと教えたくらいで。リングネームやテーマ曲はプロデュースしましたけど、だから彼らからすれば師匠とは言いたくない(笑)」

――でも、この場があったからこそプロレスラーになれた部分もあると思うんですよね。

TAKA「だから自分もちょっと弟子とは言いづらいですね。逆にJTOのメンバーは結構細かく教えているので、弟子って言いきれますけど、KAIENTAI-DOJOのメンバーは自分の弟子とは言えないですね。」

――ファイヤーさんはJTOとしてデビューされてますけど、今の話聞いていかがですか?

勝巳「僕この(インターネット)ラジオ見れてなくて。ヤス・ウラノさんが出たことは知ってたんですけど、見逃したんですよね。聞けばよかった~って。」

TAKA「もうまさに今言った話だよ。それをヤス・ウラノに言われて、そうだったんだ俺自身全然覚えてなかったけど、全然何もしてこなかったなって。」

勝巳「今と全然違うから、本当に僕たちは幸せ者だなぁって思いますね。」

――やはり手ほどきを受けてる中で、これはよかった、これは大事にしていこうというようなものはありますか?

勝巳「メンタルは強く持てっていうのは、最初から言われてますね。代表ほどメンタルは強くないですけど、そこは普通の人よりかは強いんじゃないかなと思いますね。ポジティブ精神ですね。」

■2011年には鈴木みのると鈴木軍を結成

TAKA「これは大きなきっかけでしたね。元々は小島聡率いる小島軍だったんですけどね。コジがどうしようもなかったんでね、先輩ですけど全然頼りなかったし。これは駄目だなってタイチとなってる中で、鈴木みのるさん参戦するとおっしゃったので、じゃあこちらに乗り換えようと。もう忘れもしない、福岡国際センターで裏切りを決めて始まったのが鈴木軍なんですよね。あの人からはなんだかんだ言って、自分もタイチもいろんなことを学んだし、デスペやランスが入ってどんどん大きくなってもう10年ですよね。図式は変わりましたけど、やっぱり鈴木みのるというボスがいたからこそ出来たこともいっぱいありますよね。だから感謝しかないです。今回の30周年知赤井も出てもらいますし。切っても切れない人ですね、自分的に。

――鈴木選手はいまだにトップ戦線で、海外からの評価も非常に高いですよね。

TAKA「それが凄いなって思いますよね。53、4歳ですよね、キャリアも30年を超えて。だから自分もまだまだだなって思わされますよね、見てると。」

――体一つで、本当に海外のファンを熱狂させられる。すごいですよね、飛んだり跳ねたりという派手な技をやるわけではないのに。

TAKA「蹴る殴る決めるですよ(笑)」

――そして、今回声出しOKということで『風になれ』の大合唱をすることができるという。

TAKA「ひさびさにできますよ。」

 

■2019年7月にJTOを旗揚げ(初代KING of JTO)

TAKA「思い通りに来たような来てないような。まあコロナがありましたからね。これは世界中のものなので仕方がないと思いますが。それでもしぶとくプロレスは生き残ってますよね。完全回復の目途はないかもしれないですが、プロレスの芽は消えないので。プロレスを見て元気になる方もいらっしゃるかと思いますし。この団体が自分の人生の最後の場所だと思っているんで、本当に自分のやりたいことを追求したいと思いますね。KAIENTAI-DOJOも最初はそうだったんですよ。ただやっぱり、月日が経ってたくさんの人が関わるようになって、自分の意見がぶれちゃったんですよね。あれもいいね、これもいいねってなったときに、あれ自分のやりたいことってなんだっけ?って。まあいろんなことがあってKAIENTAI-DOJOをやめたので、最後に本当に自分のやりたいことを突き詰めてやっていこうと思って、JTO(JUST TAP OUT)を立ち上げて。今のところそれが出来てるかなと思いますね。自分のプロレス感を継承してくれる人間を育てて、たとえ自分が消えてもそれが続いていくようにしたいと思ってるんで。あとはもう他団体がやってることをやってもしょうがないので、やってない新しいやり方でプロレスを使ってやっていく自信があるし、プロレスの力で。それをできる人間を育てつつ、プロレスで社会貢献。自分の人生最後の道だと思ってます。」

――30年続けてきたわけですが、その秘訣というかこれだから続けてこれたっていうのはありますか?

TAKA「自分は小学生の時にプロレスラーになるって決めて、全くぶれずにここまで来たんですよね。そして常に、今も、上だけ見て突っ走ってきて。その強い思いだけですね。うちの若いのに言うのは、プロレスやりたいだけでなく、なったからには上を目指してほしいと思うんですよ。上昇志向、最強メンタルがあれば仮にプロレスがダメになってもどこでも生きていけると思うんですね。僕はプロレスしかない、プロレスが天職だと思って、死ぬまで現役でいようと思いますし。そこにこだわってほしいなと思います。やっぱりプラス思考・メンタルですね、こればっかりは口で言っても分からないので。地獄を見ないとね。人それぞれの試練ってあると思うんですけど、乗り越える試練じゃないとつぶれてしまうので。どうやったらこのタイプは育つのかを常に考えてるし、それを考えることによって自分が成長出来てるっていうのもありますよね。」

――思い続ける力で30年ですね。

TAKA「ほんとそうですね。もうプロレスしかないし、プロレスをやめようなんて思ったことないんですよね。人生プロレスだから。だから自分としては同じような第二第三のTAKAみちのくを作りたいなって思うんですよね。みんなにいつも言ってるんですけど、『俺になるのは簡単なんだよ、だって俺が出来たんだから。』って。30周年やってきたことのよかったこと悪かったことを、今レクチャーしてるわけなのでここまでは来れるんですよ。その上に行くのは、自分自身で考えれば行けるわけだから。その30年間を凝縮して教えてこんでいるので、だからうちの選手は成長が早いのかなと思います。でもメンタルの部分だけは、自分で理解して動かないといけないので難しいところですね。」

――最後にお2人の今後の目標を聞かせてください。

勝巳「とりあえず、代表の30周年の『タカタイチデスペマニア』で活躍して、勝ちたいと思いますね。そしてプロレスラーといえば、ファイヤー勝巳と言われるくらい知名度を上げていきたいと思いますし、いつかは代表を超える選手になりたいと思います。」

TAKA「ファイヤーが言ったように、その壁になれたらいいなと。出来る限り壁になりたいと思いますね。そしてプロレスラーなので、”プロ”というからにはそれだけで食っていけるように。JTOの選手でもプロレスだけで食えてるのは1人2人いるかいないかなので。そのためには会社を大きくしなくてはいけない、収益を上げていかなくてはいけない。KAIENTAI-DOJOでは出来なかったことなので。JTOももう3年経ちましたが、5年以内に主軸はプロレスだけで食えるようにしたい。そういう会社を育てたい、それが今のこれからの自分の使命ですね。」

<インタビュアー:プロレスTODAY総監督 山口義徳>

 

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※前編:【TAKAみちのく&ファイヤー勝巳インタビュー:前編】『タカタイチデスペマニア』直前!TAKAみちのくが自身30周年興行を語る<プロレスTODAY増刊号>

 

【大会名】~TAKAみちのく30周年記念大会~タカタイチデスぺマニア
【日程】2022年9月12日(月)開場:17:00 開始:18:00
【場所】東京・国立代々木競技場 第二体育館

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