厳しいしごきも夢があるからやめなかった。ジャパン女子OGユウ山崎のプロレス人生

 だが、身体の調子がよくなってくるとレスラーの性か、闘ってみたくなるもの。しかし彼女はプロレスではなく、シュートボクシングを選んだ。きっかけは、シュートボクサーの中村ルミに誘われての観戦。元プロレスラーということもありいきなりプロデビューの話もあったが、彼女はアマチュア大会から出場する道を選んだ。それは、「自分がどれだけ強いか知りたかったから」だという。

 その後、アマチュアで結果を出しプロ転向。その時点で、負けたら引退を決めていた。「風間ルミとの異種格闘技戦」という夢も抱いたが、実現には至らず。プロでは7戦5勝1敗1引き分け。1敗を喫した日に、シュートボクシングからの引退を決めた。


写真:本人提供

「初めて負けたときに、思った通りにやめられました。トロフィー並べて優越感に浸れたので、もういいなと思って(笑)。でも、ここからまだ続くんですよ。シュートやめてから、こんどは金メダルほしくなって(笑)」 

彼女の格闘生活は終わらなかった。次はアームレスリングで力を試したいと考えたのだ。プロレス入りを決めた父との腕相撲が、ここで蘇ったのである。

「なんで腕相撲かというと、レスラーのとき負けたことがなかったんです。チエ(D・関西)ちゃんにも負けなかったし」

 特訓の末、夢の金メダルには届かずとも全国大会で4位入賞も果たしたという。このときすでに40歳を超えており、方向転換。これまでの経験やスキルを活かして勉強し、さまざまな資格を取得。あらゆる車種の運転免許も取り、ドライバーとしても働いた。

「ほとんどの車を運転できます。タンクローリー、コンクリートミキサー車も乗りましたし、乗れない車がない。毒薬も運びました(笑)。私って背が低いじゃないですか。大型車って階段を上がらないと運転席に座れない。そんな私が車から降りると、見た人が驚くんですね。その顔を見るのがおもしろくてやってる部分があります(笑)」


写真:本人提供

 そして現在は、「健康デリバリー ユウプラス」の代表ボディメンテナンストレーナー。K-1ジム自由が丘にてパーソナルトレーニングと神経整体を担当し、女性の健康をサポートする活動をおこなっている。

「たとえば、階段から落ちて2年間動けなかった80歳くらいの方が3回程施行して、庭で水やりをできるくらいまでになりました。いろんな方の不調を治していけるんじゃないかと思っていて、それをずっとやっていきたいんですよね」

 女性の不調を治したいとの思いは、プロレス格闘技で痛みを味わってきたから。では、彼女にとってプロレスとは何だったのか、聞いてみた。

「プロレスは、すごくいい経験でした。若さゆえにいろんなことありましたけど、やりたくてもやれない人がたくさんいたなかでできたことがホントに感謝だし、マリちゃんが誘ってくれなかったらたぶんプロレスラーになれなかった。だから彼女にもすごく感謝していて、プロレスには感謝ばかりです。いまは時代とともに技も磨かれて女子プロはすごいことになってますけど、いまの人たちとはまた違うプロレスを経験できてよかったなと思いますね。いま自分が若かったらたぶん選ばないと思うけど、あのときぶっ飛ばされてきたからいまがある。そう思うとやっぱり感謝しかないです。それにしても、いまも現役の尾崎はすごいですね。尊敬しています」

「痛いと言ったらプロレスをやめるとき」と解釈していたジャパン女子時代。いまは他人の痛みをやわらげて治す側。デビューから39年が経過し、現在57歳。いまでも若々しい話しぶりだった彼女はプロレスを通じて、この先ずっと続けたい仕事と出逢ったのである。

インタビュアー:新井宏

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