摩天楼に刻んだ「ドラゴン」の名。古稀を過ぎてもなお燃え盛る、“炎の飛龍” 藤波辰爾の「終わらない旅路」

■WWE殿堂入り。世界が認めた「ジャパニーズ・スタンダード」

2015年、藤波に朗報が届く。

世界最大のプロレス団体WWEからの、殿堂入り(ホール・オブ・フェーム)のオファーだ。

日本人としては、アントニオ猪木に続く快挙。

これは、藤波辰爾個人の名誉である以上に、日本のプロレス界にとっての大きな勝利であった。

WWEはエンターテインメントの最高峰である。

その歴史の中に、藤波の名が刻まれた意味。

それは、藤波が築き上げた「ストロングスタイル」や「ジュニアヘビー級の戦い方」が、世界に通用する「普遍的な価値」であると証明されたことに他ならない。

 

■72歳の現在地。なぜ、藤波辰爾はまだ闘うのか

そして現在。藤波辰爾は72歳になった。

全盛期のスピードはない。ジャンプ力もない。肉体は衰えたかもしれない。

だが、リング上の藤波には、今の若手選手には決して出せない「味」がある。

ロックアップした瞬間の重み。 相手の技を受ける時の、間。 そして、ドラゴンスクリュー一閃の切れ味。

それら一つひとつに、50年以上の歴史が詰まっている。

藤波は言う 「いまのプロレスとは違った楽しみを感じてほしい」これは、過去の栄光にしがみつく老人の繰り言ではない。

「プロレスには、速さや激しさ以外にも、こんなに奥深い楽しみ方があるんだぞ」という、未来への提示だ。

2022年10月1日。 師匠・アントニオ猪木、死去。 その訃報に接した藤波は、人目もはばからず号泣した。

「オヤジ」と慕い、追いかけ、反発し、それでも愛し続けた存在。

猪木の死は、藤波にとって一つの時代の終わりを意味していた。

しかし、同時にそれは「猪木イズム」を次世代に繋ぐという、新たな使命の始まりでもあった。

72歳となった今も、藤波の肉体は凄い。 代名詞であるドラゴンスクリュー。

相手の足を捕らえ、回転するそのスピードは、まだまだ鋭い切れ味を誇る。

ドラゴンスリーパーで相手を絞め上げる時の、あの鬼気迫る表情。

そして、試合後に見せる、仏のような温和な笑顔。 そのギャップこそが、藤波辰爾というレスラーの深みだ。

息子・LEONAの成長を見守りながら、自らもリングに立ち続ける。 その活動は精力的だ。

特に藤波辰爾に憧れを抱いていた棚橋弘至との遭遇は、新旧エースの魂の交錯として、ファンの胸を熱くさせた。

「時空を超えた縁」。 藤波は、過去と現在、そして未来を繋ぐ架け橋として、マット界に存在している。

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