【新日本】 S・S・マシン引退にKY若松も駆け付け、マシン軍団が大暴れでL・I・Jに勝利! 引退セレモニーでは多くの仲間に囲まれ、最後は亡き妻へ感謝のメッセージを捧げ約40年のプロレス人生に終止符を打った!!

 

ここでマシンがマイクを手に取り、会場と全国のファンへ向けて挨拶。

マシン「(※『マシン』コール)1978年、昭和53年、ある青年が、新日本プロレスに入門しました。5月の13日のことです。あれからちょうど40年、私のプロレス人生も40年。その青年は、数年後に海外武者修行へ出かけ、約2年間、その後、行方をくらましました(※場内笑&大拍手)。そして、ある年の後楽園大会に、謎のマスクマンが出現しました。私です(※場内笑&大拍手)。約34年前の話です。当時としては、かなり奇抜なデザインのマスクとコスチューム。いまじゃあ、なんのことはないんですけど(※場内笑)。あるマスコミからもよく批判されました。『マンガチックだ』『くだらない』とか。でも、リング上ではストロングスタイルを貫き通しました(※大拍手)。それが、私が40年間プロレスを続けられた一番の宝物です(※大拍手)。本来ならば、『生涯現役で』と思ってましたけども、さすがに、古傷があちらこちら出てきまして、リングで受け身を取れるような状態ではなくなってしまいました。まあ、会社のすすめもあり、数ヶ月悩みましたが、この引退式を決断いたしました。なぜ、引退することを決断したのか? それはやはりケジメです。いままで応援して下さったファンの方々、私のことを一生懸命ヘルプしてくれた新日本プロレスの全選手たち、そして新日本プロレスのスタッフ一同様、そしていままでずーっとずーっと新日本プロレスを応援し続け、これからも永遠に応援していただけると思われるファンの皆様に、キッチリとここで最後のご挨拶をしたいと思い、決断いたしました(※大拍手)。私もいろんなユニットに参加し、まあ、数えたらキリがありませんね。こんなに多くのユニットに参加したレスラーというのは、私ぐらいじゃないでしょうかね!? マシン軍団から始まり、カルガリーハリケーンズ、ブロンドアウトローズ、レイジングスタッフ、もう思い出せないぐらいいっぱいあります(※場内笑)。でも、全部の軍団が、私のプロレスのやりがいを起こさせてくれるような楽しいユニットでした(※大拍手)。私のプロレス人生に、まったく悔いはありません。『やりきった!』という感じです。次は第二の人生を考えなくてはいけないんですけど、まずは自分のコンディションを整え、それからゆっくりと考えて行きたいと思います。まあ、小学校5年生ぐらいからずーっとプロレスのことばかり考えて、約50年近くなりますけど、プロレス以外のことは何も考えられないので、ちょっと時間がかかるかもしれませんけど、第二の人生の目標を早く見つけたいと思っております。本当にいままで私を応援して下さったファンの皆様に、心から深くお礼を申し上げます。どうもありがとうございました(※大拍手&『マシン』コール)」

   

ここでテンカウントゴングが行われ、尾崎リングアナが「“機械の中の機械”スーパー・ストロング・マシン!!」とコール。そして、再び場内に「ハリケーンズ・バム」が鳴り響き、大「マシン」コールが起きた。

すると、マシンが音楽を止め、再びマイクで話し始める。

マシン「スイマセン。途中で止めてしまって。もうひとつ。これはマスコミの方々にも、ファンの皆様にも、伝えていないことがありました。(※場内ざわめき)笑わないで下さい。もう1人、大事な人に、深い感謝の言葉を、この場をお借りして捧げたいと思っております。本年、1月25日、午前7時12分、28年間連れ添った我が妻マサミが、がんのために天国へ旅立ちました。この場をお借りして、天国の妻へ感謝の言葉を、声を大にして捧げ、私の挨拶を締めさせていただきたいと思います。(※マイクを足元へ置いて天を仰ぎ)マサミーー!! ありがとーー!!(※大拍手)」

これでマシンがリングを降り、長年に渡るレスラー人生に終止符を打った。

 

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