【編集長コラム】「今こそJAPANに力道山!」

力道山夫人の田中敬子さんが「今こそJAPANに力道山!~空手チョップに込められた願い~」(星雲社)を出版した。

敬子夫人は本のタイトル「今こそ力道山!」の由来を明かす。

「日本プロレスの父」力道山が不慮の死を遂げたのは、前回の東京オリンピック(1964年)が開催される前年だった。

敬子夫人は、二度目の東京オリンピック(2020年)が控える今年2019年の日本は、1963年の日本と似ているという。

力道山が繰り出した「空手チョップ」には、日本国民に「元気、勇気、日本復興」を伝えようと願いがこもっていた。

2020年東京五輪のスローガンの一つが「東日本大震災からの復興」であり、この一冊には、戦後復興の象徴だった力道山を、今こそ改めて思い出してほしいという敬子さんの思いが詰まっている。

秘蔵の写真が公開され、敬子夫人しか知らない力道山(百田光浩)の素顔、そして死の真相が描かれている。

戦後の日本に、元気や勇気を与えたのは間違いなく力道山である。必殺・空手チョップでバッタバタと「敵国」の選手をなぎ倒し、意気消沈していた日本国民は大熱狂。明日への活力、希望となった。

当時を知る人は「ものすごい人気で大スターだった。街頭テレビは黒山の人だかり」と振り返る。

電気店の店頭には「テレビで力道山を見よう!」「家でプロレスが見られます」など、今で言うキャッチコピーが並び、力道山見たさに、高価なテレビが売れたという。

テレビの普及にもひと役買ったのだから、日本の経済復興にも貢献した訳で、スケールが違った。

そして、プロレス中継がある日は、そば屋が混雑したという。街頭テレビに代わって、店内のテレビで力道山見たさに、人々が駆け付けた。当然ながら、そば代も特別価格になった。テレビ視聴料金の上乗せである。

それでも、人が押しかけ「立ち食いそば」のようになっていたというからその人気のすさまじさがわかる。

先日の出版記念パーティーには「世界のホームラン王」王貞治氏や「喝!」張本勲氏ら各界の超大物はじめ、プロレス界からは藤波辰爾、初代タイガーマスクらが参加。「人前では血の滴るステーキにかぶりついていたけど、本当は魚が好きだった」など、あちこちで力道山の実像が語られていた。

力道山の「元気、勇気」を分けていただける一冊。日本プロレス史を検証するうえでも欠かせない。

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