時代を先取りしていた理不尽大王・冬木弘道さんのプロレス頭 改めて惜しまれる早世
3月19日は2003年にガン性腹膜炎で他界したサムソン冬木こと冬木弘道の命日。闘病の末に亡くなったが、享年42。あまりにも若くしてのお別れで、23年経った今でもあの衝撃は忘れられない。
冬木は国際プロレスから全日本プロレスに移籍してきた。当時、東京・世田谷区砧にあった全日本の道場、合宿所には、先輩の越中詩郎、新人選手だった三沢光晴、新入団の川田利明ら若手選手が集っていた。
仲田龍リングアナウンサーも加わり、私生活でも仲が良かった。82年に取材を始めた記者も同じ「若手」とあって、時々、仲間に入れてもらった。

車でビーチに出かけたりした。日ごろは何かと先輩たちに配慮する必要があったが、同世代の気の置けない者ばかりで、何をするにも楽しかった。
はにかみ屋だった冬木だが、思慮深さの裏返し。エッと思わせる捉え方で、プロレス頭の良さを何度も感じさせられたものだ。
歴史に「たら、れば」「もし」は禁物だが「今、あの人がいたら、プロレス界ももっと違っていたかもしれない」と惜しまれる1人が冬木である。

<写真提供:小林和朋氏>
実は女心を掴むのも上手く、三沢らに負けず劣らずモテていた。巡業先の宿舎に呼ばれていくと、多くの女性ファンに囲まれていて驚かされた。その人間力で、レスラー仲間の信望も厚かった。
全日本離脱後も様々な団体で大暴れ。邪道、外道と冬木軍を結成し、理不尽大王と名乗った。ちょいワルなファイトに加えて、コミカルな言動を披露し人気を集める。
新日本プロレスの“頭脳”として活躍した邪道、外道のプロデュース力は、冬木のプロレス脳から多くの影響を受けていることは間違いない。冬木一派のプロレスセンスがあればこそ、新日本は時にはメジャー団体の枠から飛び出し、幅広いテイストを加えられたのだ。

<写真提供:小林和朋氏>
2002年に大腸ガンのため引退を発表した。会見に三沢が同席していた。二人の友情は袂を分かってからも続いていた。二人とも若くして亡くなってしまったのが返す返すも残念でならない。
引退試合には三沢率いるノアが全面協力し、多くの選手が駆けつけている。レスラーとしての実績だけでなく、アイデアマンとしてプロレス界に貢献していたからこそだった。
サブで使用していた携帯電話に、くぐもった声の留守電が入っていた。最後まで何度も聞いたが、何を言っているのか聞き取れない。イタズラ電話だと思い込んで消去してしまった。

<写真提供:小林和朋氏>
後日、冬木の声に似ていたことに気づいた。病床から吹き込んでくれたのではなかったのか。プロレスへの想い、後を託すレスラーたちへの想い…やっと絞り出して懸命に語ってくれたに違いない。取返しがつかない。今も自責の念が消えないままだ。
現在のプロレス界では当然のことを、いち早く取り入れていた冬木のプロレス。柔軟で斬新、しかも大胆。若いころから様々なプランを編み出していた。今でも様々な団体に、冬木チルドレンを自負する選手がいる。
今頃、天国のリングで馬場、鶴田、三沢らとプロレスをしているのだろう。猪木やゴッチ、テーズ、ブロディらともワイワイやっているかも知れない。そうそうたるレジェンドたちに負けない冬木のプロレス頭。春まだ浅い夜空を見上げれば、ちょっとはにかみながら、楽しんでいる姿が浮かんでくる。(敬称略)

<写真提供:小林和朋氏>
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