【編集長コラム】「水無月(6月)の空を見上げて・・・」

多くのプロレスラーや関係者の命日を迎える水無月(6月)。1992年6月18日に亡くなったのがミスター空中(空中正三)さんだ。

レスラー、レフェリーとして活躍した空中さんは「神様」カール・ゴッチさんの娘婿である。ゴッチさんが新日本プロレスのコーチ役として来日していたころから同行し、通訳も兼ねながら、ゴッチさんのサポートをしていた。

日本でもUWFでレスラーデビューも果たし、多彩な攻めに、堅い守りを披露してくれた。普段は口数も少なく、自分のことをあまり語る人ではなかった。優しい人柄でゴッチさんはもちろん周囲の信頼も厚かった。

実はゴッチさんと一人娘であるジェニンさんの間には、微妙な距離があった。時間に正確なことや、とことん整理整頓にこだわるなど、まるで昭和の頑固おやじのごとき厳しい教育方針だったゴッチさんに、娘さんが反発することもあったのかも知れない。疎遠になっていた二人の間を、空中さんが取り持っていたのではなかろうか。

その空中さんも49歳で、若くして病死している。実は強盗に襲われ拳銃で撃たれたことがあった。「弾の跡があるでしょ。後遺症もあるんだよね。時々、原因不明の発熱に苦しめられるんだ」と、話してくれたことがある。

「『くうちゅう』じゃなくて『そらなか』なんだよね」。「『しょうぞう』じゃなくて『まさみ』なんだよね」。名前の読み方を笑いながら教えてくれた時の空中さんのお茶目な笑顔が、まざまざと浮かんでくる。

空中さんの死は、ゴッチさんにとってもショックだったに違いない。晩年はフロリダ州タンパのアパートで独り暮らし。時折、ジョー・マレンコ始め何人かの弟子たちが訪ねていたようだ。何度も渡米し自宅を訪問した西村修が当時を振り返る。

「ゴッチさんは自宅の庭に遊びに来る近所の猫に、ドイツ語で話しかけていた」。肉親との縁が薄くなってしまった淋しさを、紛らわしていたのではなかろうか。

「ゴッチさんの自宅にお邪魔する時には、約束の時間ピッタリに玄関をノックしなくてはいけない」。少しでも早くても遅くても、ゴッチさんのご機嫌が悪くなってしまうのだ。カーラジオの時報に合わせた正確な腕時計と、玄関前でにらめっこするのが、ゴッチ邸に伺うマナーだった。

「愛した女性は生涯、妻一人」と、リング外でも頑固一徹を貫いたというゴッチさん。もう一度、来日することを希望していたが・・・。

とうとうかなわなかったゴッチさんの最後の夢が、2017年7月28日にかなった。アントニオ猪木、西村らの尽力により、東京・南千住の回向院に設けられたゴッチさんのお墓で納骨式が行われた。

猪木、前田日明、藤原喜明、木戸修ら多くの弟子たちが一堂に会して、ゴッチさんとの思い出話に花が咲いた。葉巻と赤ワインが好きだったこと、ついてくる弟子たちには厳しくても徹底的に教えてくれたこと、何に対しても常に本物の強さを求めていたこと・・・話題が尽きることはなかった。

空中さんの話も飛び出していたが「良い人だった。彼は潤滑油の役割を果たしてくれた」と一致。はにかんだ笑顔が忘れられない。

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