ロッシー小川社長『極悪女王』視聴を通じて語るクラッシュギャルズ&ダンプ松本、全盛期の回想と未来への意気込み

②長与千種とライオネス飛鳥による「クラッシュギャルズ」の人気を支えた時代


「写真提供:ロッシー小川氏」

―― クラッシュの全国的な人気と芸能的な人気もすごくあった中で、それをロッシーさんが裏で支えるのって相当しんどかったんじゃないかなと思うんですけど?

若かったんだよね。20代だったし、ほぼ2人と一緒にいろんなテレビ局行ったり現場行ったりして、一番はスケジュールも自分で作らないといけないんですよ。ところが携帯がない時代なので事務所に戻らないと連絡が取れないんですよ。だから現場に行ってちょっと時間があるとすぐ戻るんですよ。もうここに電話してくれ、そこに電話してくれっていっぱい書いてきてあるので、そういうスケジュールを作ってまた出かける。また帰ってくるとここに連絡、その時間帯に一斉にくるとか、今は携帯が当たり前のように個人の携帯に連絡すれば通じるものがないんですよ。事務所に連絡しない限りは通じないから。

▼『極悪女王』での唐田えりか x 剛力彩芽 – クラッシュ・ギャルズ「炎の聖書」

―― それをロッシーさん1人でマネジメントをやってたんですか?

はい。

―― 大変でしたね。

だからダブルブッキングとかありましたよ。あの当時携帯がなくてよく待ち合わせとかちゃんとこれたなみたいな。だって昔ナビとかないんですよ。地図ですよ地図。運転しながら地図見て、そんなっちゃいますよ。今なんかありえないじゃないすか。

―― そうですね。

今はGoogleマップやれば勝手に案内してくれるし、いちいち地図を開けてこうやって、どの辺だとか。全国津々浦々地図ですよ。

――秩父にリングスター・フィールドを作ったり、フェリーを購入されたりしていましたが、ロッシーさんはそのとき松永兄弟を傍目で見ててどういうふうに感じていたのですか?

好きなことやってるなっていう。あの人たち昭和の興行師なので、良くも悪くも発想が昭和なんですよね。昭和っていうか独特なんだよな。今の時代じゃ全く通じないですよ。あんないい加減なことやってやってこれてんだなと思いました。でもそれは女子プロレスが1つしかない時代だったので、彼らがやることは全部正義でしたよ。

―― 松永兄弟の言うことが全てだったという感じですか。

そうそう。

―― それを生き証人としてロッシーさんが見て、ある意味反面教師にされた部分があって今になっているっていうね。

全部反面教師ですよ。

―― 選手の気持ちとかってないがしろにしてたというか、やっぱり興業の方を優先って感じだったんですかね?

セクションも何も考えない。ただ、松永兄弟も歳を取ってからは子供みたいな選手を自分たちの孫みたいなふうに可愛がってた。

―― そうですか。

だから新人の方を買う方だった。もうある程度できると松永兄弟のことは聞かないですもん。聞かないっていうか言ってることがもうおかしなこと言ってるって分かっちゃうので。

―― なるほど。松永兄弟の仲は良かったのですか?

何とも言えないな。でも、松永会長って人に対してはみんな従順でしたよ。

―― そうなんですね。

あとは2人の兄弟の仲は悪かったな。俊国、国松っていう下の2人がいるんですよ。その2人はあんまり仲良くなかった。

―― 役割分担みたいなのがそれなりにあったんですよね?

あります。本当は、あそこに出てないのがもう1人いるんですよ。会長の上のお兄さんがいて、その人は最初俺入った頃はポスター貼りやってたんですよ。なんで松永兄弟がポスター貼りやってんのかなと思って、多分創業の時からそういう役割なんですよ。

―― 本当に一族で役割を持ってたんですね。

そうそう、一族で係を設けてやってた。松永俊国っていう人が一番いい格好してましたよ。ちょっと斎藤工とは違うもっと豪快な感じ。

―― 金遣いも荒かったんですか?

そうですね。豪快な感じだったな。一見豪快なんだけど、めちゃくちゃ神経質なんですよ。

―― それは試合に対して?

試合じゃなくて、もうワンマンなんですよ。一番ワンマンの人。

―― 自分の思い通りにしたいタイプの方?

そう。

―― やはりロッシーさんもだいぶ苦労されましたか?

苦労っていうか、あんまり接触しないようにした。この人は自分の思う通りにしかしたくない人なので、あとは90年代になってきたらほとんど口を出さなくなってきた。多分自分でも色んな店とか色んなことやっていたので。

―― 本業が他にもいろんな形になっちゃったって感じですかね。ロッシーさん自身はよく身体がもったんですね。

いや、だってまだ20代ですよ。

―― 寝ずにいろんなところ行くことがあったんですか?

自分でスケジュールを切ってたので、当時は忙しいことが良いことだと思ったんですよ。本当にめちゃくちゃ仕事を入れましたよ。

―― クラッシュの2人から怒られませんでした?

怒られないですよ。だって3人で上がっていこうって決めてたから。

―― もう決めたんですね。

だから例えばテレビ局に行って歌の番組とか出るじゃないですか。そうすると1時間ぐらい待ったりするんですよ。そこに2つくらい取材入れるんですよ。そうじゃないと取材が全部できないんですよ。

―― なるほど。

でも当時「月刊平凡」と「月刊明星」と「セブンティーン」だけは特別に特写の時間を作ったんですよ。それ以外は、みんな行った場所に来てもらって簡単な取材ですよ。

―― そうなんですか。

押さえるところだけ押さえておいて、特写はそこで見てくださいみたいな。

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