【訃報】“小さな巨人”グラン浜田さん死去(享年74)日本とメキシコをつなぐ架け橋となったルチャの名手がメキシコで永眠
昭和のプロレス界の名手、“小さな巨人”グラン浜田(本名・浜田広秋)さんが、現地時間2月15日、メキシコにて死去したことが明らかになった。享年74。メキシコのプロレス団体AAAが団体SNSで公表し追悼の意を表した。死因は公表されていない。
娘でプロレスラーの浜田文子は自身のSNSで「”小さな巨人”グラン浜田についてお知らせです。グラン浜田こと、濱田廣秋は日本時間2月16日入院先の病院で亡くなりました。74歳でした。1972年3月16日にプロレスデビューして、生涯現役でした。今まで応援してくださったファンの皆様、選手の皆様、記者の皆様、関係者の皆様、本当に本当にありがとうございました。私、浜田文子はグラン浜田の娘で本当に良かったです。最高のプロレスラーであり、最高の父でした。」と心情を綴った。
— 浜田文子 ・ Ayako Hamada (@ayako_hamada) February 16, 2025
浜田さんは1950年11月27日、群馬県前橋市生まれ。1972年に旗揚げ前の新日本プロレスへ入門し、同年3月16日に藤波辰巳(現・辰爾)戦でデビュー。1975年にはメキシコへ渡り、リングネームをグラン浜田に改め、UWAを主戦場に軽快な空中殺法を駆使する「マリポーサ殺法」で活躍した。
1979年に一時帰国後も日本とメキシコを股にかけて活動。1980年代初頭には新日本プロレスで初代タイガーマスクと名勝負を展開し、日本のルチャリブレ文化の発展に貢献した。1984年にはUWF旗揚げシリーズに参加。1986年に一度引退するも、1988年に復帰。1990年にはユニバーサル・プロレスリングの旗揚げに携わり、1995年からはみちのくプロレスに入団した。
その後もフリーとして活動を続け、新日本プロレスや大阪プロレス、全日本プロレスなど多くの団体に参戦。2000年には娘の文子との親子タッグも実現させた。技巧派として知られ、ルチャリブレの普及に努めた功績は大きい。
2018年には脳梗塞を患ったが、驚異的な回復を遂げ、同年9月28日に仙台で開催された「昭和プロレスフェスタin仙台」に出場。
2019年3月よりメキシコに移住し闘病生活を送っていたが、文子がSNSを通じて父の様子を報告。2023年11月には医師から危険な状態と診断されたことを明かし、2024年1月には一時退院の報告もあったが、その後容体が悪化し、帰らぬ人となった。
かつて参戦を果たしたみちのくプロレスはX(旧Twitter)にて「グラン浜田さんがお亡くなりになりました。 ユニバーサル、みちのく時代は一緒にツアーをまわり、メキシコでもお世話になりました。 まだ信じられません。 ルチャリブレを日本に広めた功績は大きいです。 小さな巨人グラン浜田よ、永遠に。 心よりご冥福をお祈りいたします。」とポスト。
グラン浜田さんがお亡くなりになりました。
ユニバーサル、みちのく時代は一緒にツアーをまわり、メキシコでもお世話になりました。
まだ信じられません。
ルチャリブレを日本に広めた功績は大きいです。
小さな巨人グラン浜田よ、永遠に。
心よりご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/YWWTJIuW9q— みちのくプロレス MICHINOKU PRO-WRESTLING 公式 (@michipro_jp) February 15, 2025
生涯をプロレスに捧げ、日本とメキシコをつなぐ架け橋となった“ルチャの伝道師”の功績は、今後も語り継がれることだろう。
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