メキシコで21年目を迎えた日本人ファイターOKUMURA「CMLLへの感謝の気持ちは計り知れない」

新日本との提携で「日本とメキシコの懸け橋になって、恩返しをしようと」
――そこから新日本とCMLLの本格的な交流が始まるわけですね?
「はい。新日本と選手交流がいろいろ始まって。2009年秋に菅林直樹会長(当時社長)が来られて、CMLLと業務提携を発表したんですが、微力ながら自分が尽力しました。日本とメキシコの懸け橋になって恩返しをしようと、その頃くらいから選手としても、懸け橋としても頑張ろうという気になったんです。でも、今思えば、当時メキシコに行って5年くらいですよ。全然若造だったと思うんです。その頃くらいですかね。ここでやっていこうと思ったのは。後ろを振り返らず、日本のことはシャットアウトしても仕方ないなと思って。自分の気持ちは誰にも分ってもらわなくていいと思ったんですけど、それは頭を切り替えて。日本から来た選手が活躍したら、同じ日本人として自分もCMLLで評価されると思ったんです。その辺から、ここでやっていこうと。自信じゃないですけど、そういう気持ちになったんです。それまではもう毎日が必死。じゃあ今必死じゃないかっていうと、違うんです。21年間毎日、ウサギと亀の亀なんです」

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「首の手術をするように言ってくださった三澤威先生と執刀医の佐々木先生は恩人です」
――首の大ケガもありましたね?
「2017年です。2008年に肩折って、2回手術して、4ヵ月半後に復帰したんですけど。試合して、日本人ユニットも何回もつくったし、頑張って来たんですけど。2017年2月、練習中のケガでした。重症です。頭は打ってないから、気絶したわけでもないんです。目はバッチリなんですけど、体が動かない。技を食らったわけでもなく、アップの練習のときだったんです。グキっといったんです。言葉は悪いですけど、これからどうやって生きていくか?と。もう絶望ですよね。もしかしたら車イスの生活になるのかなとそこまで考えました。最初救急病院に運ばれて、強度の打撲と言われたんです。その後、ずっとメキシコシティの病院を探したんですけど、ハッキリした結果が出ず、その後改めて検査をしたら頚椎のヘルニアで即引退と言われました。それから別のエキスパートの医者にも診てもらいましたが引退勧告を受けて絶望していました。
そのときに新日本のトレーナーの三澤(威)先生が『日本に帰って来て手術したほうがいいんじゃないか?復帰できるようサポートするから』と言ってくださったんです。三澤先生、恩人ですよ。日本に帰って来て調べていただいて、新日本プロレス医事委員会の大阪の佐々木(学)先生に診ていただいて、頚椎の6-7番の骨折、亜脱臼、じん帯断裂の重傷だと。でも頚椎の6-7番より上だったら、もっと酷い状況になっていたかもしれない。2月22日にケガして、4月18日に大阪で手術したんです。メキシコでケガして最初の1ヵ月、どこで手術してくれるかという感じで、3人のエキスパートの医者にヘルニアだから、頚椎のプレートを2つ取ると言われて。その手術をしたら復帰はできない、引退だと。試合をしたら車イスの生活ですよと。でもあきらめきれない。プロレスが好きで、『はい、そうですか』でやめられない。探して探して、最後に三澤先生に言っていただいて、日本に帰って来て。手術室入って、麻酔をかけられる前に、佐々木先生に言ったんです。『僕は今年中に絶対復帰しなきゃいけないんで。よろしくお願いします』って。終わって起きたらICUですよ。次の日に一般病棟に移って。リハビリを開始して。『半年後に日本に戻ってきます』と佐々木先生に言って。しばらくしてメキシコに帰ってから毎日リハビリして、半年後に日本に帰ってきて、診てもらったら復帰許可が下りたんです。そして、11月にアレナ・メヒコで復帰できたんです。だから、2018年1月の『ファンタスティカマニア』に参戦できたんです。メキシコで引退勧告されたなかで、手術するようにと言ってくださった三澤先生と執刀医の佐々木先生は恩人です」

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