3月10日は吉江豊の一周忌 盟友の西村修も逝去 飲み友2人が天国で乾杯

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】

2月28日に逝去した西村修の通夜が3月7日、葬儀告別式が8日に営まれた。プロレスラー、プロレス関係者、交流のあったタレント、ファン、東京・文京区長、文京区議会関係者、地元の支援者、母校の後輩ら多くの人たちが参列した。

西村は最後の試合でも着用し、遺影にも使われた愛用のガウンを着て旅立った。色彩にとことんこだわり、布から染めたもので、背中の無我の刺繍の糸を伸ばせば、東京から岡山までの距離があるという。旅が好きだったが、天国でも旅をしていることだろう。

気丈にふるまう恵夫人の横には4月から小学生の一人息子が寄り添っていた。参列者が「強い男になってね」と声をかけている。涙なくしては見られなかった。


<写真提供:柴田惣一>

3月10日は西村の朋友・吉江豊の一周忌であり、西村がガンの疑いを通告されたのが吉江の葬儀の日だった。悲しみはますます深まるばかりである。

享年50だった吉江。西村とは新日本プロレスから無我に移籍したまさに盟友で、プライベートでもお酒が大好きな2人だった。豪快な飲みっぷりの楽しい飲み友で、西村の地元東京・大塚でしばしば催された「西村会」の常連でもあった。


<写真提供:伊藤ミチタカ氏>

同じお酒好きだが、食事については対照的だった。26歳で一度、ガンになっていた西村は「食育」に精通。ジャンクフードには見向きもせず、常に土地のモノ、旬のモノ、そして「体に良いか否か」で口にするモノを慎重に選んでいた。

吉江は何事も気にせず食べたい放題。「食いもんは量! 軟弱なグルメなんてダメですよ! まずは満腹!」と、食べて食べて食べまくる。「肉の脂身は甘くて美味しい」と豪語し、デザートはゆで卵。「何カロリー」なんてことも一切、考えていなかった。


<写真提供:伊藤ミチタカ氏>

「野菜も食べた方が…」との声には「私のレスラーとしての特徴を考えてよ。デブでなかったら吉江豊じゃないでしょ。それに野菜はお腹にたまらないよ」と、お腹をポンポーンと両手で叩いて笑い飛ばしていた。

ただしただのデブではなかった。そのお腹にぷよぷよ感はまるでなく、つつくとカチカチだった。腹筋こそ浮き出てはいないが、お腹が出ているのではなく、岩のごとき丈夫で頑丈な体で、昭和のプロレスラーを思い起こさせた。


<写真提供:柴田惣一>

新日本プロレスでは棚橋弘至とIWGPタッグ王座、全日本プロレスでは曙と世界タッグ王座に輝いている。ZERO1やハッスルなど様々な団体でも大暴れしている。

「あ~、どうしたんですか?」と、まん丸な笑顔で人懐っこく声をかけてくれた。「何を食べますか?」が挨拶代わり。気持ちの良い食べっぷりもあって、ストレスがたまると吉江に会いたくなったのは私だけではあるまい。


<写真提供:柴田惣一>

吉江は西村を「早すぎますよ」と天国で迎えたことだろう。曙や吉江と同じ群馬出身のグラン浜田など、多くの仲間たちと、小林邦昭の作った美味しいちゃんこ鍋を囲んで、お酒を楽しんでいるはず。

地上のファンは悲しい限りだが、天国のリングに豪華なメンバーが揃っていくのも時の流れなのかも知れない。(敬称略)

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