7月28日は「プロレスの神様」ゴッチの命日 墓誌に刻まれた猪木と西村も神様の元へ

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】

7月28日は2007年に亡くなった「プロレスの神様」カール・ゴッチの命日。

力道山の時代から日本プロレス界に多大な影響を与え、ストロングスタイルの源流ともいえるファイトスタイルはもちろん、独特のトレーニング法などでアントニオ猪木、前田日明ら多くの選手が師匠と仰いでいる。

ゴッチの墓は東京・南千住の回向院にある。17年に猪木、前田、木戸修、藤原喜明らのレスラー、関係者が参列し納骨式が行われた。墓誌には猪木と並んで西村修の名前が刻まれている。日本プロレス界、ファンに支持され人気を誇る外国人レジェンドも多いが、日本に墓があるのはゴッチ一人だろう。


※納骨式

西村はフロリダ州に終の棲家を構えた晩年のゴッチを、何度も訪問している。いわば「最後の弟子」だった。好物の葉巻と赤ワインを抱えきれないほど持って、キッチリと時間通りに訪れる西村を、ゴッチは孫のようにかわいがりいろいろな話を聞かせていた。

亡くなる前年の06年にゴッチ宅を訪れた関係者は、まさに質実剛健を地で行くきちんと整理整頓された部屋で「彼(西村)がよくやってくれる。本当に助かっている」と感謝の言葉を聞いた。アパートの家賃も西村が負担してくれているとゴッチはハッキリ話したという。

「たくさんの弟子がいたが、今では知らん顔の者も多い。あんなに面倒を見たのに、と思うこともある。世の中そんなものかも知れないが」と寂しそうにゴッチは笑った。

時折、アパート周辺に現れる猫にドイツ語で優しく話かけている後ろ姿に、人生の悲哀を感じてしまったそうだ。

西村が「日本にゴッチの墓を」と奔走したのもゴッチの最後の夢を聞いていたからだ。「残念ながら大好きな日本にもう行けない。健康状態が良くないので長時間のフライトは無理なんだ。自分の死後、せめて遺灰の一部を日本に持って行ってくれないか」とゴッチは繰り返していた。

「まだまだお元気で長生きしていただきたいですが、もしもの時には最善を尽くします」と西村は師匠の手を握り力強く誓った。

ゴッチ逝去の報を受け、フロリダに飛んだのは日本からは西村だけだった。現地のジョー・マレンコが西村の弔問に感激し、マレンコ自身もゴッチの納骨式、十三回忌、そして西村の葬儀にも自腹で駆けつける男気を見せた。

都内に新たに墓を設けるのは金銭面を始めハードルが高い。西村は、彼を若手時代から応援してくれる友人とともに駆け回った。都内の寺院をいくつも当たったが、外国人で血縁の後継者が日本にいないことなどを理由に墓地使用料、永代供養料、年間管理費など合計で2000万円、3000万円という高額を提示され、その度に話が頓挫。結局10年もの歳月を要した。

あきらめかけた頃、長年のプロレスファンが住職を勤める回向院を紹介され話は進んだ。墓地の中でも一等地を整備してもらい、破格の値段で大名墓を建立することができた。金銭面では猪木のサポートもあった。

 納骨式では、西村と友人は「本当にありがとう。猪木も感謝しています」と亡き猪木田鶴子夫人から声を掛けられている。

猪木本人も「大名墓って言うのか。初めて見た。威厳があるな。こんな立派な墓が建って、弟子として誇らしいよ。金も出さず、何もしないのに口だけ出す奴が多いからな」とため息まじりに墓を見上げていた。

「お前のおかげだ。墓誌には、俺の名前だけではなくお前の名前も刻め」と猪木のお墨付きで西村の名前も刻まれている。


※息子とゴッチの墓参りをする西村

一部から生意気だの何だのアレコレと言われた。しかし、西村が言い出して動かなければ建墓は叶わなかったのも事実。後日、猪木には「言いたい奴には言わせとけ。どーってことねぇよ」と笑い飛ばされた。

「クラウドファンディング(クラファン)に失敗した」と話す者もいるが、当時は今ほどクラファンは普及しておらず、西村は「万が一、達成できなかったら、ゴッチさんにも猪木さんにも恥をかかせることになる」と、最初からクラファンは実施せず自分たちで資金調達している。


※息子とゴッチの墓参りをする西村

先日、新盆を迎えた西村。本年2月28日、53歳の若さでゴッチの元に逝ってしまった。奇しくも月命日がゴッチと同じ28日だ。

今ごろ猪木も木戸も加わり、天国のゴッチ道場で厳しいトレーニングに汗を流しているのだろうか。(敬称略)

<写真提供:柴田惣一>

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