はずかし固めで対アイドルの先駆け! コミカル&ハードコア第一人者の宮崎有妃が元日に引退

Ⓒプロレスリングwave
その後、あるプロモーターを通じライオネス飛鳥と出会い、突貫工事的にリングネームをエチセラとし、コスチュームを作って裁恐軍に加入、Jdで闘うようになった。99年にはメキシコに渡りAAA(トリプレア)に参戦。帰国後はフリーとして活動し、NEOに登場。2000年3・16北沢で井上京子とシングルをおこない、試合後に入団を直談判。これが認められ、タニー・マウスとのNEOマシンガンズが誕生することになる。
「タニーとは最初、抗争していたんですよね。そこから闘った者にしかわからない絆が生まれたって感じですね」

“友情パワー”をテーマにしたNEOマシンガンズは、コミカルなスタイルを前面に押し出してブレイク。アイドルタレントをリングで迎え撃ち、このとき生まれたのが、あの“はずかし固め”である。
「アイドルをマットに落とすとか叩きつけるってできないじゃないですか。だったら精神的なダメージでギブアップさせたい。股を開くということをやればいいんじゃないかなと思ったんですよね。これは福岡晶さんの技が参考になりました。関節技で股を開けば、あの子たちはギブアップしなくても(芸能)事務所の人がタオル投げるだろうって」
こうして生まれたのが、はずかし固め。いまでも宮崎を代表する技で、アイドルレスラーに効果抜群。振り返ってみれば、アイドルタレントをリングに上げる先駆者となったのが、NEOマシンガンズと言えるのだ。
ところが、全女、GAEA後の女子プロ界で中心を担ってきたNEOが10年末で解散。宮崎はこのとき、田村欣子、タニーとともに引退することになったのだが…。
「ホントはアメリカでの活動を水面下で進めていたんですよ。前の年からちょっとずつ動いていて、次の年から本格的にやろうと。そしたら解散と2人の引退を聞かされて、そのとき、ふと思い出したんですよね。自分は30歳までは好きなことして、その後はまじめに生きようって。それがちょうど、30歳。ちょうどじゃんと思って、そこまでの予定は全部中止、解散で3人一緒に引退したらきれいじゃないかと思ったんです」
引退後はカフェバーで働いていたという宮崎。4年ほどのブランクが経過した頃、大阪女子プロレスにマスクマンとして出てほしいとの連絡があった。そのときは「無理!」と断った宮崎だが、説得に折れて「1試合限定」で出場。しかし、いざリングに上がると昔の血が騒いでしまう。リングを下りても脳の中がプロレスでいっぱいになってしまったのだ。

そして、意を決してwaveのGAMIに復帰を申し出た。するとGAMIは、拍子抜けするくらい即答、「ええで。じゃあいつにする?」と手帳を取り出し復帰を認めてくれた。もしかしたら、GAMI自身が宮崎の復活を望んでいたのかもしれない。そして15年7月にカムバックし、のちにwave所属選手となった。waveでは、NEOで引退間際に実現させるも心残りのあったデスマッチ&ハードコアを取り入れた。その過程で、金村キンタロー公認でブリーフブラザーズならぬブリーフシスターズを結成、ブリブラダンスを女子で復活させている。さらには23年12・24川崎でレジーナ王座を初奪取。意外にも、団体の頂点王座を獲得するのは初めてのことだった。
記録より記憶。勝敗よりもインパクト。もともとベルトには執着のない宮崎だが、レジーナ王座獲得には大きな目的があったという。
「その頃から引退のアタマがあったので、若い子たちに興行のメイン、トップのベルトの責任の重さを感じてもらいたかったんですね。トップの王者としてメインを締めるのがいかに大切か。それを闘う姿で見せたいなと思って、挑戦してベルトを取って防衛戦をしてきました。責任で手が震えるくらいの緊張を負わせたいというか、経験させたい。そのために、まずはこちらから見せようと思って」
その役割を果たし、引退を決意。やはりダメージの蓄積が、リングから去る道を選ばせたのである。
「プロレスラーって超人だと思ってるので、お客さんの目に入るときにはどこが痛かろうが痛くなくなるんですけど…。元気ならまだまだやりたいですよ。でも、体重を落としてやったとしたら、それはそれでプロレスラー宮崎有妃ではなくなってしまう。私の見せたいもの、求めるものが変わってしまうんですよね。実際、納得できる試合が少なくなってしまっているので。人生、ここで終わりじゃないから」

キャリアの総決算となる最後の試合(1・1後楽園)は、宮崎&ハイビスカスみぃ組vs宮本裕向&世羅りさ組のハードコアタッグマッチと、ウエポンランブルルールでのシン・広田・葛飾さくらとのシングルマッチ。ハードコアとコミカル、宮崎の持ち味がたっぷり詰まったファイナルになりそうだ。
「私にとってプロレスとは? 切っても切り離せなかった、切ったけど切り離せなかったものですね。だからもう、プロレスラーになる運命だったと思ってます。その運命をまっとうしてリングを下りようと思っています!」
インタビュアー:新井宏














