【追悼】アントニオ猪木元マネージャー・甘井もとゆき氏急逝、燃える闘魂と歩んだ激動の軌跡
プロレス界、格闘技界に衝撃の悲報がもたらされた。ドージョーチャクリキ代表を務め、故・アントニオ猪木氏の元マネージャーとして知られる甘井もとゆき氏が逝去、享年59。
あまりにも早すぎる別れに、生前親交の深かったプロレスラーや格闘家、関係者からは、SNSを通じて続々と追悼のコメントが寄せられている。
甘井氏と猪木氏の縁は、後に猪木氏の妻となる田鶴子夫人が経営していた六本木のバーから始まった。2000年頃から親交を深め、2017年6月から2022年7月末までの5年間、最側近のマネージャーとして激動の晩年を支え続けた。
生前、甘井氏は当サイトのインタビュー(聞き手:茂田浩司)で猪木氏への畏敬の念をたびたび口にしていた。
「ズッコさん(田鶴子夫人)は僕の10コ上なので感じとしてはお姉さんみたいな。彼女が六本木で『Bar ZUKKO』を経営していて、そこの客として猪木会長と知り合いました。会長は24歳上で二回り違うので、僕にとってはお兄さんというよりお父さんでした」

※左から猪木田鶴子夫人、猪木さん、甘井さん(生前のインタビューで甘井さん提供)
プロレスラーとしての偉大さはもちろんのこと、甘井氏は猪木氏の圧倒的な“スター性”に魅了されていた。
「会長は偉大なプロレスラーであるのは言うまでもないですけど、スターの才能がめっちゃある方なんですよ。僕は明石家さんまさんなんかも実際にお会いして、話してて思うんですけど、人気の出る人って目の前の相手が一番欲しい答えを言ってくれるんですよ。インタビューを受けても、テレビに出ても。会長はその能力がもの凄く高い人なんですよ」
「だからスターになったんだと思うんですよ。相手が欲しい言葉をくれる人で、プロレスラーや格闘家の中で会長ほどその才能があった人を僕は知らないです。だからみんなが言うように今さら『第二の猪木』は無理なんですよ。猪木会長をずっと見続けてきたファンもそう思っていると思います。猪木会長がやった『○○の戦いのオマージュ』なんてやっても絶対に面白くないんですよ」

数多のレスラーが猪木氏の背中を追う中、最もその存在に肉薄したのが武藤敬司氏であったと甘井氏は分析していた。
「武藤さんもそうですよね。武藤さんは『会長を利用してやろう』とまで考えてましたからね(笑)。『プロレスリングマスターズ』の時も会長は『出たくない』と嫌がってたんですよ」

「僕も『なんでですか?』と聞いたら『武藤になんかギャラを貰えるかよ』と言うんです。蝶野さんは全然いいんですよ。ということは、一番会長に肉薄したのが武藤さんだったんだと思うんです。Uインターとの全面戦争の時、高田戦の武藤さんを見て会長は『なんだ、あんな胸なんか張りやがって』とか、武藤さんの見栄の張り方とかを結構批判されるんですよね。あれは武藤さんが会長に肉薄したからだと思うんですよね」
「だから、そういう意味では会長の影響力がどれだけ強いかを知ってる人こそが会長を越えていくんだと思いますよ。武藤さんとか、中邑(真輔)選手とか」


マネージャー時代、甘井氏が尽力したのが古巣・新日本プロレスとの関係修復である。オカダ・カズチカが突然猪木氏の名前を口にした際も、事態を収拾すべく奔走した。
「札幌でオカダ・カズチカがいきなり猪木会長の名前を出して、明日、記事に載ってしまいます。すいません」
という新日本プロレスからの突然の連絡に対し、甘井氏は「何かいいところを考えましょう」と応じ、結果としてスポーツ総合誌『Number』での表紙共演と対談という歴史的着地点を見出した。
「あれから新日本の選手が会長に会いに来るようになったんです。一度、新日本の同窓会のような集まりが宮戸優光さんのちゃんこ料理屋であって、坂口征二さんと小林邦昭さんが棚橋選手を連れてきたりね。写真を撮ったらダメですよという話はしたんですけど、長州さんがSNSにアップしてました(笑)」














