“女版・大仁田厚”ミス・モンゴルが波乱万丈のプロレスデビュー30周年! 印象に残ってる試合は「デビュー戦、大仁田さんとのシングル、全日本での電流爆破」
単身でプエルトリコに渡ってK-DOJOの設立にも参加、プレーイングマネジャーで活躍

そこでモンゴルが思い立ったのは海外で居場所を探すことだった。ブッカーに憧れていたモンゴルはビクター・キニョネス氏を頼って、FMWを離脱して、単身プエルトリコに渡った。だが、ビクターから「プエルトリコに女子はないから」と言われ、メキシコ行きの航空券を渡されたという。メキシコではアレナ・メヒコで毎日練習し、CMLLの地方の試合に出場。そんな生活が約3ヵ月続いた。
いったん帰国して、ネオ・レディース、SPWFなどにフリー参戦。再度、プエルトリコに渡ると、2000年に当時WWFのTAKAみちのくが設立したKAIENTAI DOJOのコーチに就任。リングネームもAkyに改めた。Hi69、ヤス・ウラノ、真霜拳號、大石真翔、PSYCHO、ハイビスカスみぃら、数多くの選手を育成した。「ウラノは学プロ出身で受け身もしっかりしてたし、Hi69、PSYCHOは運動神経よかった。大石もよかった。真霜もプロレスは詳しくなくて入ってきたけど雰囲気はよかった。モノになるかなと思ってた子は今でも残ってる。ウラノは受け身ができてたんで、みんなに“見本見せて”と言って。彼がいてくれてやりやすかったですね」。
当時プエルトリコではビクターがIWAプエルトリコを設立。WWFからWWEに変わって、アメプロがはやっていた時代で、女子もあった。木金土に試合があり、セクシーマネジャー同士の抗争に参戦。ミゲル・ペレス・ジュニアのマネジャーを務めながら、選手としても活躍した。

ビザの関係で帰国し、フリーでファイトした後、2001年にTHOGO代表とともにCPE(キャット・パニック・エンターテインメント)を設立し、選手兼プロデューサーとして活動。日本の女子プロレスのルーツとされているのはガーター争奪戦ともいわれているが、CPE旗揚げのヒントとなっているのが、プエルトリコ時代のセクシーマネジャー同士の抗争にあった。その頃から、ミス・モンゴル、Aky、覆面レスラーのラ・マルクリアーダと3つのキャラクターを使い分けるようになった。
その後、初めて女子の組織・伊藤道場に所属し、リングネームを本名に戻し、佐藤綾子、小林華子(現・中森華子)、市井舞らとしのぎを削った。「一通りアメプロ、ルチャをやってみたけど、女子はやってない。バリバリの全女イムズを勉強できるかなって思って。受け身に対する伊藤さんの考えとか、今までやってきたこととは全く違った。男と女の体は違うから、理にかなってるかなと。長年染みついたのはアメプロ、男子で…。いい刺激になりました。(リングネームは)ミス・モンゴル感も消したかったので」。

伊藤道場解散後、第1期のREINAに参加するも、団体運営は混迷を極め退団。同じユニットを組んでいた若手の石橋葵らに戦いの場を与えるべく、2013年12月31日、新木場1stRINGで世界プロレス協会を旗揚げ。2014年12月27日、新木場で旗揚げ1周年記念興行を開催したが、大仁田や、来場していた“ミスターデンジャー”松永光弘らの目の前で、かねて交際中だったお笑いトリオ「東京03」の豊本明長さんにガチンコで公開プロポーズを敢行。豊本さんも快諾し、その後、2人は結婚した。同団体は第2期では方向性を転換。「スターダムとかビジュアル系はやってたから、デブ、ブス、年増を集めたコンセプトに変えたんです。150キロのさちこYOKOZUNAとかバケモノばかり集めた。面白いねと言ってくれるけど、みんなブスは応援してくれないんです。かわいくないと応援しないんです(笑)」と振り返った。同団体は体調不良者が多く出たことで、2017年1月7日の高島平区民館大会を最後に開店休業状態。だが、モンゴルは現在も「世界プロレス協会」所属を名乗っている。
20代のとき、子宮頸がんの一歩手前である子宮頸部高度異形成を患ったが、手術を受けて病気も克服。2017年12月28日には第1子となる娘を授かり、わずか69日後にスピード復帰。その後はママさんレスラーとしてファイト。2019年には地元で北海道プロレスを雪中の野外会場で仰天旗揚げするチャレンジャー精神を見せたが、こちらはコロナ禍により活動休止。だが、子どもが大きくなって手がかからなくなったら、再開をにらんでいる。

モンゴルの練習生時代、大仁田はプロレスの試合と芸能活動で分刻みの超多忙な頃で、それほど接点はなかったが、大仁田がFMWを離れて、自主興行を開催するようになってからはレギュラーメンバーでオファーがかかるようになった。「大仁田さんはFMWをつくった神様というと言い方は違うかもしれませんけど、最初は口もきけない存在で。基礎練習は後藤さんとかほかの先輩方が教えてくれました。でも、大仁田イズムは絶対継承してます。技術もそうかもしれないけど、邪道継承の魂を受け継ぎ、大仁田さんも女一人でプエルトリコに行ったことを評価してくれています。『オマエは俺によく似てるよ』と言ってくれたことがあって。そこが頑張る原点になってる気がします」と話した。
そんななか、大仁田とは2013年12月31日、CPEの新木場大会でシングルマッチ(ストリートファイトマッチ)を行ったことがある。これは大仁田にとって、プロレス人生初の女子とのシングル戦だった。「THOGO代表と緊張しながらお願いしに行ったら、大仁田さんはあっさり『いいよ』ってOKしてくれたんです」。大仁田がモンゴルを認めていたからだった。

モンゴルはいつしか果敢にデスマッチにもチャレンジし、男子との対戦もめっきり増えた。「普通に男子とのシングルがしれっと組まれたりで、みんな気付いてるのかな?って思う。体の大きい男子だと、肉体を酷使してるんですけど、それをやるしか伸びしろがない。逆に今は女子より男子のほうがやり慣れてます。最初やるときもそんなに抵抗がなかった。2010年11月22日の15周年記念試合(大仁田&田中将斗&黒田哲広&モンゴルvsポーゴ&リッキー・フジ&保坂秀樹&ジ・ウインガ―)も女子は私だけだった。接してる先輩、人が男子が多かったので」。
大仁田の愛弟子である以上、電流爆破デスマッチは意識するところだが、「やってみたい気持ちはありました。でも、大仁田さんの電流爆破の戦いに自分が入るのは何か違うんじゃないかという思いはあるのです。そこに入ることは目指してますけど、いつもなら、隣に(雷神)矢口さんとかリッキー(フジ)さんとかがいますけど、そこで私が戦力になるのかとか…。大仁田さんの世界観を変えないなかでやれるならやりたいという気持ちはあります」と答えた。

モンゴルが初めて電流爆破のリングに上がったのは2017年6月24日、新木場大会での棺桶爆破デスマッチ(大仁田&橋本友彦&パンディータ&中野たむvs矢口&保坂&NOSAWA論外&モンゴル)だ。中野との「ブスvsかわいい」抗争が勃発していた頃だ。その後、FMWEが2021年に「女子電流爆破プリンセス・トーナメント」を開催。その準決勝(11月21日、鶴見青果市場)で鈴季すずに敗れ、優勝を逃した。「そういう機会が与えられることがあまりないんで、機会があるんであればリベンジ戦はやりたい」と語った。
ハイライトといえるのは2023年8月6日、全日本プロレスの幕張メッセ大会だ。ミックストマッチとはいえ、大仁田からパートナーに指名されたモンゴルは佐藤光留とのトリオで、ヨシ・タツ&ウナギ・サヤカ&SAKIと対戦して、自軍に勝利をもたらした。「プロレス人生のなかでターニングポイントじゃないけど、すごく印象深い、記念になった試合です。全日本で大仁田さんのパートナーとして、上がるって快挙なんで。そのなかで評価されたのは大仁田さんのボディガードみたいと言われたんです。それがすごいうれしかった」と目を細めた。














