【新日本】棚橋弘至、満員札止めの東京ドームで幕引きへ「最後までリングで責任を果たす」
2026年1月4日、東京ドーム。
満員札止めという事実とともに、棚橋弘至は選手としてのキャリアに終止符を打つ。
それは一人のレスラーの引退という枠を超え、新日本プロレスという団体が、ひとつの時代を総括する瞬間である。

過去を振り返れば、アントニオ猪木の引退は「燃える闘魂」という思想の象徴をリングから解き放つ儀式であった。
その後、猪木はプロレスの枠を越えた存在となった。

藤波辰爾は、いまなお現役選手としてリングに立ち続けている。
引退という区切りを設けず、新日本プロレスの黄金期を支え続けたレスラーとして、その勇姿を披露している。

長州力は、革命戦士として時代をかき回し、闘い終えたあと、きっぱりとリングを離れた。
2度目の引退、その去り際は潔く、同時に強烈であった。

闘魂三銃士も、それぞれ異なる道を歩んだ。
武藤敬司は引退を明確に宣言し、最後まで“プロレスラー武藤敬司”を演じ切った。

蝶野正洋は正式な引退表明こそ行っていないが、現在はリタイア状態にあり、リングから距離を置いている。

そして“破壊王”橋本真也は、志半ばでこの世を去った。

その後を受け継いだのが、いわゆる第三世代である。
天山広吉、小島聡、永田裕志、中西学――激動の新日本プロレスを支え、団体の屋台骨として長くリングに立ち続けてきた面々だ。
そして中西学はその第三世代の中で唯一、引退を選択した。

こうした先人たちの歩みと比べたとき、棚橋弘至の引退が持つ意味は際立っている。
多くのライバル達が新日本プロレスを去った。
しかし棚橋は、団体から離れるのではない。
団体を背負ったまま、選手という役割を降りるのである。

暗黒期と呼ばれた時代、新日本プロレスは観客動員、世間的評価、内部の求心力、そのすべてを失いかけていた。
その中心に立ち続けたのが棚橋弘至であった。
派手な革命を起こしたわけではなく、時代に迎合し「ストロングスタイル」路線からの脱却を目指した。
新日本プロレスのプロレスを信じ抜き、正面から支え続けた。

「愛してまーす!」
この言葉は新日本プロレスを愛する気持ちと同時に覚悟を内包している。
団体を愛し、プロレスを愛し、ファンを信じる覚悟がなければ、決して叫び続けることはできない。
棚橋弘至はそれを行動で証明してきた。
2026年1月4日、東京ドームが満員札止めになるという事実は、単なる功績への賛辞ではない。
「最後まで見届けたい」という意思が、そこに集約されている。

そして重要なのは棚橋弘至がリングを降りたあとも、新日本プロレスの中心に居続けるという点である。
選手としては引退するが社長としての役割は、ここから本格化する。
過去のスターたちは、引退とともに団体と距離を取るケースが多かった。
棚橋弘至は違う。
経営と現場、過去と未来、そのすべてを引き受ける立場に立つ。

新世代――辻陽太、上村優也、海野翔太、成田蓮、グレート-O-カーン、大岩陵平、ボルチン・オレッグ、KONOSUKE TAKESHITA、そして1.4東京ドームでデビューするウルフアロン。

新時代は確実に台頭してきている。
だが、育成と覚醒は別物である。
その境界線を見極め、進むべき道を示す存在が必要となる。
頂点と低迷、その両方を知る棚橋弘至だからこそ果たせる役割がある。
棚橋弘至の引退とは終わりではなく、責任の形が変わるだけである。

2026年1月4日、東京ドーム。
棚橋弘至はレスラーとして最後の一歩を踏み出し、同時に新日本プロレスの未来へと歩み出す。
それは過去の誰とも同じではない。
だからこそ、この引退は特別なのである。
新日本プロレスは終わらない。
棚橋弘至がその中心に立ち続ける限り。
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