【新日本】「棚橋弘至引退大会」が記録した数字と東京ドームの熱狂!地上波特番は350万人以上が視聴、世帯視聴率5.2%を記録
東京ドームの夜が、あれほど静かに熱を帯びた光景を、どれほどの人間が目撃しただろうか。
2026年1月4日。新日本プロレスの年に一度の大舞台は、棚橋弘至の引退という一点に収斂し、そして確かに完結した。
超満員札止めとなった観衆は4万6913人。数字は冷静だが、場内に満ちていた空気は決して冷静ではなかった。

そこにあったのは、祝福と別れ、感謝と寂寥、そして確実に訪れる「終わり」を見届けようとする覚悟であった。
対戦相手に指名されたのは、AEWで世界を主戦場とするオカダ・カズチカである。

かつて新日本プロレスの中心で時代を競い合い、団体の未来を背負い合った存在。
引退試合の相手として、これ以上の選択肢はなかったと言っていい。
33分03秒。
引退試合としては十分すぎるほどの時間であり、体感としても決して短いものではなかった。
その一分一秒が確実に積み重なり、試合が進むにつれて「これが最後である」という現実が、観る側の胸にも静かに、しかし確実に染み込んでいった。

感傷を拒むようなオカダの攻撃に対し、棚橋は全盛期を思わせる動きで応じた。
逆上がりからのリングイン、ドラゴンスクリュー、テキサスクローバーホールド。
肉体は確実に年輪を重ねていたが、プロレスラーとしての矜持は一切揺らがなかった。

試合中盤、花道でのツームストンパイルドライバーという非情な一撃が放たれても、棚橋は立ち上がった。
その姿は勝敗を超えた闘いそのものであり、26年間リングに立ち続けてきた理由そのものであった。

終盤、柴田勝頼のPK、中邑真輔を思わせるボマイェが繰り出された場面は、単なる技の再現ではない。
共に時代を築いてきた仲間たちへの敬意であり、新日本プロレスという歴史そのものへのオマージュであった。

勝負を決したのは、オカダの正調レインメーカーである。
三カウントが叩かれた瞬間、敗北という結果以上に、「終わり」が静かに、しかし明確に成立した。



試合後、引退セレモニーが行われた。
藤波辰爾、武藤敬司、柴田勝頼、内藤哲也らがリングに集った光景は、棚橋が歩んできた道のりそのものを映し出していた。

そして最後はゴンドラに乗り、東京ドームを一周するという華やかな演出で幕を閉じた。

バックステージで棚橋は語っている。
「出来すぎのプロレス人生でした」
この言葉に、偽りはない。
さらに「これからは社長として、新日本プロレスの選手たちにはもっともっと気合いを入れて頑張ってもらって、今以上の新日本プロレスに大きくしていくことが、これからの僕の夢に変わりました」と宣言した。
その瞬間、引退は終わりではなく、役割の変化であることが明確になった。

6日、都内の新日本プロレス事務所で行われた記者会見で、棚橋社長は数字という現実を示した。
「私の引退記念大会として開催いたしました。1月4日、東京ドーム大会はおかげさまで大成功として幕を閉じることができました。私も日々の想像以上の反響の大きさに驚いております」
会場とニュージャパンワールドを合わせ、約15万5000人がライブ視聴。テレビ朝日系地上波特番は350万人以上が視聴し、22年ぶりの全国ネット放送で世帯視聴率5.2%を記録した。
新日本プロレスの総力を挙げたカードがラインナップされ、話題となった柔道金メダリスト・ウルフアロンのデビュー戦、そして棚橋弘至という存在が、プロレスを「届く場所」に押し上げ続けてきた結果である。
「これもひとえに応援いただいているファンの皆様、選手、スタッフ、関係者の皆さまのおかげです」
最後まで、感謝を語る姿勢は変わらなかった。

選手としての棚橋弘至は1月4日で確かに引退した。
しかし新日本プロレスの物語から、その名が消えることはない。むしろこれからは別の立場で、別の闘いを続けていく。
東京ドームで鳴り止まなかった拍手は別れではなく、託す音であった。
棚橋弘至の物語は形を変えながら、これからも新日本プロレスの中心で続いていくのである。
<写真提供:新日本プロレス>
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