【ZERO1】<田中将斗25周年特別インタビュー①>弾丸戦士、田中将斗誕生の歴史を振り返る!(FMW入団・大仁田・ハヤブサ、ECW参戦、ZERO1橋本・炎武連夢、ハッスル参戦まで)

田中将斗選手twitterより

【ハヤブサ選手との思い出】

–ハヤブサ選手との思い出で印象深いことはありますか?

田中:海外で僕はECWで半年くらい行ったんですけど、ペーパービューに江崎さん(ハヤブサ)と(新崎)人生さんが呼ばれたことがあって。
そのときはまだ若かったので、遠征に行くときはエロい雑誌とかも持ってくんですよね。
で、自分が持っていた雑誌を見まくって飽きたころに、ハヤブサさんがそういう雑誌をたくさん持ってきてくれたっていう(笑)。

–それはありがたいですね(笑)。

田中:はい、すごく助かりました(笑)。

–心優しい(笑)。

田中:や、もう江崎さんは本当に優しいですね。本田さん(ミスター雁之助)も優しいんですけど、優しいんですけど・・・。
2人一緒になると新弟子に、もちろんいじめはしないですけど、芸をやれとか面白いことしろみたいなことが結構多かったですね。
本田さんはそういうのが好きなので常に言ってくるんですけど、江崎さんは一人のときはやらないですけど、本田さんと一緒になるともう・・・ひどかったですね(笑)。

–2人一緒になると最強ですね。

田中:しかも自分で面白いことをやるんですよ、江崎さんは。で、笑わしてくれるんですけど、「はい、これ以上のことをやって」ってハードルを上げるんですよね。
それは困りましたね。

–それは辛いですね。でも大仁田さん引退後、ハヤブサさんがエースになってFMWのイメージがぐっと変わりましたよね?

田中:そうですね、だからそういうのもあったから僕が新日本とか全日本、ノアとかのメジャー団体に出ても通用するようになったんじゃないですかね。
やっぱあのままデスマッチだけで押していたらこういう風にはなっていなかったと思うし、メキシコ行ったりアメリカ行ったり、そういうスタイルを持ってきて、
新生FMWというのがスタートできたので。

 

田中将斗選手twitterより

【ECW参戦】

–日本人で唯一のECW参戦ですが、ハードコアに対して目覚めみたいなものはあったのでしょうか?

田中:どうなんですかね。ECWのポール(ECWプロデューサー)が僕とグラジエーターが川崎球場でシングルをやった試合を観て僕に興味を持ってくれたみたいなんですね。
その試合は僕も初めてベルトを取った試合なので25年間の中でも思い入れの強い試合なんですけど。一度ペーパービューかなにかで呼ばれたときに、普通なオーソドックスな試合をやったんですよ。
相手がダグ・ファーナスだったんですけど、自分が納得できるような試合じゃなくて、もちろんポールもそうだったと思います。なので、もう呼ばれないだろうなという気持ちがあったんですけど、その後半年呼んでもらったんですよね。
でその初日に「あのマッチメイクは俺が悪かった」とポールから謝られたんですよ。でも僕としては、「いやいや、試合をやったのは僕だし。僕が悪いに決まってるじゃん」って。
でも「今日の試合はボールズ・マホーニーっていうすごいやつだから、お前がガンガンいっても壊れるようなやつじゃないし、あっちもガンガンくるタイプだからお前をいかせるだろう。」みたいに言ってくれたんですよね。
なのでそのときはガンガンやりまくって、椅子も出して。日本の椅子って底が抜けるじゃないですか、でもあっちの椅子って全部スチールで出来ているので底が抜けないんですよね。だからあっちのほうが痛みは数倍上なんですよね。
なのにそれでバンバンぶん殴ってきて。でももう前回が駄目だったという気持ちがあったので、ここは負かさなきゃ、認められなきゃという思いがあったので倒れたくないという気持ちでやってましたよね。
痛くても盛り上がってくるとアドレナリン出るのか、2発3発くらっても倒れなかったんですよね。そしたらお客さんがすごい盛り上がって。あぁ、こういうのを求められているのかなと。

–そこでこの路線でECWで戦っていこうと思ったわけですね。

田中:そうですね。でも僕FMWの頃からハヤブサさんに、『おにいちゃん』って呼ばれてたんですけど、「おにいちゃん何やっても倒れないね。強いね、Gショックみたいだね」って。
だから僕、あ、自分何やっても体壊れないし、こっちでも壊れないからそういう風な試合をやっていったほうがいいのかなって。相手も自分よりでかい人ばかり出てくるので、自分が攻めたくても攻められないときとかもよくあったんですよね。
でもやられ方はダイナミックだったのでお客さんがそこで盛り上がるんですよね。だから僕は体が丈夫でやられっぷりがいいところがよかったんじゃないかなって思うんですよね。僕の攻めっぷりじゃないと思うんですよ(笑)。

–当時のECWを見に来る人はアメリカ人でノリがいいとは思いますが、普通よりも更にノリがよかったですか?

田中:もうすごかったですね。日本のお客さんはじっくり観るじゃないですか。でもあっちのお客さんは試合が始まる前から出来上がってるんですよね。試合を楽しんでやろうというテンションで期待とかもすごいんですよね。

–その中でやるというのは選手としてもやはりテンションが上がるんじゃないですか?

田中:すごく沸いてくれたら、アドレナリン出るし自分も嬉しいですよね。日頃のパワーの数段上のパワーの試合が出来てるんじゃないかなって思いますね。

–ECWに参戦されたことで、プロレスラーとしてもステータスが上がりましたよね。

田中:そうですね。この間も2週間くらいオーストラリアに行ったんですけど、ECWではオーストラリアには行ってないんですよね。それでもマニアな人は知ってくれてたりとか、グラジエーターとやった試合とか結構知れ渡ってるみたいで寄って来てくれる人も結構いたので。

それがあったからWWEがやった『ECW ワンナイト・スタンド』というのにも呼ばれましたし。

–だからもうレジェンドですよね、ECWレジェンドといったような。

田中:そうそう、レジェンドって呼ばれるんですよ(笑)。海外では「レジェンドだ、レジェンドだ」って言ってもらうんですけど・・。僕からしたら「レジェンド」なんてテリー・ファンクのイメージが強いんで、まだそんなところまで全然行ってないし、これからまだまだ伝説作れるよって思ってるんですけどね。

 

【2002年 ZERO1入団、橋本真也選手との出会い】

–そしてZERO1に入団をされました。入団前に橋本真也選手と対戦されてますが、橋本選手の印象はいかがでした?

田中:いやぁ、僕も丈夫なんですけど、丈夫な方でしたね。丈夫だし「人の体をどう思ってんの?」くらいに蹴ってきますよね。重いし、あんな130キロくらいの体でフットスタンプするんですよ!
そのころ新日本でジュニアのトップだった大谷晋二郎やヘビートップの橋本選手2人とできたということは大きかったですね。そういう試合があって、入団前に橋本さんの叙々苑游玄亭で焼肉に何回か連れてってもらったんですよね。
で支払いとか目の前で見てたら、見たこともない額払ってるんですよ。やっぱりメジャーな人は違うなと。で、何回か行った後にそろそろいいんじゃないか?と言われて、入団させてくださいといったような感じで。

–じゃあ焼肉にぐらっときたというか。

田中:メジャー感にやられましたね。

–橋本さんはお金の使い方はすごかったんじゃないですか?

田中:豪快でしたね。そういう世界を体感できたというのはいい経験でしたね。

–人間・橋本真也はいかがでしたか?よく茶目っ気があり、人懐っこいと聞きますが。

田中:本当、豪快な方で僕は好きでしたね。大仁田さんと一緒で2人でいても全然嫌にならないし、自分から橋本さん橋本さんって寄っていってたくらい接しやすかったですね。

 

⇒次ページに続く(“永遠のライバル”大谷晋二郎とのタッグ炎武連夢、ハッスル参戦)

 

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