『ブルーザー・ブロディ30年目の帰還』<斎藤文彦氏インタビュー①>世界に衝撃を与えた刺殺事件から30年!不世出のレスラーの知られざる人生を著者が語る

プロレスライターであり多数のプロレス関連本の著者である斎藤文彦氏が今回、ビジネス社から『ブルーザー・ブロディ30年目の帰還』を刊行。

超獣、キングコング、インテリジェント・モンスターと呼ばれ、全米ではNWAをはじめ各団体で実績を築き、日本でも全日本プロレスや新日本プロレスでトップ外国人レスラーの一人として活躍したブルーザー・ブロディ(本名フランク・グーディッシュ)の死去から30年!

不世出のレスラーの知られざる人生を著者に語って頂きました。

 

【『ブルーザー・ブロディ30年目の帰還』発刊の経緯】

–今回『ブルーザー・ブロディ30年目の帰還』を刊行されたわけですが、なぜ今ブロディなのかをお伺いできますでしょうか?

 

斎藤:タイトルにもあるとおり、30年前の1988年(昭和63年)7月にブロディが急逝しました。ちょうど丸30年なのでこのタイミングしかないということで。
タイトル案には「30年目の帰還」以外にも「30年目の肖像」とか、「30年目の真実」など10個くらい候補があったんですね。
最終的には「ブルーザー・ブロディ」がカタカナなので、カタカナは止めようかなって考えて、最終的には一度候補から外れた「30年目の帰還」に決まりました。
ブロディが帰ってくるわけではないので、帰還という言葉はどうかなとも思ったのですが、本を読んでくださる皆さんに取って、あの30年前の夏を思い起こしてほしいという意味を込めて名付けました。
30年前というと現在45歳の方だと15歳の時、中学3年か高校1年生の夏休み前の時期、どこでこのニュースを聞きましたか?と。

 

–もう30年も経つんですよね。

 

斎藤:丸30年前なので、僕も若手記者の頃でした。僕はアメリカ取材中だったのですが、日曜の夕方にアメリカ中にその噂が広がったんですよ。ネットも携帯電話もない時代だったので、固定電話で確認を取るためにいろんなところに電話をしました。
でもプロレスラーも関係者もみんな話し中なんですよ、全然繋がらない。やっと繋がったと思ったら、「もしもし?」もなく「もう聞いたか?」って。確認したら「本当らしい」と言われて、それでやっとああ本当なんだなと。

 

–この本は出版社側からのオファーなんですよね?しかもビジネス書出版がメインの会社ですよね?

 

斎藤:社長さんがプロレスが大好きなんですよね。先方から「ブロディで1冊書けないか?」と。2年前くらいから構想はあったのですが、それなら30年の区切りのいいときがいいだろうと。ブロディが亡くなったのは、昭和最後の夏だったんですね。
そして今年は平成最後の夏で。何か感慨深いものを感じます。ブロディが目撃しなかった平成の時代が終わり、また新しい時代が始まる。
平成生まれのプロレスファンでブロディを知っている人は少ないと思うんですよね、そんな方達にもブロディのことを知っておいてほしいと思いながら書きました。

–僕は高校生のときでしたが、あのときの衝撃は忘れられませんね。

 

斎藤:亡くなる4カ月前に日本に来てるんですよね、次のシリーズも参戦予定でした。

 

–しかも当時の全日本プロレスでハンセンVSブロディの超獣対決の機運が盛り上がってましたよね、それにブロディ絡みでは幻に終わった対前田戦だったり、あのアンドレとの一戦だったり、夢のカードを楽しみにしていたところでした。

 

斎藤:それも今となっては全て“もしも”の話になってしまいますけど、生きていたら四天王とはどう戦ったのかなとか。ハンセンは三沢、小橋、田上、川田、全員とやっているんですよね。ブロディが生きていたらどうしていたのかなと。
ジャンボ鶴田との戦いは終わらせたので、おそらく四天王との戦いもあったのかなとも思うし、それをよしとせずに全日本を去ったかもしれないなとか。

 

–プライドの高い人でしたもんね。

 

斎藤:ジャンボ鶴田だけにフォール負けを許して帰った、それが最後のビッグマッチとなってしまったわけですが。今考えると最終回を予期していたような戦いでした。

 

–しかもインターナショナルヘビー級のベルトを鶴田さんから取ったじゃないですか。

 

斎藤:あれも不思議なんですよね。普通全日本の『チャンピオンカーニバル』の武道館大会ってシリーズ最終戦ですよね。でもあのシリーズだけ序盤戦で武道館があるんですよ。そこでブロディがベルトを取り、観客席でお客さんたちとハグをして。
あの日、一夜にしてベビーフェースになるんですよ。

 

–わたしもあれは不思議でした。今まであんなに人間味あふれるブロディは見たことがなかったので。

 

斎藤:喜んでましたもんね。恐いレスラーの代表だったのに、インター王座のボロボロのベルトを手にして、リングサイドのファンと抱き合って喜んでたんですよね。

 

–この本にもその辺しっかり書かれてますよね。

斎藤:もちろん亡くなってしまったからっていうのはあるんですけど、ジョン・レノンが殺された日、カート・コバーンが自殺した日、ダイアナ妃が事故死した日のように、ブロディが亡くなった日というのは大事件として記憶に残ってるんですよね。
インター王座を取った同じシリーズで3回の防衛戦をやるわけですが、3度目の防衛戦で、そこでみんなが一回も見たことのないまさか3カウントのフォール負けを喫するわけですよね、ジャンボに。

 

–まさか、ブロディが3カウントを取られるとはと思いませんでした。

 

斎藤:初来日した頃は馬場さんにフォールを取られたりはありましたけどね。3年前の1985年(昭和60年)はアントニオ猪木と1年でシングルを6回やって1回も決着がつかないという。猪木さんさえ勝たせなかった。
今だからこそ面白いと思うのは、ネット社会になったことで昔よりはるかにプロレスという特異なジャンルの成り立ちの部分についてオープンに議論されていますよね。
ネット言語で言うところの「勝ちブック」や「負けブック」だとか、そういう理解のレベルもあるのでしょうけれどブロディ自身は絶対にそういうことを論じませんでしたね。
ネットから入った新しい世代のプロレスファンの人たちはどうしてもそういう情報が先にあるから、「スポーツだけど勝ち負けについてはシナリオがあって演出されてるんでしょ?」と考えてしまうんですよね。
でもシナリオ通りにレスラーが戦っているものだとしても、あるいはいかようにも演出出来るものであるとしても、むしろブロディは「俺が負けるわけないじゃないか」ととらえるタイプだったと思うんですよね。
プロレスのジャンル自体を考えるのにも、やっぱり不思議な人なんですよね。

 

–また、プロモーターとのトラブルもよくあったということですよね。

 

斎藤:使いづらい選手ということでしょうね。でも世界中から呼ばれるし、必ずメインイベント。メインイベント以外やらないし、負けないし、無敵ですよね(笑)。

 

–真のインデペンデントというような呼び方もされてますよね。

 

斎藤:ブロディは1988年に亡くなってますよね。面白い事にブロディの死と前後してアメリカのプロレス団体の地方分権のテリトリー制が完全に崩壊しはじまるんです。
NWA(ジム・クロケット・プロモーションズ)がまさに1988年の秋にテレビ王テッド・ターナーに身売りをして新団体WCWが出来るわけじゃないですか。
WWF(現WWE)が1984年から全米ツアーを始めるんですよね。それによってNWAフロリダだ、NWAジョージアだ、デトロイトだ、インデイアナポリスだ、あとはAWAだ、とか全米のローカル団体が数年で全部潰れていっちゃうんですよね。

 

–全米のメジャー3団体、NWA、AWA、WWFの構図が崩れたんですもんね。

 

斎藤:あんなに大きな興行エリアを誇ったAWAだって潰れちゃうんですからね。NWA加盟テリトリーはどんどん潰れて行ってしまって。最後、NWAをまとめていたNWAクロケット・プロまでも身売りをして。
2大メジャー団体、WWF対WCWの時代が90年代に来るという大きなうねりがあった。そのWCWだって2001年に崩壊して、WWEビンス・マクマホンが全米制覇というか、世界征服を成し遂げた。
ブロディが亡くなった年にメジャー団体WCWが誕生してるっていうのが歴史的にはすごく重要なポイントと思うんですよね。

 

–ifの話ですがハルクホーガンとブロディがやっていた可能性もあるんですもんね。

 

斎藤:この本の中にも少し書きましたが、馬場さんの全日本から猪木さんの新日本に1985年に電撃移籍したころは新日本がまだWWFと業務提携していた時代なので、新日本に移籍しつつ、アメリカではWWFの全米ツアーにも合流するというオプションがあったはずなんですよね。

 

–当時のインタビューでも語ってますよね。

 

斎藤:言ってます。ブロディが記者会見で正式にコメントを出しているということは、ネゴシエーションが出来ていたってことなんですよね。
ブロディ自身も全米のメジャー都市でハルク・ホーガン対ブロディが実現していくだろうと言ってますから、そのプランニングがあったんでしょうね。
だけどそれが実現しなかったということは、あの当時のWWFの全米ツアーでいくと、もちろんホーガン対ブロディでやったんでしょうね。
でも時代はホーガンのレッスルマニア時代の幕開けでしょ。ホーガンがアップでブロディがダウンでしょうね、「じゃあ行かねぇ」と。その行かねぇよが通用したんでしょうね。

 

–それだけ天下のWWF(現WWE)に向かって、強いネゴシエーションが出来るというのは、本当にタフなネゴシエーターって感じですよね。

 

斎藤:じゃあ行かねえって言っちゃえますもんね。アメリカ中のレスラーがこぞってWWFに行っちゃった時代でしたもんね。

–NWAを象徴するハーリー・レイスやダスティ・ローデスがWWEに移籍した時は本当に驚きました。

 

斎藤:衣装も変えられちゃいましたもんね。ハーリー・レイスは王冠、ダスティ・ローデスなんて黒と黄色の水玉模様にされっちゃったりとかね。

 

–アドリアン・アドニスなんてバイオレンスで売っていたのがオカマキャラに変わっちゃって・・・。

 

斎藤:WWEのリングに上がったら、そのキャラ設定のなかに翻弄されてしまうというか、NOという選択肢がないんでしょうね。

 

–他団体から参戦する大物でもリングネームも変えられますよね。あのロード・ウォリアーズが、ザ・リージョン・オブ・ドゥームになったりとか。

 

斎藤:ロード・ウォリアーズの場合は、版権・知的所有権を自分らが先に取ってたんで、じゃあここでは使えないよ、と言われて。リージョン・オブ・ドゥーム・ロード・ウォリアーズが正式名称だったんですけどLODにされちゃたっていう。
レスラーのリングネームだとか商品だとかその権利関係から発生する印税とかいうのを、プロレスの世界では前時代的なアバウトな感覚でなあなあになっていたものを、きっちり法的に整理したのもWWEなんですよね。

 

–現在は選手の一稼働あたりの費用なんかも必ずフィー(ギャランティー)が発生するっていう仕組みになっているようですね。

 

斎藤:よく見るとリングネームの下に「TM」とかトレードマークされてるっていうのがちゃんと載ってて。ビジネス的にも他のエンターテインメント・ビジネスと同じようなレベルにしちゃった。

 

–現在は新日本プロレスもWWE方式になっているようです。

 

斎藤:日本でそれが真似できるのは新日本プロレスだけでしょうね。

 

–ですよね。

 

斎藤:いいことはどんどん真似したほうがいいけど、これは真似しなくてもってものは真似しなくてもいいと思うけど。

 

⇒次ページに続く(全日本プロレスにブロディが復帰)

 

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