『ブルーザー・ブロディ30年目の帰還』<斎藤文彦氏インタビュー①>世界に衝撃を与えた刺殺事件から30年!不世出のレスラーの知られざる人生を著者が語る
【アンドレとの一戦の真意や如何に】
–映像でも見たことないし、聞きかじりなんですけど、アンドレ・ザ・ジャイアントをブロディがトップロープからキングコングニーでフォールしたっていう。
斎藤:メルボルン・オーストラリアで、ですよね。それは映像も写真もないので、永遠の謎ですね。永遠の謎です。
–謎ですよね。これが本当だったのかどうかというのが、当時アンドレがあれだけ大きくて誰も勝てないレスラーでした。
斎藤:アンドレにフォール勝ちっていうのはあまり記録がないですもんね。もちろんホーガンに負けたことはあるし、晩年にアルティメット・ウォリアーに負けるというのはありますけど。
–その前の時代はないですよね。
斎藤:世界を旅していた頃のアンドレが3カウントのフォール負けを許したっていうケースは聞いた事ないですね。
–それがその中ではブロディがオーストラリアでアンドレに勝った!?
斎藤:アメリカでもカナダでもメキシコでも日本でもなく、その見たくても誰も映像を見ることができない、あるのかもしれないけど、遠い国のできごとだから映像が存在しないんだろうなとも思うし、
あったら今頃ネットの世界ですから出てきてもよさそうじゃないですか。
アンドレとブロディがオーストラリアで試合をやって、タッグでもいいから。でもその映像すらないですもんね。YouTubeどこ探しても。
–全く本当に。
斎藤:ブロディはそう語ったけれど、アンドレに「本当ですか?」って聞きに行く人なんていないから、僕もアンドレには聞きに行けなくて。
–それは恐すぎて聞けないですね。
斎藤:取材しにくいですもんね。実はだからアンドレのインタビューってほとんどないんですよ。日本は特に恐い、世界中のどこでベビーフェイスをやっていても、猪木さんと戦っていた時代のアンドレは一番恐いヒールなので。
まあちょっとロングインタビューに行けなかったですよね。「ブロディはこう言ってますけど、アンドレさん、本当にフォール負けしたんですか?」って誰も聞いてないですもんね。
それもあって、きっと70年代の終わりから80年代前半の出来事だとしたら、証拠もないし、都市伝説かもしれないし。それが解明されないままなのもまたいいのかもしれないですね。
–まあそれもプロレスの面白さかもしれないですね。
斎藤:世界中にプロレスがあったんだってことですね。
–でも本当にこの本を見てブルーザー・ブロディはこうだったなと懐かしい気持ちでした。
斎藤:本を書いていく時点でYouTubeでブロディのプエルトリコの試合もそうだし、ダラスの試合もそうだし、ブロディで検索すると結構出てくるので、結構試合を見ちゃったんですよ。
懐かしいというか、新しい発見というか、こういうレスラーだったんだなといろいろ考えつつ、やや太ってたブロディ、スリムになってきたブロディ、髪がまだ伸びきってないブロディとか、朝まで映像に漬かって。
–白髪まじりのブロディとか?
斎藤:そうですね。しかもキングコングニードロップも最初の頃よりも後半の方がきれいなんですよ。対角線を走って行ってすごく高く飛んで。
始めは2mくらいの距離を走ってちょっとステップして落ちるくらいだったのに、どんどんどんどん走行距離が長くなってて、対角線をあれだけ走って空高く飛んでニードロップっていう技は完成されていったんでしょうね。
–ブロディの技っていうのは、ひとつひとつ破壊力がすごいですよね。ドロップキックなんかでも、ほかの選手と違ってあれほどのインパクトや破壊力を出せるのはすごかったです。
斎藤:ドロップキックは好きなんですね、意外と。ロープワークのドロップキックなんですよね、相手をロープに飛ばしておいて、相手の顔あたりまで飛び上がって蹴とばすという。ドロップキックは好きなのかもしれないですね。
–結構こだわりをもってやられている気がしました。大一番のときによく飛んでたなぁと。
斎藤:そうですね、結構使ってますもんね。猪木さんのときとか、長州力との試合とか。
–長州さんに対しては下に見てたという印象なんでしょうか?
斎藤:たぶん下に見てたんでしょうね。こけら落としのときの両国国技館の大きなイベントだったので。新しくオープンしたあの建物でプロレスの初興行なのに、なぜ私がメインベントじゃないのだと。
初来日のロード・ウォリアーズがメインだったじゃないですか。
それは馬場さんの選択だったんでしょうけど、あれが決定打になって新日本に行っちゃったんじゃないかと思いますね。
–プライドが傷つけられたんですね。
斎藤:それがいくつかあった理由のひとつだったと思うんですけどね。
–ブロディのインタビューの端々で、長州さんの事を下に見ていたというのを感じますね。
斎藤:あんなのとやるのかよ、という感覚があったのかもしれない。まあ80年代の長州を見てこいつには負けないって思っやのかもしれない長州&谷津対ブロディ&ブルックスというカードは、前座じゃないんでしょうけど、上から3つ目くらいなんでしょうけど。
この新しくオープンした相撲パレス、両国国技館でこのカードはねえだろって感じたと思うんですよね。同じ建物で3ヶ月後に猪木さんとメインをやるじゃないですか。そこで復讐を果たすというか、帳尻を合わせたというか。
–それも自分の価値をより高く見せれるところに行くという、自己プロデュース能力が高いですよね。
斎藤:しかもブロディにとって2度めの両国は新日本プロレスでのデビュー戦じゃないですか。1試合しかやらないんですよね。そのシリーズには参加してなくて。1試合だけ特別参加で猪木さんと両国のメインをやるんだけど。
控え室を覗きに行ったらディック・マードックとかいるわけですよ。マードックとは親しくしゃべってましたもんね。年は同い年だけどキャリアではマードックが上なんですけど、ふたりとも住んでいたのはテキサスでしょ。
マードックとブロディはにこやかに喋っていましたよ。
–やっぱり同郷のよしみなんですかね。
斎藤:マードックもいろんな意味ですごかったんでしょうね、相当。マードックとローデスのテキサス・アウトローズは特別な存在ですからね。仲よく喋ってるし、格上でも格下でもないというか、こうリスペクトしている者同士のような親しさみたいな感じがあって。
–ブロディはわりと孤独を好むタイプなんでしょうか?
斎藤:“個”の人なんでしょうね。群れないタイプなんでしょうね。ツアー中の移動なんかでもそうですし。
–群れない中でのハンセンであったり、スヌーカであったりが友人なんですね。
斎藤:そうでしょうね、日本で合流する。アメリカでは近くに住んでるわけではないし、日本に来る前におたがいに電話する関係だったようですよ。
–ブロディとハンセンは試合前の練習をものすごくやっていたとか。外国人レスラーにしては、会場についてそこまで練習するっていうのは珍しく、あの2人のアップはすごかったって聞いたことがあります。
斎藤:持久力のすごい選手達ですよね。巨体なんだけど、秒殺モードはやらないんですよね、割と時間をかける、だからアップが必要なんでしょうね。ボディビルダータイプじゃなくてね、マラソンタイプというか。
–あとこの本の中にはブロディの意外な趣味も書かれてますよね。
斎藤:それもまたWWE以前の時代の人だなと思います。今のメジャーリーグWWEで言えば、野球の選手やフットボールの選手に似てて、複数年契約があって年棒制じゃないですか。
日本的にいえば、ブロディの時代のフリーエージェントは確定申告をしなければならないんですよね。
自分で税金のこともやるので、収入も自分が管理しているということで、キャッシュでもらってきたり小切手で自分のところに大きな額がきたりすると、『ウォールストリート・ジャーナル』を読んで株をやっていたらしいんですね。それはバーバラさんが証言してます。
–本にもありましたが、株に対しては相当意識が高かったみたいですね。
斎藤:安全な投資だって考えていたかもしれないですね。
–あと本の中では前半では天龍さんの評価が高いという話から、後半になると鶴田さんのほうが上で、そして猪木さんだって話になっていました。
斎藤:新日本さんを出ちゃったあとは全日本の選手を上に置くっていう感覚はあると思うんですけど、天龍の試合を見てて、プロレスのプレゼンテーションとしてジョンボさんよりも天龍さんの方が上に見えた時期もあるんでしょう。
自分がシングルマッチで戦う相手としては天龍さんよりジャンボのほうが評価が高かったんですね、最終的には。身長・体重が近いっていうのと、総合的な実力ではジャンボがナンバーワンだと僕には言い続けたんですよね。
–スタミナ面でも鶴田さんのことを評価されていますね。
斎藤:天龍とブロディのキャリアは同じくらいっていうか、ブロディのほうが短いんでしょうけど、70年代デビューの80年代にピークを迎える。
⇒次回パート②に続く