『ブルーザー・ブロディ30年目の帰還』<斎藤文彦氏インタビュー①>世界に衝撃を与えた刺殺事件から30年!不世出のレスラーの知られざる人生を著者が語る

【全日本プロレスにブロディが復帰】

–1987年(昭和62年)に新日本から全日本にブロディが戻ったときなんかは天龍、鶴田、ハンセンらとブロディとの夢の対決が広がっていくんじゃないかという感じでした。

 

斎藤:新日本から全日本に戻ってきたときは、ハンセン&ブロディ組じゃないんですよね。ハンセンとテリー・ゴーディが組んで、ブロディはもう1回、ジミー・スヌーカと。

 

–またスヌーカとブロディの関係性もこの本の中に書かれてますね。

 

斎藤:年もキャリアも上なんですよね、スヌーカのほうが。でもブロディのことをつねに立ててましたもんね。

 

–相性がすごいよかったんですかね?

 

斎藤:たぶんそうですね。2人で会話をしているところを横で聞いてたりしても、ブロディに対して年上のスヌーカが気を遣ってましたもん。

 

–ブロディは非常に神経質なイメージがありますがインタビューの際はいかがでしたか。

 

斎藤:緊張感が高かったですよね。僕、何度インタビューしても「おう!」なんて気軽な間柄にはなれない、面と向かったところの距離の中に絶対入れないヘヴィーな空気を醸し出す。

 

–絶対領域みたいなものがあったんですね

 

斎藤:もう恐くて恐くて。30数年前ですからね、会った頃は緊張感すごかったですね。

 

–ブロディはデビュー前に新聞記者の時代があったので、マスコミに対して接し方のマニュアルを持っていた方でしたか?

 

斎藤:つまりしゃべってはいけないことはしゃべらないし。俺がこう言ってんだから、こうこう書いとけみたいな。ちゃんと言うし。向こうから「お前にこれ教えてやるからこれ書け」ってちゃんと。
今は申請していないとどこの団体も勝手に取材に行っちゃいけないじゃないですか。むかしは京王プラザのロビーから電話したら、アポなくても本人が捕まれば「部屋上がってこい」っていう暗黙の了解っぽい習慣があったんですよ。
「分かりました」ってノーアポで行ってもブロディの部屋に入れたりとかあったんですよ。ブロディも日本のことをいろいろ教えろっていうのがあったんで、その状況を。
わりと部屋には入れてくれるんですけど、それでも全然打ち解けないんですよ。

–そのなかでフミさんは結構踏み込んだ取材をされてますよね?

 

斎藤:まあ、どうでしょう・・・ブロディですからね。目の前にいるのがね。

 

–しかもこの本の中では「あなたよりハンセンの方が数段人気が上だ」みたいなことも言ってて。

 

斎藤:「いいんだよ、お前は正直に言え」って言われたんで。「人気はハンセンの方があると思います」って。でもブロディは「俺はこう思う。それは人気だろ?ステイタスや実力では俺の方が上だ」とかね。
ハンセン、ブロディがいて、その下にブッチャー、ゴーディを置いたりね。自分で番付を決めてるんですよね。

 

–ブッチャーはやりあってる中でも心が通じていたとか。

 

斎藤:そうですね、ダラスでも戦ってほかのテリトリーにも一緒に旅をしてるし、日本でも同時期に来日してシリーズ中もずっと旅をしてるし、プエルトリコでも一緒だったし。
実際ブロディが刺されたあの日、ヒールのほうのドレッシングルームにブッチャーがいたんですよね。
もちろんいろんな人がいて、グレート・ムタに変身する以前の武藤敬司とか、ケンドー・ナガサキさん(桜田一男)にミスター・ポーゴさん、いろんな人が同じ建物にいたりしたんですけど、ブッチャーは長い付き合いってことじゃないですか。
たぶん日本でプロレスをやっていくうえでのレクチャーってわけじゃないですけど、日本はこうだぜっていうのをブッチャーから聞いたかもしれないし。

 

–ブッチャーは先に日本でかなりの人気を博しましたもんね。

 

斎藤:ブロディよりもはるかに先輩。それからリングの上では戦っていましたけど、実は親しかったと僕がみているのは、テリー・ファンクなんです。ファンクス対ハンセン&ブロディはさんざんやったじゃないですか。
リターンマッチシリーズって『世界最強タッグ』の後、翌年の春もやったじゃないですか。なので日本では戦い続けたんだけど、個人的にはテリー・ファンクとは親しかったと思うんですよね。

 

–ハンセンだとかもテリーの事をすごく立ててますよね。

 

斎藤:プロレスの師匠ですもんね、本当は。日本ではタッグを組むよりも絶対戦ってやるみたいな気持ちを持っていた。タッグを組むとファンクスより下になるけど、戦えば同格みたいな感じがあると思うんですよね。
日本の感覚だとドリー&テリーのファンクスがあって、ハンセン&ブロディは少し下の世代というイメージがあるじゃないですか。でも実際はテリー・ファンクは1944年生まれ、ブロディは1946年生まれだから歳だと2つしか違わないんですよね。
たった2歳です。でもキャリアでは10年くらい違うんですけど。テリーはもうね、19、20の頃から試合をやってますけど、ブロディは意外と28歳の誕生日の2カ月前からだったから結構デビューが遅いんですよね。フットボーをやってましたからね。
フットボール浪人の間は新聞で働いたりとかしてましたもんね。で、NFLを諦めた後にプロレスかなって思ったんじゃないかと思うんですよね。プロレスは好きだったけど、よもや自分がプロレスラーになるとは思わなかった。

 

–この本の中にもありますけど、ダスティ・ローデスだったりとか有名な選手がフットボール時代の仲間で、この時期凄いですね。

 

斎藤:ウエスト・テキサス大時代ですね。フットボール部の選手ばっかりが入る寮があってね。

 

–まさかローデスとブロディが寮の同室にいるなんて驚きです。

斎藤:しかも学生ですからね、すごい運命の糸だと思いますね。それだけすごいフットボールチームだったんでしょうけどね。それこそドリーさんも上の先輩にいるし、ボビーダンカンとか、後輩だったらバリーウィンダムとか、タリー・ブランチャードとか。
それがみんな同じ大学でフットボールをやってたなんてすごいですよね。ハンセンも本当は年齢で言うと3つ下なんですけど、ブロディが留年したので同じチームにいたっていう。アイオワ大から転学してきたんですよね、ブロディが。

 

–当時の個人的なブロディの印象なんですけど、ブロディって後輩とかヤングボーイとかってあんま認めないって感じがしてたんですよね。そしてハンセンは年下なのに同格という感じで接していた感じが見受けられました。

 

斎藤:年下だけど名門フットボール部のチームメイトですからね。巨体だけど動けるし、足が速いフットボール選手だったからじゃないですかね。

 

–お互いリスペクトし合ってる感が出ていましたね。

 

斎藤:あのふたりは一緒にプロレスレラーになったわけじゃなくて別々のルートでなって、ルーキー時代にダラスの試合会場で先輩レスラーから「フランク来てるよ」っていわれて、ハンセンが「俺知ってますよ、彼の事」といって喜んで会いに行ったら。「シーっ」って。「俺は今キャラ作ってるから」って。ブロディもフットボール時代はクルーカットっていうんですが、スポーツ刈り。写真あんまりないんですけどね。
それがブロディになりかけていくプロセス、髪を伸ばそうとしていたんでしょうね。僕らの中のブロディのイメージってあれじゃないですか、自分であんだけ髪伸ばすのって2,3年はガマンして伸ばさないとならないじゃないですか。
作っていったんでしょうね、あのキャラを。

 

–本当すごいキャラが出来上がりますよね。なおかつそのなかでもレスラーとして大成する間の中にルーテーズに師事したりとかがあったりとか。

 

斎藤:まずはプロレスラーとしての心がまえをレクチャーしたのがキング・カーティス・イヤウケアですよね。髪の毛を同じにしたのと、手を舐めちゃうやつとか。
「ハス、ハス、ハス」っていうあの雄叫びもそうだし。もう一人の師匠はフリッツ・フォン・エリックですね。

 

–テキサスのダラスですね。

 

斎藤:で、ホームリングどこかっていうと、いろんなところを放浪してますけど、あえてホームリングはどこかっていうと、ダラスなんですね。

 

–当時WCCWっていう団体がありました。

 

斎藤:そうです、World Class Championship Wrestlingですね。そこはホームリングで、ファイトスタイルはどこへ行っても全く同じなのに、ダラスでだけベビーフェースなんです。プエルトリコに行こうかどこ行こうが、ヒールじゃないですか、当然。
地元のベビーフェースの上の人とやるわけじゃないですか。ダラスではエリック兄弟は自分の弟分で、師匠がフリッツ・フォン・エリック。フリッツ・フォン・エリックも現役時代はどこのテリトリーへ行っても負けない人だったらしいんですよ。
だからフリッツ・フォン・エリックの教えとして「よそで負けてくんなよ」っていう哲学があったと思うんですね。

 

–やっぱり自我を植えつけられたっていうのもあるんですかね?

 

斎藤:先生ですもんね。

–インテリジェント・モンスターというところのエッセンスが培われたということでしょうか。

 

斎藤:そうでしょね。それからプロレスが世間的にどう思われようが、負けなきゃいいんだよと。だからコロコロ負けるのはタブーなんですね。どこへ行こうが。

 

–それで自身のブロディの価値が上がってきたのも事実ですよね。

 

斎藤:そのさっきのインターネット的なボキャブラリーでいうところの「勝ちブック」「負けブック」「誰がブック書いた?」という単純なロジックがあったとしても、演出されていたとしても、「僕は負けませんよ」と、それを通しちゃう、そういう不思議な、それが成立しちゃうんだという。
ブロディをよく観察、分析していくとプロレスの不思議さがもっと見えてくる。WWEだけ見てると、すべては調和されてて、でもメジャーリーグですからね、その中に登場人物がいて、みんなキャストなんだと思うけど、でもブロディだけはここのキャストじゃありませんみたいな。

 

–ご自身のプライドが全面に出てて、そして負けないというオーラも醸し出して戦ってきたレスラーという感じですよね。

 

斎藤:それを成立させてきたってことですよね。プロレスなんてお芝居だ、全て演出されているからいかようにもプロデュース出来るんだって思ってる人には、じゃあブロディを見てよって言いたい。そういう存在ですね。

 

–レスラーとしての凄みや説得力がブローザー・ブロディはある選手だなって思ってました。

 

斎藤:あの身長と体重でスマートだし、技もきれるし、クレイジーに見えて、結構きめ細かいプロレスをする人だし。トレードマーク技のキングコングニードロップをツーで跳ね返す人はいないですよね。

 

–(笑)あれ決まったら終わりですもんね。

 

斎藤:あれはツーで跳ねのけちゃ駄目ですよって、絶対の技を持っているという。

 

–鶴田さんがブロディからキングコングニーをくらってピクピクしてたのがすごく印象に残ってます。

 

斎藤:それから、ニードロップに見せかけてギロチンとかもありましたけど。あのブロディのニードロップさえ決まったら、試合はそこで終わるというその徹底したところがすごい。

 

⇒次ページに続く(アンドレとの一戦の真意や如何に)

 

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