【編集長コラム】「義足の谷津嘉章が聖火ランナーに選出」

「凄いヤツ」谷津嘉章さんが2020年東京オリンピックの聖火ランナーに決定。3月29日、栃木県内を「義足ランナー」として走ることになった。

谷津さんは6月に糖尿病の悪化で右足を切断した。お見舞いに伺うと、持ち前の明るさで「先生がヒザ下から7センチを残してくれたから、義足も使いやすいらしい」と、笑顔を浮かべていた。

とはいえ、右足がない谷津さんを直視できなかった。レスリングの日本代表で1976年モントリオール五輪では8位。1980年モスクワ五輪では金メダルの有力候補だったが、日本が参加をボイコットし「幻の金メダリスト」と呼ばれた。その後、プロレスに転向し大活躍した。

「スポーツエリート」の道を歩んできた男の右足が無い・・・栄光の時代を共有してきた者として、思わず涙がこみ上げてきた。

「去年も危なかったんだけど、その時は薬で何とかなったんだよね。今回はもう切るしかない、って。翌日、切るしかなかったのよ」。最も悔しいであろう谷津さんは、痛みを隠してあっけらかんと、笑っている。その姿に「谷津さんらしさ」を感じながら、鼻水をすするしかなかった。

すぐにリハビリを始めていたが「来年の五輪で聖火ランナーできないかな。義足のランナー。日本には同じ病気に苦しんでいる人がいっぱいいる。決断を迫られる人も多いはず。そんな人たちに勇気を与えることができるんじゃないかな」と、前向きそのものだった。

苦しいリハビリに、声にならないうめき声をあげながら必死に取り組む谷津さん。そばに置かれた車椅子前には、片方、左足だけの靴がポツリ。右足の靴はない・・・レスリングのマット、様々なプロレス団体のリングで、マットを踏みしめて来た強靭な足はもうない。

世界中で暴れてきた男が・・・絶望という言葉でも足りないほどの暗闇の世界に落ちたことだろう。「ないはずの右足が痛い」そんな悪夢も現実なのだ。その辛さ、悲しさはいかばかりか。「ボーっと生きている」記者は、喝をいただいたものだ。

谷津さんは、聖火ランナー募集にひと筋の光を見いだしていた。「これを目標に頑張ろう!」と。果たして、知人のサポートもあり、かなりの倍率を突破し、朗報が届いた。

「モスクワに行けなかった悲しい思いを、ずっと引きずって来たけど、今までの胸のつかえが一つ取れ、解放された! 今は具体的にどの様にとは決まってないが、ランナーとして今までの屈折人生を一歩一歩噛みしめ年輪の如く臨む所存」と、喜びを爆発させた。

なおも「リハビリに励み、歩行訓練からの延長として 走行へと切り替えて行くと思うと、出来るのか不安だけど、その練習も全て良い思い出になる。そんな日を振り返る日が想像できる。いつだかその日まで、おごそかな『最終章』を歩みたい」と、その先も見据えた。

ただ、決して平坦な道のりではないことは「義足で走る練習は、今まで以上に厳しい。皆様のおかげでかなった夢だから、より一層、頑張りたい。これからです」と覚悟している。

全日本プロレス時代「五輪コンビ」を結成していた故・ジャンボ鶴田さんは、1998年長野五輪で、聖火ランナーを務めた。

昨年7月に亡くなったマサ斎藤さんは、2020年東京五輪の聖火ランナーを目指して、パーキンソン病のリハビリに励んでいたが、その夢は叶わなかった。

谷津さんの走る姿を鶴田さんもマサさんも天国から、頼もし気に見守るはず。

石川修司は「谷津さん、良かった! プロレスからも武藤敬司さんやオカダ・カズチカさんが聖火ランナーに選ばれて、同じレスラーとして誇らしいし素晴らしいこと。谷津さんはモスクワのことも、足のこともあるし、意義深い」と、先輩の快挙に声を弾ませた。

義足なので、早くは走れないでしょう。でも、一歩一歩、着実に前に進んで行くあなたの姿は、病気や事故で足を失った多くの人たちに、きっと勇気を与えるはずです。

「人生、決してあきらめてはいけない」ことを、身を持って後進に伝えてください。万雷の拍手と声援が谷津さんの完走を待っています。

2020年3月29日「モスクワ五輪・幻の金メダリスト」義足をつけた谷津さんが、聖火を持って栃木県を走ります。ご注目下さい。

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