【飯伏幸太スペシャルインタビュー】≪完全版≫②DDTデビューからオスカープロ、そして内藤、ケニー、オカダ、中邑、棚橋についてその胸中を激白!!
【飯伏 幸太スペシャルインタビュー】≪完全版≫②
◆DDTプロレスリングからデビュー!
山口:紆余曲折を経て、なぜDDTに巡り合ったんですか?
飯伏:高校卒業までは新日本プロレスに入ろうと思っていたのですが、たぶん現実的に無理だな、とどこかで感じていたんです。体も細くて、全然体重が増えなかったんです。プロレスと出会う前から、生まれつき「最強になりたい」とずっと思っていたので、もしも新日本プロレスの選択肢がなくなったとしても、それでも最強になりたい、と。それで、18歳ごろにキックボクシングを始めたんです。そのときは普通に就職して、キックボクシング漬けでしたね。
山口:最初の仕事は何だったんですか?
飯伏:成田空港の整備士です。整備の免許を取るのに三年かかるので、飛行機の整備をしながらクリーニングみたいな作業をしてました。そこで働いていた時にキックボクシングを始めてて、それでも、レスラーになりたいとは思っていました。プロレスラーになる気持ちが折れかけていたところだったんですが、19歳か20歳ごろだと思うんですけど、DDTを見に行ったことがあって、そのときにキックボクシングキャラクターのタノムサク鳥羽って選手がいて、見ていたら「俺でも勝てるな」と(笑)。
柴田:彼は大日本でもやってましたね。
飯伏:なんでこんな奴がデビューしているんだ、ここならいける、と。それで普通にテスト受けて合格しました。
山口:高木さんからもチラっと聞いたんですが、飯伏さんが練習に来ないって(笑) 合同練習をやっていたけど、自分の求めているものと違うから個人でやります、と。
飯伏:僕は小学五年生のころから、自分で受け身をやっていたんです。いろんな受け身をやってきて、プロレスのちゃんとした受け身をやったことがなかったんです。やってみたんですけど、痛いし、おかしいなと思ったんです(笑) なじまなくて、壊れるな俺。と。よく考えてみたら、「受け身って何だろう」、と。体が壊れないようにやるのが受け身だから、自分が一番怪我しないものが一番いい受け身、と思ったんです。それで「練習は行かないです」、と。
山口:アイアンハートですね(笑)
飯伏:どうなんですかね(笑) 当時は空気を読んでいなかったですね。それが失礼なことともわかっていなかったです。
山口:ハート強いですよ(笑) 合同練習来ないって、なかなか勇気いるじゃないですか。
飯伏:え、って空気になりましたね。なんでこんな奴が、って。
柴田:まだデビューしてない(笑)
飯伏:「まだデビューもしていない奴が俺にこんなこと言ってくるんだ」、と。怒るのも……恥ずかしかったんでしょうね。「じゃあお前、それでいいや」と(笑)
柴田:それはDDTだったから許されたんだろうね。
飯伏:新日本なら死んでましたね。
柴田:やられてたね。
山口:飯伏さんが無意識のうちに自分に合う方向性を選択していたんでしょうね。
飯伏:そうなのかもしれないです。
◆史上初、DDT プロレスリング・新日本プロレス2団体所属!
山口:今の飯伏さんがいるのも、意思決定だと思うんです。もともとその想いを持っていらっしゃるのが一番の強みだと思います。プロレスラーのアイデンティティー、自己証明につながっている。新日本プロレスとDDTの2団体所属になった時、すごく光栄なことだと感じていた、と聞いていますがかなりのプレッシャーでしたよね。
飯伏:プレッシャーはありましたね。プロレス業界初なので、おもしろいなと。
山口:オファーが来た時の心境はどうだったんでしょうか?
飯伏:話し合って決めたことなんですけど、この案が最初に出たときは2団体所属したいけどどちらも選べない状態だったので、半分半分出るのがベストだなと思ったんです。ビッグマッチだけ出られるのもベストだし、体的にも一番いいのかな、とその時は思っていました。
山口:やったことがないことで、前人未到のことなので、選ばれたことについての興奮もありましたか?
飯伏:ありましたね。「俺が最初」って部分が一番興奮しました。
山口:一番評価されているってことですよね。そういう部分で言うと、「もっとこんなふうにいけるんじゃないか」とか、レスラーとしてのスター像をお持ちですか? たとえば、「今のプロレスって誰?」と聞いたら「飯伏幸太」と答えられたり、映画だけじゃなくてドラマとか、世間一般に対する飯伏幸太イメージを出していきたいという考えはありますか?
飯伏:一般的にも有名になりたいですね。
山口:プロレスとしての活動を広げることになったり、プロレスというジャンルを引き上げたり、それが飯伏プロレス研究所の役割ととらえていらっしゃる?
飯伏:全部言ってもらいました(笑)本当にそのままです。