【ZERO1】新会長が大仁田との金銭トラブルを告白!これに大仁田「俺をリングに上げてみないか?本物の電流爆破を持っていくぜ!」と独自提案

プロレスリングZERO1はが11日、東京・靖国神社で会見を行い新体制を発表、運営を「株式会社ダイコーホールディングスグループ」の新会社「株式会社ダイコーZERO1」が行っていく事が発表された。

その際に、今回の経緯について語った神長大(かみなが ひろし)会長による “邪道”大仁田厚の借金踏み倒しなどの金銭トラブルを告白した。

これを受けて、大仁田は怯むことなく新生ZERO1に対し、独自の提案を行なったのだ。

神長会長による経緯説明と大仁田との金銭トラブル内容全文は以下

「我々、ダイコーホールディングスグループと、今日発表させていただいくダイコーZERO1との馴れ初めをお話させていただいて、なぜ我々がZERO1と手を組むことになったのかをちょっとお話させていただいて、本日のご挨拶にさせていただければと思います。

私今年で55歳になりますので、時代背景的にはゴールデンタイムの金曜8時に民放のブラウン管を通じてプロレスを見ていたような時代に育ちました。残念ながらプロレスを現場に見に行ったことは今まで一度もないんですけども、いつか見に行きたいという気持ちはあったという子供の頃の記憶を覚えております。私の人生の中でプロレスが近い存在になったのは15年ほど前でしょうか。

うちのビジネスでインターネット放送が始まり出した頃で、そのときにコンテンツを制作しなければいけないので、そういった仕事上の事情から、制作会社、芸能プロダクションというものを同時に設立しました。皆さんご存じの方だと思いますが、当時参議院議員でプロレスラーをやっておられた大仁田厚さんという方に我々のプロダクションに加盟していただくことになったんですね。そのときは私も『大仁田さんが来たからプロレスも見れるのかな』といろいろとポジティブな思いがあった記憶も思い出しますが、しかしながらそれが叶わぬようになって。実は私はそこからプロレスが嫌いになっていったんです。

プロレスが嫌いになったというよりは、プロレスラーの大仁田厚さんが嫌いになってしまって、引きずられる形でプロレスは見たくないし、近づいてほしくないという、ここまでのメンタルに追いやられてしまいました。大仁田厚さんはプロレスラーでタレントで国会議員ということでございましたし、我々プロダクションとしてはタレント業を主にやっていただこうということで所属していただいたんですが、なんで嫌悪感を抱くようになったのかということですね。

ちょっとお話をさせて下さい。実は、十数年前に大仁田厚さんが元の奥さんと離婚裁判を抱えているときがありまして和解が成立するので慰謝料を払いたいと。そのために『5,000万円を貸してくれないか?』という申し出があったんですね。ビジネスとは関係ない話、まして5,000万円という大金をお貸しすることはちょっとむずかしいということでお断りを申し上げさせていただきました。しかしながら、非常に執ような懇願、わかりやすく言うとしつこく『貸してくれ、貸してくれ』ということで、それで慰謝料を払って離婚が成立すれば新たなスタートだということで、彼から『担保も提供します』という申し出があったものですから、私はそこで『わかりました』と根負けする形で5,000万円を彼に貸しました。正確に言えば、彼が持っていた法人に貸したんですね。

しかしその後、彼はその5,000万円を返すことなく、そして担保の差し入れもなく、今も今までも1円玉1枚返済されたことがないという状況があったりですとか、当時は大仁田さんが『国会議員としての役職とタレント業に専念したいので、プロレスラーは引退したい』ということをおっしゃってまして、『それはそれでいいことなんじゃないですか』と賛成をしたところ、『引退興行を打たせてほしい』という申し出をいただきました。

プロダクションはうちの子会社でしたし、私もそのプロダクションで役員をやってましたので、事業に関しての相談は常に大仁田さんからはいただいてはおりましたので。それで引退興行をやろうかということが決まったんですね。そうしたら、決まった後に『実は1,000万円かかります』というようなことを言われました。決まった後に予算を言われたので私としても躊躇がありましたが、開催について賛成したという前提があるので、これについては事業資金という形で拠出をさせていただきました。

これはこれで事業としては有りだと思うんですけども、その後チケットを売ったお金で興行の経費はまかなっていて、その後に彼が本当に引退するのかなと思っていたら、もう、えっと?!というくらい短い期間でまたプロレスを始める始末だったんですね。私は前回の5,000万円を含めて、彼はどういう人間で、何を考えて、どういうふうに生きてるのかなと、当時非常に不信感を覚えた記憶があります。

さらに、私が当時アメリカの車を輸入販売をしておりまして、その中の車種の一つにHUMMER(ハマー)というアメリカの車を取り扱ってまして。大仁田さんと話をして『じゃあハマーの広告塔になって下さい』と。我々が輸入するハマーが円滑に売れるように、大仁田さんに乗っていただいて、広告塔として我々の会社の看板を掲げて、どんどん宣伝して下さいという形で合意しまして、会社側からハマーの新車を一台彼に提供したんですね。提供して広告塔としてあちこちの媒体などに出ていただくことでハマーを宣伝していただこうと思ったんですが、その車も一切宣伝されることなく、即座に売却されるような事態も起きてしまった。

そのお金はもちろん会社の方には戻ってきませんし、彼はどうもそのまま着服をして使っていたようです。挙句の果てには、我々プロダクションの方から月100万円以上の固定給という形で支払っていてオファーがあった場合においては出演料、その他のギャラについては分けましょうと、俗に言う『プロフィットシェア型』でということで約束がなされてました。しかし、彼は出演することを一切我々に一切通告せずに、後から我々が媒体を通して出演を知るような事態になっていました。それにも関わらず、その仕事のギャラもすべて自分が直接請求をして、会社の方に一切お金を入れないとか、まあ本当に話し出すと、ここからさらに30分、1時間と続いてしまうので、この辺りで終わらせていただきますけど、そんなようなことをされながら、最後は一方的にプロダクションを離脱するような形で連絡が取れなくなりました。

長くなりましたが、このようなことを私は経験しておりまして、そんなようなことから私は大仁田さんに『とてもじゃないがこの人の人格には付き合うことはできない』と嫌悪感を抱くようになり、ひいてはプロレスラーという大きな括りにまで私は嫌悪感を抱くようなことになったということが、実は過去にあったんですね。なので個人的には十数年前の時点ではプロレスなんか見たくもないし、プロレスラーには近寄ってもほしくないし、プロレスラーって聞くだけでイヤな思いもしていた記憶があります。

そんな月日を過ごしているうちに、彼が国会議員を辞めたんですね。選挙で負けたのか、もう国政はやめようと思ったのかはよくわかりませんが、当時大仁田さんの秘書をされていて、今回ダイコーZERO1の監査役をお願いして快く快諾をいただいている中牧さんが今日ここに来ていただいてるんですけど、国会議員のときの秘書をやられてました。もちろん秘書なので、私が大仁田にされたことについてはすべて承知されていたんですね。

その時点で中牧さんはプロレスの世界に戻らずに、そのまま永田町の秘書としてほかの国会議員の先生についておりました。その中で、中牧さんの方からご連絡をいただいたんですが、当初は私もとてもじゃないけどお話もしたくないということで、電話がかかってきても無視をしてましたし、関わりたくない、関わらないようにということだったんですけど、本当に幾度となく連絡がありまして。実は私がいろいろとお付き合いのある国会議員の先生を通して、『一度会ってやってくれ』ということで久しぶりに会ったんですが、『当時のことを大仁田に代わって謝罪する』と本当に真摯に謝罪をしていただきました。

これをきっかけに中牧氏とはお付き合いが再開していくんですが、そうはいっても以前のような親密な形でのお付き合いはしておりませんでした。じゃあなんで、今ここに『ダイコーZERO1』という新会社が設立されて、我々が中牧さんを含めて今ここにいるのかということなんですけれども、みなさんプロレスの業界の方はよくご存知かと思いますが、3月1日に以前の運営会社のiFDさんという方が体制を変えてZERO1を盛り上げていきますとマスコミ発表をされたと聞いております。その後コロナ禍に陥って、とてもじゃないけど興行ができないし、資金的にどうしようもないということで、4月の半ばに岩本社長から『もう無理だ』ということで、ギブアップを宣告されたということで、実は中牧さんとZERO1の方々が私のところに救済を求めに来たんですね。

救済といっても、我々もコロナの中にいますので、人を助けられるような状況でもないのですが、それでもなんとかしてほしいということで相談に来ていただきました。当初の私は先程申し上げたように、プロレスに関してはポジティブな印象が全然なかったものですから、これについては『なんとなくソフトランディングの形でお断りしよう』というのが当初の私の考えでした。

プロレスというものはエンターテインメント性の高いスポーツだということを私も理解しておりますが、お話をさせていただく中で『興行だけでなく慈善事業などはやってないんですか?』という話を振ったところ、『実はイジメ撲滅活動を10年以上やっています』と。そこからちょっと私も興味を持ちまして、すぐに『一緒にやりましょう』という話には当然ならないのですが、そうは言っても頭ごなしに断るわけにもいかないですし、『ほかの選手にも会ってお話を聞いてみましょうか』ということを少しずつ重ねながら月日を過ごしました。

まあ、コロナの中での決断なので、そんなに余裕のある状況ではなかったんですね。それで選手の方数名とお会いさせていただいて、そこにいますリングアナウンサーの(オッキー)沖田さんをはじめとした方たちのZERO1に対する気持ちというものが少しずつ私の中で理解ができるようになっていきました。これは事細かにプロレスを知ってるか否かという問題ではなく、人としてZERO1に対して、どういったことを考えているのか。プロレスに対してどういう思いで接しているのか。

さきほど大谷選手の方からありましたけど、橋本真也さんの15回目の命日ということで、橋本さんのイデオロギーをどれだけ強く受け継いで、これを維持、継続をしていく決断力をどれだけ持っているか。それがすごく私の中で話をさせていただくごとに、非常に胸に染みるようになっていきました。そのような経過がありまして、じゃあ我々もこの中で同じように苦しんでおりますので、ただ単純に『ZERO1さんを我々がバックアップしますよ』ということもできませんし、事業の性質上プロレス団体を所有するということは当時はちょっと私のところでは考えられなかったんですが、なにかできることがあるんじゃないかと。

我々はIT系を主に、投資を含めて仕事としてやっておりますが、ITとプロレス、アナログのコンテンツとデジタルのインフラ、どういう形で融合させたらこのコロナに勝てるのか。アフターコロナに対応できるのか。そんなことを数カ月、みっちりと打ち合わせをさせていただいて、しっかりとした形で今回手を組むということができたということですね。

つまり私が何が言いたいかというと、それだけ大仁田さんがきっかけで嫌いになったプロレスを、このZERO1の選手たちはそれをくつがえすだけの前向きな考え方と、力、エネルギーを持っているんだなと。私の考えはどんな立派な企画書よりも、本人のやる気、夢を持つというところが大好きで。こういったところに非常に共感をして、心を動かされ、かつそれでビジネスモデルというものが出来上がったので、今日この場を迎えさせていただくようになりました。

どんなビジネスかということは後ほど弊社の伊藤(彰男)の方からご説明申し上げますが、以上のことを持ちまして、私は一度嫌いになったプロレスを、またZERO1のメンバーのともに、もう一度子供の頃に見ていたプロレスのように見てみたいな、そして一緒にビジネスをしていければという形で決断させいただいたのが背景でございます」

⇒次ページ(大仁田が驚きの独自提案)

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