【新日本】永田裕志が6.18千葉・佐倉大会をプロデュース!三冠王者としての重責や現在の心境を激白!!

②プロデュース興行の醍醐味

――何度もプロデュース興行を開催されてますが、選手としてプロデューサーとして、プロデュース興行の醍醐味みたいなものはいかがですか?

そうですね。最初は地元・東金でやりましたけど、もう本当にあの頃は本当に会社が厳しい中、千葉県のプロモーターさんもいなくなってしまって。新日本の営業の社員から地元でやってみませんかって声かけていただいたんですよね。

――それが最初だったんですね。

今だったらやり手もいないし、地元で出来ると言われても半信半疑だったんですけど、当時自分自身の個人会社を作ったばかりでしたので、これを一つの事業としてやれたらなと思ったんですよね。でもどうやっていいか分からない。

地元では、両親が何十年教員をやっていたのと、おじさんが不動産関係、僕は高校まで東金だったけど後は東京なので戻ってきてもそんなに交流なかったんですよね。だから20何年ぶりに地元の仲間と会うのは、すごい不安でしかなかったんですよ。

でも向こうは僕のこと見てくれていてね、本当に歓迎してくれて。いろいろ協力もしてくれたので、本当にありがたかったですね。今は人気も回復してきているので、プロモーションをやればプレイガイドでも反応があるんでしょうけど、あのころは本当に人気が低迷して厳しい時代だったので、いろんなところに顔出してご挨拶して、ぜひよろしくお願いしますって挨拶周りをして。

チケット売るのと、選挙の票獲得するのってなんか似てるよなって感じしちゃいましたよね。でも地元の方も協力してくれる、そういう方々と触れ合って、その中でお互い信頼関係を築いて大会を成功させたときの喜びというのはもう格別でしたね。

――産みの苦しみもあったわけですね。

最初は2年にいっぺん、やれればいいと思ったんですよ。やっぱり毎年ってなっちゃうと、お客様にお願いするのもお客様も大変だなと思っていたんですけど、新日本プロレスの人気も回復してきて、毎年やってほしいという声をたくさんいただいたんですよね。だから2016年からは毎年開催することにしました。

――今回は全日本プロレスの三冠ベルトも保持しながらの自主興行ということで、重責もあるかと思いますが、ご自身のやりがいみたいなものも大きいんじゃないですか?

そうですね、自主興行でベルトを巻いてプロモーションが出来るというのは、最初の2007年以来のことで久しぶりなので…。三冠ベルトという日本プロレス界の歴史と伝統が詰まったベルトを巻いて、こうやって皆様の前に立って闘えるというのは本当に感慨深いというか、ありがたいというか、喜びが大きいですよね。

――選手としても感慨深いということですが、プロデュース興行ということなので前準備が本当に大変だったんじゃないですか?

結構きますね(笑)。でもそれはそれでやりがいと、いろんなサポートをしてくださる方々への感謝をすごく感じられますね。協力してくださる方々には、本当に感謝の一言ですし、その想いをもって必ず成功させなきゃという責任はありますね。

③メジャー王座グランドスラム達成の感想(リーグ戦・タッグ王座全て獲得)


©全日本プロレス

――改めて振り返るとメジャー団体王座のグランドスラム、そして各団体でのリーグ戦、タッグ王座のグランドスラムを全て達成しています。永田選手以外はまだ誰も成し遂げてない実績ですが、こちらについてご自身ではどうお考えですか?

三冠ベルトだけは、もうここ何年か縁がないなとそう感じていたんですよね。でも長いことやってると、不思議な事がありますね。急に昨年、全日本プロレスに参戦することが決まって、その中で時間をかけてベルト挑戦表明をしたんですけど…。

僕そのときあまり調子がよくなかったんですよね、膝をやっちゃって。1回目は宮原くんに拒絶されて、2回目でようやく受け入れられたんですけど…。三冠ベルトは獲るのが本当に大変でしたね。

怪我との戦い、周りを認めさせる戦い、もう本当に心が折れそうになったんですけどね。自分を信じて、怪我と向き合って、それにはもう膝の治療にはお金をかけましたよね(笑)。

――体のメンテナンスもいろいろされたんですか?

西洋医学も東洋医学も使って。そして何とか持ち直してタイトルマッチを迎えることができて。ほかの新日本の選手のたくさん出てましたけど、それこそ永田が挑戦するということで新日本プロレスのファンの方々がたくさん来ていただいて、ね。

メインであれだけの声援を送ってくれた新日本プロレスのファンの方と、全日本プロレスの既存のファンの方、後楽園でああいう空間を作ったのは、久々に大きな熱を感じましたね。勝って喜びもひとしおですけど、責任を果たした、ほっとしたというか責任感から解放されたというものが大きくて、印象的でしたね。

――三冠王座を獲られて、メジャー団体全てのベルトを獲ったという実績はかみしめられましたか?


©全日本プロレス

前にリーグ戦3団体獲ったときに、「三冠ベルト獲っちゃえ!」って言われたんですけどね。そればっかりはもう、よその団体ですしね。タイミングもあるけど、全日本さんが永田を使ってくれなければ獲れないわけですし。

53、4(歳)になったころでしたし、もうチャンスはないなと正直思ってたんですよ。ただ、プロレス人生の最終目標であるもう1度IWGP王座を獲るというのはずっと持っていて、常に体調づくりなどをしていたことが、ここで役に立ったかなという感じです。

――なるほど。やはり小島選手がGHC王座を獲ったというのも、発奮材料になったんでしょうか?

まあ意識はしましたね。ちょうどそのころに全日本さんに出ることになったんですけど、果たしてどういうタイミングで行くべきかと。そこは焦ることなく、戦況をしばらく見てましたね。まあ王道トーナメントは準決勝で負けちゃいましたけどね。
そのあと、安齊勇馬のデビュー戦やったり、安齊と最強タッグ出場したりと割と若手育成をやったりして。でもそういうようなことをやっている中でチャンスが来て、周りからは賛否があった中で、それでも永田にチャンスが来てベルトを獲れたというのは、本当に正直嬉しかったですよね。

――すごかったです。

こんな言い方をしていいか分かりませんが、やはり新日本プロレスの若い世代が伸びてきてくれたから。僕がもしIWGP戦線にずっと自分が残っていたら、他団体に行ってベルトに絡むこともなかったんじゃないかなと思いますね。

ある意味会社の盾となって異種格闘技戦とかも出たりして、そこで傷を負った永田が主力から外されて。棚橋とか中邑がIGWP戦線の柱としてやっていかざるを得なかった中で、当時はくそくらえみたいな感じで自分を磨いてましたけどね。

そういう新日本からあぶれた永田裕志を他団体が認めてくれて、例えばチャンピオンカーニバルとかね、プロレスリング・ノアさんからグローバルリーグに呼んでいただいたりというのが繋がったんじゃないですかね。多分、柱としてはあれだけど外敵としてはいいんじゃないかと(笑)

――(笑)

だから他団体に出るときは、自分の中では、柱ではなく外様として出てくるといった住み分けをした戦い方というのは意識してきたつもりです。

※後編は近日公開

インタビュアー:山口義徳(プロレスTODAY総監督)

■NEW JAPAN ROAD ~ Road to STRONG ~
<永田裕志Produce Blue Justice Ⅻ ~青義回帰~>

開催日時:2023年6月18日(日)14:30 開場/16:00開始
会場: 千葉・佐倉市市民体育館
チケット情報:https://www.njpw.co.jp/tornament/414850
対戦カード:https://www.njpw.co.jp/tornament/414850?showCards=1

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