「誰よりも地球で一番強くて美しい」ZONESが誕生するまで…全く知らなかったプロレスとの出会い
「誰よりも地球で一番強くて美しい」というキャッチフレーズで昨年3月にEvolutionでデビューを果たしたZONESが2年目を迎えた。
デビュー年には規格外と言ってもいいほど、新人としては異例の経験を積み重ねてきたZONES。その振り返りと、プロレスラーになるまでの、ZONES誕生への過程を聞いてみた。
――まず、ZONESさんのプロレス入りのきっかけから伺いたいと思います。どういったところからだったんでしょうか。
ZONES きっかけは、もともとボディビルをやっていたことからです。インスタとかで好きなボディビルのプロの選手を見るんですけど、アメリカのカイラ・ロッシという選手がいて、AEWに不定期参戦していたんですよ。その人が何でもできるタイプで身体能力が高くて、「あ、ボディビルよりプロレスのほうが鍛えた体を役立たせるな」と思ったことがきっかけですね。でも、小さいときから闘う人になりたいなって悶々と思っていました。
――小さい頃から…ではボディビルの前にもいろいろやっていたとか?
ZONES いえ、田舎だったので、レスリングとか柔道とかいう部活もあまりなくて。少林寺を小学校の体育館で教えてくれていて、小学4年生くらいのときに友達から「一緒にやらない?」って誘われたんですけど、親にダメって言われたんですよ。それで何でダメなの? って思って、そこから反発して、大人になってからいろいろはじめたって感じです。
――ではそのボディビルはどうやって始めることになったのですか。
ZONES 社会人になってちょっとボクシングをかじり、それからムエタイを始めたんですね。ムエタイは熱心に何年かやっていて。プロではなかったんですけど、タイの本格的なトレーナーが教えてくれるジムで、週5とか仕事しながら行っていて、結構頑張ってスパーリングとかもしていたんですよ。
――それは相当やられていたんですね。でも、プロでもないと。
ZONES はい、練習はとても頑張っていたんですけど、燃え尽きてしまって。私、プロでもないし、社会人なのに、なんでこんなに頑張ってるんだろうって。気が付いたら拳もボロボロになっていて。ムエタイは大好きだけど、ちょっとお休みしたいなって気持ちになって一回辞めたんです。
――燃え尽き症候群的な状況ですね。
ZONES でも、辞めても私は止まっていられない性格で、動かないと調子が悪いんですよ。1か月したら何かしたくてしょうがなくて。それではじめたのが筋トレ。それもやったらやったで、夢中になってしまって。
――次にハマることを見つけられたんですね。
ZONES はい。しっかりしたフォームでやりたいからトレーナーさんにパーソナルで教わって。そこで、私の体は筋肉が付きやすいので、「絶対ボディビル向いているよ」って言われてその気になってしまいまして。やればやるほど筋肉がついて楽しくなってのめりこんで。筋トレの延長線上にボディビルがあったというか。
――なるほど、そこでボディビルとの出会いにつながるわけですね。そこからどう、エボ女の入門へとつながっていくのでしょうか。
ZONES 筋トレはずっとやっていたんですけど、仕事がコロナ渦で忙しくなったんです。それで精神的に限界に近いところまで来てしまって、一回仕事を辞めることになったんですよ。それで、地元の栃木に戻ったんですよ。実家は林業なんで、筋トレだけはやりながら、その勉強だけをしていた状況が1年間くらい続いたんすけど、でもいろいろあって、私はやっぱり林業はできないってなって。林業はやらないし、筋トレはもっとしたい。それに、今までやっていた仕事がイヤイヤやっていた部分があったので、苦じゃない仕事をやっていこうかなと思った時に、栃木にいる必要ないやと思って。
――それで東京に出ていくと。
ZONES そうですね。別に誰かに呼ばれたわけでもないけど、1回東京に行くぞ、私は東京でやることがあるぞって無双モードみたいになりました。それで上京したんです。で、東京に来て2か月くらい経った時にエボ女の新人募集みたいな広告をインスタのストーリーで見て。その時に好きだったカイラ・ロッシ選手がプロレスをやっていたのを知っていたので、私もできるかもしれない、チャンスかもしれないって。その時、他のプロレス団体って知らなかったんですね、プロレスを見たことがなかったので。たまたまエボリューションの画面が目に留まって応募したって感じでした。
<写真提供:Evolution>
――じゃあ、全くプロレスを知らないまま、応募されたんですね。オーディションはどんな内容でしたか。
ZONES 体力テストと面談がありました。マット運動とか、スクワット、腹筋、腕立て伏せって内容だったので、体力面は問題なかったと思いますですね。
――エボ女といえば、諏訪魔さんと石川修司さんという二人のコーチがおられるわけですが、最初の印象はいかがでしたか。
ZONES すごく大きくて、でもなんか優しいなあって。その時はウイキペディアの情報しかなくて、お二人がやっているという団体なんだなって調べただけだったんで。あとあと、試合を見て、「うわ!強い!」って思いましたけど(笑)。
――そこで練習生になられたわけですが、まったくプロレスを知らない状態から練習を始めてみていかがでしたか。
ZONES とにかく受け身が痛くて怖くて、最初に背中で受け身を取れるようになるまで、すごく時間がかかりました。先輩がいないと見本を見せる人が男子しかいない状態で、石川さんや諏訪魔さんに見せていただいても、体格とかがが違うじゃないですか。なので、その人たちがリングでやるプロレスの動きと、わたしたち小さい人がやるのとは違うので、最初はなかなか自分の体に落とし込めなくて。
――特に全日本の方は受け身を重視しますよね。そういう意味では何よりも受身を練習で教わっていた感じでしたか。
ZONES はい、最初は受け身しかやってなくて、いつになったら技の練習をするんだろうって思っていました。
――ずっと受け身の練習に明け暮れていた中で、どのくらいのタイミングで技の練習をやり始めたのですか。
ZONES 「デビューが3月31日だよ」と告げられる直前くらいから、「そろそろ技を教えるよ」っていう感じになりました。
――それだけ受け身を大切にされているということですよね。さてそのデビュー戦の相手は“アマゾネス”の異名を持つ山下りな選手でした。そもそもZONESさんはなぜZONESというリングネームにされたのですか。
ZONES もちろん、「アマゾネス」からです。高校の頃からなぜかあだ名で「アマゾネス」と言われることが多くて、筋トレだけをしてる頃も「ゾネス」とか呼ばれ始めて、もうそのままアルファベットにして、ZONESにしました。
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