スターライト・キッド キッズじゃないキッズからヒール転向、困惑の一年を経て海外でベルト奪取!


写真:新井宏

 実際、受験をして、無事、高校に合格した。プロレスがイヤになったから高校に行くことにしたのだ。レスラーを続けていたら進学せずにプロレス一本でやっていくつもりだった。それでも1年後に戻ってきたのは「風香(GM)さんとママの引き戻し(笑)」があったから。結果的にプロレスにカムバックしたことで、学業との両立をしていくことになり、実際に両立できた。鼻血が出やすい体質も完全ではないものの多少は改善したという。高校も卒業したのだから、これはこれでよかったということになるのだろう。

「欠場期間中、もうプロレスはやりたくないと思っていたんだけど、家で筋トレしてる自分はいたんですよね。なので、心のどこかで復帰しようとしてたのかもしれない。実際に練習を再開してみると動けるし、できるから、やっぱり楽しくなってくるんですよね」

 さらに復帰前と復帰後では、プロレスに対する意識が変わった。

「学生のときは学業優先で、習い事みたいな感覚があったんですよ。確かに、あのころはプロ意識に欠けてましたね」


写真提供:スターダム

 通常の試合に組み込まれても、意識はキッズレスラーだったのだろう。いったんプロレスから離れ、やっぱり試合がしたいという自分に気づいた。復帰してプロレスが楽しめるようになり、18年には初代フューチャー・オブ・スターダム王者に輝いた。21年にはジュリアのワンダー・オブ・スターダム王座に初挑戦。この試合ではジュリアが中野たむとの髪切り戦を控えており、見せしめのためにキッドのマスクを引き裂いた。キッドにはとばっちりだったのだが、これが彼女の心に火を点けた。「負けたくない」「やられたらやり返す」。プロレスに対する意識がさらに大きくなったのだ。マスク剥ぎが、大人への儀式だったのかもしれない。

 そしてこの年の6月、キッドはベビーフェースからヒールに転向する。きっかけは試合に負けたためのユニット強制移籍だったものの、STARSに戻る機会を与えられながらも自分自身で拒否、大江戸隊の一員としてやっていく決意を固めたのである。

「ヒール願望? まったくなかった。なかには経験のために一度くらいやってみたらと思ってた人もいるかもしれないけど、私には無理だろう、似合わないでしょって思ってた。でも実際にヒールをやってみたら、望まない形ではあれ、やってよかったなって思ってる(笑)」


写真:新井宏

 小さな身体をカバーするのは、「欲望の塊」とも言われる“我の強さ”。これも大江戸隊に入ってから芽生えたものだ。

「自分が完全に黒に替わった日(21年7・4横浜武道館)、(リーダーの)刀羅ナツコがケガをしてしまった。私は大江戸隊に入ったばかりで、リーダーが突然いなくなってどうしようとの気持ちになった。誰が大江戸隊を引っ張るの?って。そのとき、大江戸隊に入った自分が変わらなきゃいけないとすごく感じたことを思い出して、自分がユニットを引っ張らないといけないという意識が生まれた。そこからどんどん欲が沸いてくるようになったんだよね」

 その意識が結果にも結び付いていく。8・29汐留では実に8度目の挑戦にして念願のハイスピード王座を初奪取。なかなか王者になれなかった事実を逆手に取り、ベルトに怨念を込め憎しみをぶつけるという、これまでにない王者像を築いてみせた。また、ゴッデス・オブ・スターダム、アーティスト・オブ・スターダム、NEW BLOODタッグ王座を手にしたのも大江戸隊としてだ。

➡次ページ(海外で第4代スパーク女子世界王座を奪取)へ続く

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