リングアナウンサー卒業目前の東京女子・難波小百合「プロレスラーとの接し方」

【WEEKEND女子プロレス♯66】

 東京女子プロレスの難波小百合が、7年間つとめてきたリングアナウンサーを卒業する。残るは6・7品川、6・14新木場、6・21甲府、6・22両国KFCホールの4大会。ラストコールは両国KFCだが、6・14新木場では『難波小百合の夢をかなえたろかスペシャル』と題した、ある意味リングアナ主役の興行となっている。

 6・14新木場では、プロレス関連のさまざまな夢が一気にかなえられるのだろう。そして、卒業後の夢は海外移住。カナダでワーキングホリデーの制度を利用しながら、日本語を教える仕事をしたいという新しい夢もある。


「写真提供:東京女子プロレス」

 そんな彼女にとって、プロレスとの出会いとはいったい何だったのか。「人生の柱を見つけちゃったみたいです!」と言うくらい、プロレスの沼にハマったとのことだが、そのきっかけとは…。

「むかし、地下アイドルをやってまして、プロレス興行の休憩時間中にライブをやる仕事があったんです。それがプロレスとの最初の関わりでした。でも、グループの誰もがプロレスを知らない状況。私も、怖いというイメージしかなかったです。見方を知らないと楽しめないし、知らないヤツは来るなみたいな雰囲気を勝手に感じる側だったんですね。ただ、ライブが終わってから後半戦を場内で見ることができて、そのときに出てきたのがバラモン兄弟さん。お客さんに水を吹き付けていたのが衝撃的で、感銘を受けたんです(笑)。というのも、かけられたお客さんもなんだか楽しそうで、プロレスってこんなにおもしろいんだとハッとさせられた瞬間でした。しかも、大会が終わってからファンの方たちが私たちに『楽しかったよ』と声をかけてくれて。私たちのような底辺のアイドルなんて誰一人として知らないであろうなかで、なんて優しいんだろうって。終わってからもメンバー同士で『なんかいいね』って話になったし、プロレスに対するイメージが一変しましたね」


「写真提供:東京女子プロレス」

 その後、在籍していたグループは解散。もともと俳優を目指していた彼女は舞台での活動に重点を置くようになった。その頃に知り合ったのが、すでにリングアナウンサーとしても活躍していた富山智帆だった。

「富山さんと舞台で共演する機会があって、それを機にプロレスを思い出しました。リングアナをされているということで、その仕事を終えてから稽古場に来たりしていたんです。富山さんって、シャキッとしてカッコいいじゃないですか。それが私に刺さって、あこがれのお姉さんみたいな感じになったんです。そこから富山さんのイメージに引っ張られて、リングアナってカッコよくていいなと思ったんです」

 そんな頃、大学の友人から偶然、AbemaTVが女子プロレスラーとリングアナを募集しているとの話を聞く。「富山さんみたいにカッコいい女性になれるかも!」そして出かけたオーディション会場では…。

「なんでジャージーに着替えさせられるんだろう? なんで身体測定を受けているんだろう? リングアナになりたいのに…。まあとりあえずここを頑張れば道が開けるんじゃないか。リングアナっていろいろできないとたどり着けない場所なんだろうな」

 無理やり自分を納得させてオーディションを終えた。後日、オフィスに呼ばれ足を運んでみると、「東京女子プロレスのプロレスラーになりませんか?」。やはりそこは、プロレスラー志望者のオーディションだったようなのだ。「ああ、やっぱりそうだったんだ。じゃあ、リングアナはどうなるの?」そこで彼女は思いきって言ってみた。「私、リングアナウンサーになりたいんです!」

「そのとき、髙木(三四郎)さんだったと思うんですけど、『ちょうどいまリングアナやってる愛野ユキがレスラーデビューするから、その後でやっちゃえば』と言ってくださって」

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