【スターダム ロッシー小川社長×プロレスTODAY山口総監督】<スペシャル対談①>業界歴41年の女子プロ界きっての名伯楽、ロッシー小川社長に現在・過去・未来についてロングインタビュー!

【女子プロレスの魅力、全女の思い出】

山口:ロッシーさんは全女からプロレス業界に関わったわけですが、女子プロレスとしての魅力はどこにあるとお考えですか?

ロッシー:男子も並行して好きだったんですけどね。プロレス全部が好きなんですよね。だから魅力というか、自分がこの世界に入ったからには先ほどの記録だったり、ここを何とかしなきゃいけないということで動いてきましたね、魅力を伝えるというか。
ただ、みんなすぐ辞めちゃうんですよね。入ってちょっとしたら、それがなんだろうなと。

山口:当時は頑なに女子プロの定年制ってありましたよね、三禁とか。

ロッシー:定年制というのは後付けでね。たぶんみんなハタチそこそこで辞めるというか。後輩に負けたら辞めちゃうというか、そんな感じはありましたね。
そうやって闘犬を養うように競わせるんですよね。その育成して何年やらせて、プロレスの展開にこういう風に持っていくというのがなかったんですよね。当時は競わせて競わせて、駄目な人は去るという。

山口:じゃあ選手を潰してしまうような感じだったんですね。

ロッシー:そうですね、味気ないというか。ベテランもそんなにいないし。

山口:新陳代謝の部分でいうと、当時の全女は弱肉強食だったんですよね?

ロッシー:スター選手が去っても会社は絶対追わなかったんで。次がいるから。

山口:それは今でもロッシーさん、そういうスタンスですよね?

ロッシー:去るものは追わず。それはやっぱり染み付いているものがあるんじゃないですかね。だって辞めたいと思っている者を引き止めてもしょうがないじゃないですか。

山口:松永会長達もそういうスタンスだったんですか?

ロッシー:あの人達はだんだん人気が売れていくとギャラが高くなっていくから、早く辞めてほしいんですよ(笑)ある程度使い終わったときは。賞味期限が過ぎたらね。

山口:当時は他に行く場所もなかったですもんね。

ロッシー:そうそう1団体しかなかったから。そういう考えなんですよ。鮮度のいいうちは使って、ちょっとベテランになってきて意見を言うようになってきたら、もういらないという。子供が15歳から入って、だいたいハタチくらいがピークで、年間270~300近い試合をこなせるっていうのは若いから出来るんですよね、体力的にも。でもある程度年齢がいくと、そうはいかないじゃないですか。先のことも考えるしそうすると会社にするとそういう選手はもう必要ないというと。

山口:圧倒的に会社が強かったんですね。

ロッシー:そうそう、絶対強い。そういう中で育ってるんで。

 

【人気絶頂のクラッシュ・ギャルズ時代】

山口:ちなみにクラッシュの時代はどう思いました?

ロッシー:もうとにかく最初は全く無名の2人が、地方に行っても全く見向きもされないじゃないですか。いつかこの2人が歩いているだけで振り返られる存在にしたいなと思っていました。

山口:ロッシーさんの還暦パーティーのときにも話されてましたよね。

ロッシー:まぁ三人が、三位一体で動いてましたね。

山口:当時の長与千種さんやライオネス飛鳥さんはロッシーさんから見てどんな感じでした?

ロッシー:もう同志ですよね、当時は。自分を含め、成り上がってやろうという。長与とは年中話してましたよ、プロレスのことを。

山口:長与さんは今でも現役ですが、当時の人気は爆発的にすごかったですよね。

ロッシー:すごかったんですけど、彼女が成し遂げたかったのは、男子のプロレスファンに認められたかったということ。女の子のファンしかいなくて、彼女はそれを成し遂げられなかった。

山口:あの時代は僕も見てましたけど、テレビや会場でも人気がすごかったですね。

ロッシー:だからね、人気が出るほど彼女のストレスもすごくなって、当時UWFが流行ったんだけど、その真似をしたくなったりね。週プロとかの取材で道場とか行ったことあるんですけど、そうするといきなり全女の道場で「ちゃんこやる!」とか言い出して(笑)
新日本プロレスの藤原組長が開場してもスパーリングやったときがあったんですよ、それも真似したりして。

山口:影響受けやすいんですね。

ロッシー:そういうことを彼女は欲してたというかね、やりたかったんじゃないかな。プロレスファンにプロレスラーとして認められたかったんですよね。

山口:飛鳥さんはどうでしたか?

ロッシー:飛鳥は千種と違ってマイペースなんでね。彼女が目指したのは、女子プロレス。プロレスというようり女子プロレス。

山口:そこは長与さんと飛鳥さんで全然違うんですね。

ロッシー:飛鳥は自分の確固たる考えがなかったので、千種のやることを追ってましたね、従ってたというか。

山口:そうなんですね、ロッシーさんからはアドバイスされたりとかあったんですか?

ロッシー:常に行動が一緒でしたから。そこでいろんな話もしましたね、話し合いというより雑談レベルですけど。

山口:その時代を振り返るとどうですか?

ロッシー:いやもう、仕事で忙しかった。朝から晩まで。ドラマの撮影で早朝からスタジオに行ったり、テレビ局に行けば休憩中に取材を何社も受けたり。当時は携帯もない時代だから、事務所に戻れば仕事の電話が殺到して調整して、また出かけてと。現場も事務所も両方やってたんですよね。

山口:めちゃくちゃ忙しかったんですね。

ロッシー:今思えばよくそんなんで、時間の調整とか出来たなと。携帯ないんですよ?その時代は乗り切ったって感じですね。だって、当時は事務所に行けばファンが100人や200人たむろしてるんですよ。

山口:宝塚に似ているものがありますね。

ロッシー:そうじゃないですか、完全に。ビューティー・ペアとかはそうですよね。今と違ってテレビの影響力がものすごかったじゃないですか、試合も中継があったし、歌番組にも出たりして、タイミングもよくいい時間、いい番組に出れましたよね。

山口:やっぱりテレビに出ることで存在を認知されますよね。

ロッシー:だって1回、2回じゃなくて、ほぼ毎日出てるんですよ。そりゃ知られますよ。

山口:対戦相手に極悪同盟がいたというのも構図がしっかりしていてよかったですよね。

ロッシー:善悪のね。それがプロレス的な基本だから。まあそんな感じで20代の後半から30代にかけてあっという間に過ぎましたね。だから自分の時間がなかったですよ。

山口:確かに。

ロッシー:だから長与千種が辞めたとき、ホッとしましたもん。これで自分の時間が持てると思って(笑)。だって後楽園ホールとか、必ず車で一緒に行くんですけど、帰りとかに「今日はあの知り合いのところに行くから連れてってほしい」とか。帰れないんですよね、毎回。

山口:やっぱり好きだからというか、仕事だからというか、よく乗り切りましたね。

ロッシー:仕事って意識が強かったですね。とにかく彼女達を売り出すためには時間を惜しまない。きつかったですよ、当然。自分が仕事を入れてるんだから。でも来たものをほぼ消化してましたね。

山口:ある意味、鬼マネージャーですね。

ロッシー:そうやって有名にしていったからね。だって暇な人気者なんていないじゃないですか。

➡次ページ(他団体、対抗戦時代へ突入)へ続く

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