【ジャイアント馬場さんの思いで】 “過激な仕掛け人”新間寿インタビュー「すべては猪木さんが馬場さんを超えるため。私はプロレスに命懸けだった!」

――猪木さんひとりをプッシュする後押しになったと。
「そう。馬場さん超えをするためには猪木さんだと。アントニオ猪木でいこうと。その決心が坂口さんのアドバイス、助言によってついたんだよね。それに、こういうこともあった。1974年に“マジソン・スクェア・ガーデン・シリーズ”というのを馬場さんのところ、全日本プロレスでやったのよ。冗談じゃないと。ウチはWWWFのマクマホン(シニア)とつながってるんだ。それでマクマホンに頼んでMSGの名称はウチ(新日本)のほうでぜひ頼むと言って、1978年から“MSGシリーズ”を開催し、WWFのビンスが優勝トロフィーを持ってきたんだ。MSGは馬場さんのところじゃない、新日本プロレスだと」
――シリーズ名でも対抗心があったと。
「そう」
――新日本と全日本の企業戦争が激化していく中で1979年8月26日には日本武道館で「夢のオールスター戦」が開催されます。新日本、全日本、国際の3団体が集いましたが、ここで新間さんは馬場さんと話す機会があったのでしょうか。
「馬場さんは東スポ(東京スポーツ新聞社)にOKしたんだからいいよと。リングの中のことは私は入れないからね。そのとき撮ってもらった写真で、私が猪木さんと馬場さんの2人の間に座ってるものがあったけど、マッチメークについては猪木さんと馬場さん2人で決めたことだから。そしたらその後、坂口さんのところへ馬場さんから電話があって、“猪木は信用できない。合意したにもかかわらず前の日に急に変えてきた”と言ってきたんだよね。“もう決まっていてやらざるを得ないときに、そういうことを言ってくる自体が不見識だ。でも自分は渋々OKした”と。私はその意味がわからなかった。マッチメークということはリングの中での決めごとだと思うけれども、馬場さんと猪木さんで合意したことを猪木さんがひっくり返したんだなと思った。それがどういう内容かは知らないけれども。厳として慎むべきだということで、そういうところまで口を出してはいけないと思ってた。私の本分というのは、アントニオ猪木が馬場さん超えをすることを願ってるだけだからね。ただ、大会のときはウチの息子に頼んで1人2千円ずつやるから30人くらい集めろと言ったんだ」
――新日本、猪木さんの応援のために?
「そう。そしたら50人以上集まったと。当日は、“猪木と馬場がリングに上がったときにイノキコールをやれ”と言ってね。大会後、馬場さんが東スポの社長に“新間は息子に頼んで猪木コールをさせた”と話したら、社長は“アンタのとこだって営業部長いただろう。なんでそういうことしなかった? それは新間の勝ちだよ。それはアンタのところと猪木さんのところの営業の違いだよ”って。“それは猪木さんの声援はすごかったよと、自分も聞いたけど”ってね」
――それも馬場さんに負けたくない一心から、ですよね。
「当時猪木さんは馬場さんの上になかなかいくことはできない。だから何かしないといけないんだよ。“猪木と馬場の違いをオマエはわからないのか? 猪木は体つきや身長にしたって普通のレスラーと同じじゃないか”と、よく外国人レスラーからも言われていたからね」
――それだけに新間さんの仕掛けやアイデアに関しては、常に馬場さんの姿が背後にあったわけですか。
「うん、ありましたね」
――馬場さんを猪木さんが超えるために、新日本プロレスが超えるために?
「日本一の富士山がいつでも目の前にあるような気がしてた。この富士山を越えるにはどうしたらいいのか。日本第二の山は、南アルプスにある標高3193メートルの北岳だよ。そこに登ると必ず草鞋をおいてこなければいけないという言い伝えがある。なぜかというと北岳の神と富士山の神が論争をして、オレの方が高いと、お互いが言い合う。すると、もうひとりの神が出てきて大きな大きな竹竿で(高さを)はかったという。そしたら北岳の方が低かったとわかった。それで富士山が日本一の山となり、北岳の神がこの山に登ってくる人間は草鞋をおいていけとなった。草鞋が積もって富士山と同じ高さになる、超えるということなんだよね。その山が北岳だと。そびえ立つ富士山を超えたい。その山がジャイアント馬場であり、我々新日本プロレス軍団は北岳だったわけだ。なんとしてでも、馬場さんを超えよう、草鞋を積み重ねて富士山を越えようと。それで、一戦一戦アントニオ猪木が闘うことで、その草鞋を増やしていくと。そうすれば、いつかは北岳が富士山を追い越す高さになるだろう。それにはどうしたらいいかと考えたのが、異種格闘技戦であり、IWGPだった」
――全日本との企業戦争となると引き抜きが思い出されますが、IWGPの戦略の一環として引き抜きもあったわけですか。
「そう、あった。馬場さんを相手にした選手とアントニオ猪木が闘ったらどういう試合になるだろうかと考えたんだよね」
――直接闘うことはできないから?
「そう。それで猪木の方がいい試合になったと思われれば、ウチの勝ちだからね。スタン・ハンセンが引き抜かれたときも、いいじゃないかと。じゃあハンセンが馬場さん相手にどんな試合するかと。いい試合にならないよと思ったから」
――自信があったわけですね。
「あった。大木金太郎も向こうにいったときに、猪木vs大木以上に馬場vs大木が名勝負になるのかなと。猪木vsストロング小林なんてすごかったじゃない。私はあれがナンバーワンだと思っている。猪木が小林をあそこまで持ち上げたからいい試合になったんだから」














