【ジャイアント馬場さんの思いで】 “過激な仕掛け人”新間寿インタビュー「すべては猪木さんが馬場さんを超えるため。私はプロレスに命懸けだった!」

――引き抜きの最初はアブドーラ・ザ・ブッチャーの出現(1981年5月8日)でしたが。馬場さん側の報復も覚悟していたのですか。
「してた。馬場さんだったら絶対なにかやり返してくるなとね。でも、あの人だからまあジックリジックリくるだろうなと思ってたら、あんなに素早くくるとはね」
――2カ月後(7月3日)にタイガー・ジェット・シンを引き抜かれました。
「そうね(笑)」
――ヒールのトップですからね。
「そう。あのとき、引き抜かれるというのはこういう気持ちかと馬場さんの気持ちがわかったよ(笑)。その日のうちに私はシンが泊まってるホテルを突き止めて行ったもんね。トイレに誰かが隠れてたよ。誰かわからないけど」
――その後、スタン・ハンセンの引き抜き(12月13日)までエスカレートしましたからね。
「そうそう。でもハンセンは違約金をキチッと払っていった」
――あの時代には、タイガーマスクのデビューによるタイガーブームもありました。今振り返ってみてすごいと思うのは、タイガーマスクのデビューやIWGP構想、外国人選手の引き抜き戦争などが同時進行でおこなわれていたことです。
「うん、やってた。そうですよ」
――別の出来事のようなイメージもありますが、すべて同時進行で新間さんがおこなっていたんですよね。
「同時進行ですよ。だからプロレスに本当に命懸けだったよ」
――タイガーマスクのデビュー(1981年4月23日)から2週間後にブッチャーが現れました。
「そうだよ」
――引き抜き戦争の終結を申し入れたのも新間さんだったと思うのですが。
「そうそう。いや、もうお互いに日本人レスラーがプラスになるならばいいけれども、そうでなければやり合ってもしょうがないと。ブッチャーがウチにきたからというのは、要するにIWGPに参加するという宣言がほしかったからですよ」
――大物が来るという?
「そうそう。宣伝、ニュースとしてね。それに金がかかってもいいじゃないかと。宣伝費だと。でもエスカレートすることによってガイジンレスラーだけギャラアップされたり、プラスになるということは考えなきゃいかんなと」
――お互いの団体にとってよくないだろうと。
「そう。東スポの櫻井さんに相談したら(ゴング誌の)竹内宏介を呼んだ方がいいと。それで話をして、馬場さんのところに行ってくれた。そこから猪木さんと馬場さんで会談をした。オレは2人の話には加わらなかった。話が終わってから写真を一緒に撮っただけ。どうなりました?なんて聞けないじゃない(笑)」
――話し合いは猪木さんに託して?
「そう。そういう雰囲気じゃないもん」
――引き抜き戦争終結、1983年5月に第1回IWGPも実現させましたが、その後、クーデターから新間さんは11月に新日本を退社します。その後、馬場さんとの関係は?
「UWFの外国人選手について相談しに行って、私は(1984年)5月になれば新日本とビンスとの契約が切れるから、そうしたらアンドレ・ザ・ジャイアントでも誰でも御大の方に回せますよと言ったんですよ」
――全日本の方に?
「そうそう。“じゃあ新間君、最初からそう言ってくれたら自分は協力できる。UWFの最初の(シリーズの外国人)選手はオレが呼んでやる”となった。だから最初の選手たちは全部、馬場さん経由で呼んでくれたんだ」
――当時は明らかにされていませんでしたが、馬場さんが選んだ選手だったと。
「そうなんだよ。ダッチ・マンテルとかね。その頃、猪木さんは“オマエ(新間)が先に(UWFに)行け、オレも必ず行くから”と。でもそうはならなかった」
――UWFのとき、馬場さんと新間さんで話をしていたわけですね。
「してた」
――84年5月にUWFから離れた新間さんはプロレス界からも離れ、馬場さんはその後も現役として闘っていました。そして99年1月31日に亡くなったのですが。
「その一報を聞いたとき、エー!と思った。まさかと思った。つい最近まで元気だと思っていたからね。驚き以外の何物でもなかったよ。ただ、その直前に誰も会いに行けないような面会謝絶だということは聞いていた。面会謝絶というのは奥さんの元子さんが馬場さん専任で自分だけ付いていて、ほかの人には面会謝絶にしてるんだろうなと思ってた。いろんな人が面会にくる煩わしさを止めてるんだろうなと思った。だけれども馬場さんが亡くなったと。女房も一緒に数珠を持って袈裟を巻いていって。でも、お棺の中の寝顔も見なかった。それからその後は私が遺骨をどうしましょうかという相談を受けたり、“新間さん、これどうしたらいいんでしょうか?”と言うから、“奥さんはいつまでも馬場さんと一緒にいたいんでしょ”と言ったら、“そうだ”と言う。そういう思いがあるのなら馬場さんをいつまでも奥さんのそばに一緒にいるようにしてあげておいた方が馬場さんも幸せだし、奥さんも気が休まるでしょうと。だったらそうしなさいと。奥さんは、“ばちあたらないのかしら?”と言うから、ばちなんてあたるはずないでしょと。ある人の話だけれども、遺骨は入っていないけれども、墓を作ったと。それについて、ほかの人は笑うと。骨もなにも入ってないのになぜ墓を建てたんだと。その人を思う気持ちがその墓にこもっているのだったら、それはお墓として拝んで何ら不都合はない。自分が思っているのなら、その思いがその人に伝わる場所に置いておいていただきたいというのが私たち坊主の考え方ですよと伝えた。奥さんが“まだ置いておきたい”と言うのなら、それでいいと思いますと。奥さんは“新間さん、ありがとう”と。あとはあのとき、その日のうちに馬場さんを思って、私はある文書を書いた。お経の文句、日蓮聖人の言葉を入れてね(写真参照)」














