【SSPW】藤原喜明デビュー50周年記念インタビュー!12・8後楽園で愛弟子・船木誠勝と6人タッグで激突「明日やめようと思いながら、ずっとやってきましたよ」
12月8日(木)に開催する、ストロングスタイルプロレス東京・後楽園ホール大会に“関節技の鬼”“テロリスト”藤原喜明が参戦。11・23大阪につづき、デビュー50周年記念試合がおこなわれる。
試合は、藤原喜明&関本大介&日高郁人組vsスーパー・タイガー&船木誠勝&石川雄規(デビュー30周年記念試合)組という豪華すぎる6人タッグマッチ。大阪での第1弾では藤原&アレクサンダー大塚組vs船木&冨宅飛駈組で、藤原組長が伝家の宝刀、ワキ固めで冨宅を仕留めている。第2弾もまた、藤原vs船木を軸に、UWF、プロフェッショナルレスリング藤原組をキーワードにした闘いが展開されることになりそうだ。大会を前に、組長に話を聞いてみた。
(聞き手:新井宏)
■興行名称:初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.20
■開催日時:12月8日(木)開場:17時30分/試合開始:18時30分
■会場:後楽園ホール
《第4試合藤原喜明組長50周年記念・石川雄規30周年記念試合 6人タッグマッチ60分1本勝負》
藤原喜明(藤原組) & 関本大介(大日本プロレス) & 日高郁人(ショーンキャプチャー)
vs
スーパー・タイガー(SSPW) & 船木誠勝(フリー) & 石川雄規(フリー)
――ストロングスタイルプロレスの11・23大阪大会で組長はアレクサンダー大塚選手と組んで船木誠勝選手、冨宅飛駈選手と対戦。12・8後楽園でも船木選手と対戦します。
「後楽園でも闘うの?」
――ハイ、6人タッグでの対戦です。11・23大阪、12・8後楽園が組長のデビュー50周年記念試合で、2試合とも船木選手と手を合わせることになります。おふたりは、船木選手が新日本に入団して以来のお付き合いになると思いますが、第一印象はいかがでしたか。
「アイツはオレと20歳違うんだよね。オレが35歳で、アイツがまだ15歳の時でしょ。あのときは佐山(サトル)とか前田(日明)とかいたかな、スパーリングやってるときに入ってきてさ。でもまだ子どもだもんね。最初の印象って言ってもそれくらいしかない。とにかくまだ15歳だからさ、ケガさせちゃいけないと思ってあまり(厳しく)やらなかったんだよ。アイツは仲間に入りたそうな顔してたけど、まだ壊しちゃまずいと思ってね。でも、気がついたらいつの間にか仲間に入ってきてたよね」
――プロレス入りしてから最初に教わった師匠とのことで、船木選手は組長から多大な影響を受けたといいます。ただ、当時は長州力選手を札幌で襲撃したあとの入門だったので、すごく怖いイメージがあったそうなのですが、入ったらすごく優しい人でビックリされたそうです。
「いやあ、練習中は優しくはないし、そんなこと言われてもなあ(笑)。猪木さんだってそうだもんな。ふだんは優しい人だったしな」
――リングでは変わると。
「そう。リングでおっかないからといっても違うんだよ。なんつうのかな、リングではアドレナリンが溢れ出るからね。興奮するわけだよ。ヒザが痛いのも忘れるしね。痛いなんていちいち思ってたらやってられねえから。これってね、素人にはどう説明してもわからないんだよ。人前にいけばスーパーマンになれるんだよ、プロレスラーはスーパーマンになっちゃうの。オレ、昔さあ、新弟子の時にぎっくり腰かなんかで歩けなくなったんだよ。だけど人数が少ないから、リングに立ってろって言われて出ていった。だけど、リングシューズを履こうとしても前にかがめないんだよ。なんとかかがんでリングシューズ履いて出ていったよね。そしたらさ、お客さんがいるところに出たとたんにシャキッとして歩けるんだよね。不思議と歩けるんだよ。ちゃんと技もやるし、相手の技もボディースラムとかやられたりしてな。試合終わって帰る時もサッサッサと歩けるわけ。だけど控室の重いドアを開けて中に入ったとたんに崩れ落ちる。リングシューズの紐もほどけない。すると先輩たちがなんとか脱がしてくれてね。それでまた歩けなくなっちゃう。だけどお客さんがいるリングに向かうとなると、不思議と動けるんだよなあ」
――それもまた、日頃のトレーニングの賜物でもありますか。
「いや、違う。要するに緊張感みたいなものでさ。でもやっぱり、これって絶対にわかってもらえないと思う。猪木さんもそうだよ。いくらしんどくても、人前ではシャキッとしてアントニオ猪木になっちまうんだよ」
――それがレスラーなんでしょうね。
「そう。ヒザが悪かったり腰が悪かったりでテーピングしてても、リング上がるとちゃんと動くからなあ。あれだけはどう説明してもわからないと思うよ」
――レスラーの不思議なメカニズムというか。
「ああ、身体のなんかホルモンというか、あるんだろうね」
――それでもやはり、プロレスラーには人並み以上の強さがトレーニングによってももたらされますよね。それにプラスアルファしての何かがあると。
「そう、そういうのはあるよね。それがプロなんだよな」
――プロ意識もあるし。
「そうだよ。役者さんもそうだよな。冗談ばっかり言ってる人がね、いざ撮影となるとカメラが回った瞬間にシャキッと変わる。さっきまで冗談ばかり言ってたのに、セリフもちゃんとアタマに入ってるんだよね。撮影が終了してお疲れさまでしたとなると、また急に、さっきの話だけどさって感じで話し出すんだよ。そういう切り替えってすごいよな」
――共演されて感じたことですか。
「まあ、共演ってほどじゃないけどさ、同じ現場にいて感じるよね」
――プロレスラーとの共通点ですね。
「そうね。まあ、共通点と言えるかどうかはわからないけど、そういうところはプロとアマチュアの違いかなって思ったね」
――さて、組長は今年、プロレスラーとして50周年を迎えました。
「明日やめよう、明日やめようと思いながらずーっとやってきましたよ。頑張ってやってきて、ハッと気づいたら50年やってたと。まあ、それだけの話で」
――当然、若い頃は50年もやるとは考えていないですよね。
「思ってないよ! 引退するのなら40歳前後くらいになるのかなと、漠然とは思ってたけど、実際にはそれの2倍3倍やってるから(笑)」
――現在も現役で闘っていられることに関してはいかがですか。
「ああ、それってやっぱり、DNAだよね」
――DNAとは?
「つまり、頑丈な身体だってことだよ」
――ご両親からいただいた?
「そう。まず、骨格だよね。骨が太いからなんだろうね、きっと。昔はね、ご先祖様を拝むなんて考えられなかった。墓参りで死んだ人を拝んだってしょうがねえじゃねえかってずっと思ってたんだ。でもね、いまこの身体があるのも先祖のおかげであり、おやじ、おふくろのおかげなんだなって。先祖からのDNAからこうやって頑丈な身体をもらったんだなと思ってるよ。だから、先祖ってやっぱり大事だなっていうのがあるね」
――突然変異で丈夫になったわけではない。丈夫になるDNAが入っていたと。
「そういうことだよね。オレの場合たまたまそういうDNAを受け継いで頑丈だったってことになるんだけど。それでも子どもの頃はよく風邪をひいて肺炎を起こしてね。当時、ウチのおふくろが言ってたけど、2000円、いまでいう2万円くらいするペニシリンがあってな、肺炎を起こした時にそのペニシリンをよく使ってたって聞いたよ」
――小さい頃は身体が弱かった。
「うん、弱かった。だけどさ、弱いくせに木登りとかして、案の定、落ちてね。骨折はしなかったけど、肩を脱臼とか鎖骨が突起してしまったりね、そういうケガをよくしてた」
――ただ、太い骨のおかげで大事には至らなかったということでしょうか。
「そう。そうなんだよ」
――強い身体をより強くしたのがレスリングのトレーニングだったのでしょうか。
「そうかもな。まあ、トレーニングができるのもⅮNAのおかげだしね。あんなムチャクチャな練習やらされてさあ(笑)」
――組長がムチャクチャな練習と言いますか!?
「そりゃあムチャクチャだよ(笑)。科学的根拠なんかまったくない!」
――当時のトレーニングは?
「うん。ヒザに水が溜まりましたって言っても、スクワットすりゃあ治るって。治るわけねえだろって! いまそんなことしたら大変だよ。虐待だなんだって言われて大変なことになるよ。当時はぶん殴られて当たり前だしな。ぶん殴られて『ありがとうございました』って言うんだからさ。だけど心の中じゃ、いつか殺したると思ってたけどな。ホントだよ(笑)」
――しかし、それが原動力になったから強くなれたというのもあるのでは。
「いや、それがなかったらもうちょっといいレスラーになってた(笑)」
――ところで、組長は一時期病気されてたじゃないですか。
「ああ、胃ガンを患ってな」
――その時は、そのままフェードアウト、引退というお気持ちになったのでしょうか。
「ああ、オレはこれでもう最後だなって思ってたよ」
――その後、復活できたモチベーションは、何にあったのですか。
「オレ、猪木さんのIGFの大会でずっと立会人をやらせてもらってたんだよ。ステージ3の胃がんの手術後、オレ、コイツらとガンガン試合やってたんだなとあらためて思った。だけど、オレがいまリングに上がったら殺されるとも思ったんだよ。ホントに殺されると思った。その頃、抗がん剤を2年間やってたんだけど、しばらくして、試合を見てて、なんだコイツら下手くそだなあ、オレにやらせてくれればもっといい仕事するぞって思うようになってきたんだよ。抗がん剤は3日飲んで、3日休んでという感じでやってた。薬で新しいガン細胞ができないようにするんだよ。だから、筋トレやっても筋肉もつかないしね、粘膜もできないから、目もチカチカする。歯ぐきから血は出るしさ。でもだんだんだんだん時間が経つとね、コイツらよりオレを出せ!と思えるようになったんだよね」
――「オレを出せ!」がモチベーションになっていた。
「ウン。弱ってるときはリングに上がったら殺されると思ってたんだけど、オレを出せという気持ちに変わっていった(笑)。それが、体力がついてきたという証拠だったんだよな」
――復帰したときはいかがでしたか。
「まあ、おもしろかったよ。ただ、ヒザがいかれてたから、ここがよかったらもっと動けるのになとは思ったね」
――とはいえ、完全にカムバックを果たしました。船木選手が仰るには、『組長というのはホントに出ていくレスラーだ』と。『年齢関係なくどんどん自分から出ていく』と仰っていました。
「ケガしてるときでもとにかく前に前に攻めろっていうことだよね。受けに回るとダメージ大きいけど、こっちから前に前にいけば(ダメージを減らせる)」
――船木選手は『すごく試合をする人だ』と表現されていました。年齢に関係なく前に出る姿勢は見習うべき点だと。
「ホントかよ」
――ホントです。
「ふーん(笑)」
――では、ストロングスタイルプロレスという初代タイガーマスク佐山さんの団体に上がることに関してはいかがですか。
「系統で言えば、前田だとか佐山だとか、オレだとか、みんな昔の仲間だからね、昔の練習仲間。佐山のリングだから共通した仕事はできると思うよ」
――後楽園のカードですが、組長の50周年記念試合と同時に、藤原組の後輩、石川雄規選手もデビュー30周年にあたります。
「ああ、アイツもいるんだ。元気なのかな?」
――久々にお会いするわけですね。
「そう。アイツ、ずっとカナダにコーチで行ってたんだよな。帰ってから3回くらい会ったのかな」
――今度はリング上で対戦になります。
「そうだね。いいねえ」
――船木選手とは大阪につづいての対戦です。今年前半はタッグを組みましたが、今後は船木選手と対戦していく機会が増えるのでしょうか。そうなればシングルも期待されます。シングルでは3年前に熊本プロレスで対戦しています。その時は船木選手が勝利し、「ようやく組長に認められた」という思いだったそうです。
「べつに認めちゃいねえよ(笑)」
――これからも闘いは続いていくということですね。
「どうかなあ(笑)」
――そう捉えさせていただきます。ところで、もう一人の対戦相手であるスーパー・タイガー選手ですが、佐山さんの弟子にあたります。そうなると思い出すのがUWFでの組長とスーパー・タイガーとしての佐山さんの試合です。お弟子さんと闘うことについてはいかがでしょうか。
「まあ、相手が誰だってやることは一緒だよ。べつに弟子だからってなにか変わるわけじゃない。プロレスラーは口で闘うんじゃないからさ」
――確かに。
「オレ、大っ嫌いなんだよ、アメリカ人みたいにアピールして煽るの。オレはそういうの興味ないから。ただ、リング上で判断してくださいと」
――いまアメリカのお話がありましたが、世界中のレスラーがフジワラアームバーといってワキ固めや組長のサブミッションをリスペクとしています。世界に広まったことに関してはいかがですか。
「ホンモノってことだよな。あれ(ワキ固め=フジワラアームバー)は、確かオレが35歳の頃だよ。38年前か。もう亡くなってしまったけど青森出身の柔道の斉藤仁さんが韓国の選手とやってる試合をテレビで見てな、試合で韓国の選手がいきなり腕を取ってやったんだよ。危ない、大丈夫かと思ったら、それを斉藤さんが引っこ抜いたんだよ。そしたら腕が動かない。試合は韓国の選手の反則負けになったんだけど、そこであの動きが出たわけ。これは使えるなと思って次の日からスパーリングで何回も何回もやってみた。力学的にもちゃんと分析してね」
――フジワラアームバーと呼ばれるのはずっとあとですが、そこからあの技が生まれたと。
「そう。みんな真似してやってるけど、ポイントが全然違うよ。(カール・)ゴッチさんから教わった技とはまた違うからね。ワキ固めは、柔道の技からオレが盗んだんだ」
――なるほど。次の後楽園でもまたフジワラアームバーが見たいです。船木選手はこの試合を迎えるにあたり「すごく張り切ってくるだろうから組長の勢いに負けないようにしたい」と言ってました。
「べつに張り切りはしないけど(苦笑)」
――とはいえ、リングに上がれば張り切りますよね。
「う、うん。まあね。アドレナリンが出るからね、変わるね(笑)」
――後楽園大会では、大阪に引き続き猪木さんへの追悼の30カウントゴングが鳴らされます。
「猪木さん、亡くなられてもう2カ月だよな。うん…寂しいよな…」
――ところで組長は今年、11・23大阪までに10試合やられています。12・8後楽園が11試合目になると思われますが。
「へえ、そうなの。コロナになってからは一番多いのかな」
――現在さまざまな団体に参戦していますが、ストロングスタイルを含め異なる団体で試合をするのはいかがですか。
「呼んでくれるところがあったらね、ありがたいことで。嫌なら断るからね(笑)」
――組長の見せるプロのファイトを見たがっているファンがいまも多いと思います。
「そういうところにはいくよ。いまプロレスラーだって言うとみんながプロレスラーだから。いま、日本にプロレスラーって1000人以上いるんだろ。昔なんか全日本と新日本と国際で、新弟子入れても100人はいないだろ。昔、新日本なんか一年間で入門者が100人くらいいたんだ。それで残るの、オレが入ってから佐山が入るまでの4年間で一人もいなかったんだから。入門者はどんどん入ってきたけど全部やめてね。一日もったらいい方かな。みんな夜逃げだよ。こんなはずじゃなかったって。(あの厳しさなら)そりゃそうだよ」
――そんな中で残ったひとりが組長で、闘い続けて50年です。
「そうだよ。オレの次に入ってきてデビューしたのが、4年くらいして佐山だからな」
――その佐山さんは現在欠場こそしていますが、団体を牽引しています。
「残ったんだよな」
――このおふたりが揃うという意味でも、12・8後楽園は価値ある大会になりますね。
「知らねえよ(笑)。さっき言ったようにオレは宣伝とか煽ったりするのは嫌いなんだよ(笑)。見たいヤツはくればいい!」
藤原組長のインタビューにはジョークの中にも自信と余裕がうかがえる。組長を世に送り出したアントニオ猪木さんは惜しくも逝去されてしまったが、ストロングスタイルの名のもとに初代タイガーマスク、藤原喜明、船木誠勝、そして“過激な仕掛人”新間寿会長が一堂に揃うのはなんとも感慨深い。振り返ってみれば、組長がストロングスタイルプロレスの後楽園大会に参戦するのは14年7・2以来、8年5カ月ぶりのこと。聖地に鳴り響く「ワルキューレの騎行」とともに、12・8後楽園では組長の名人芸を堪能したい!
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